靖国神社 目次
名称・旧社格
創建
明治2年(1869年)、明治天皇の勅命によって創建されました。
御祭神
護国の英霊
みどころ
246万6千余の英霊を祀る。日本を守るために戦った人々の歴史が学べる資料館があります。毎年7月に行われる「みたままつり」と8月15日の終戦記念日の参拝が有名。
アクセス
東京都千代田区九段北3-1-1
探訪レポート
日本神話に出てくる神々をお祀りする神社の他に、歴史上の人物の御霊をお祀りする神社もあります。有名なのは菅原道真をお祀りする天満宮があります。神社の格を記した旧社格では、国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将、兵士などを祭神として祀る神社から「別格官幣社」が選ばれています。上杉謙信を祀った上杉神社や、徳川家康を祀った日光東照宮などが別格官幣社として列せられています。
靖国神社も別格官幣社で、お祀りされている祭神は「護国の英霊」となっています。近代日本が築かれるとき、そこに新政府と旧幕府の激しい内戦がありました。その内戦で多くの命が奪われ、その尊い命の犠牲の先に、新しくなった日本という国が存在し、国民たちが過ごすことができています。そうして迎えた明治2年、国家のために命を捧げた人々の御霊を慰めるため、明治天皇は東京九段の地に「招魂社」を創設し、明治12年に靖国神社と改名します。これが靖国神社の始まりで、明治維新前後の戊辰戦争、西南戦争の内戦から、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などで、国のために尊い生命を捧げた246万6千余柱の御霊をお祀りしています。
細長い境内ですが、九段下からが正式な入口になります。一之鳥居は大正10年に日本一の鳥居として創建されたものを、再建したものです。25mあるそうで、近くで見上げると本当に大きいです。
徳川の鎖国時代が終わり、世界の中に日本という国を築き上げていく必要に迫られました。経済、軍事、資源、全てにおいて到底及ばない大国とも、日本の植民地にできそうな小国とも、関係性を築かねばなりません。そんな世界の秩序が刷新される時代、各国は自国の利益にとって良いポジションを得ようと凌ぎ合っていました。話し合いや駆け引きで纏まらなければ、戦争になります。そんな情勢で、まずはここまで国ために命を捧げた人たちをお祀りしようという考えが素晴らしいです。実に日本人らしい。明治天皇が人々に愛された理由がわかりますね。
靖国神社というと、どうしても思想的に敷居が高いというか、政治家が参拝して韓国や中国が抗議するという神社ですし、戦争や右翼を連想し、敬遠したいと思う方もいると思います。でも、そうではないと私は思っています。皆さん、「戦争反対」とか「戦争は絶対にすべきでない」という考えを持つ方が多いと思いますが、なぜでしょうか? なぜ戦争をしてはいけないか、について、考え、学び、悩み、苦しみ、答えを出していますか? 自分の考えが180度変わって、やはり戦争も必要だ、と思うようになったのに、また180度動いて、やはり絶対戦争はいけないと思うに至る。すると、また……と何回転も考えを巡らせて、それで戦争はダメって言っていますか? 戦争状態というのがどういう環境で、どんな価値観で日々を過ごすのか、平和状態しか知らない私には、想像もできないというのが事実です。原爆資料館で展示を見ても、被爆者から経験を聞いても、戦争状態は実感できない。自分の財産、生活、未来、すべてを国に没収され、家族まで奪われ、それでも国のため命を捨てなければならないなんて、今の時代に実感できるはずがない。「それでも知りたい、考えたい」というのが、二十数年前、私が初めて靖国神社を訪れたきっかけでした。
さて、(これ ↑ )見てみたかったのですが、実物は想像以上にきれいでした。これは2019年(令和元年)に創立150年の記念事業として、整備された「慰霊の庭」に設置された「さくら陶板」というものです。各都道府県別に、その土地の土を使い、その土地の陶工が制作、奉納した作品群です。桜の花は日本の象徴です。遠く名もなき南の島で戦った兵士たちは、祖国を想い「靖国で会おう」と仲間に誓い散っていった。そんな英霊たちの慰めに、こんな素晴らしいアイデアはないですね。産土の神という言葉があるように、その土地、土(つち)は人の生命の根源的なものだと思います。靖国に集まった英霊たちは、この庭で故郷の土に触れ、桜を楽しんでいることでしょう。
今回は「みたままつり」に合わせて訪問したので、たくさんの提灯が飾られています。これは日が落ちるとすごくきれいで幻想的です。ただ、お祭りのかなりの部分を省略してしまっているので、人出は少なめです。山王祭や三社祭、くらやみ祭など、東京の神社のお祭りは軒並み中止になっているのですが、靖国神社はみたままつりを実施すると発表していたので、さすがの心意気を感じ、来てしまいました。
二之鳥居は、青銅製の鳥居では日本一の大きさだそうです。一之鳥居から二之鳥居までの間はかなり離れていて、途中に駐車場があったり、飲食店があったりします。特に外苑休憩所というのは、令和元年にできた新しい施設で、おみやげショップやレストランなどが入っています。中でも靖国八千代食堂では、鹿児島の知覧で「特攻の母」として有名だった富屋食堂の島濱トメさんの玉子丼が再現されているそうで、これは縁のある方にはたまらないアイデアですね。
第二鳥居を抜けると、左手に手水舎があるのですが、現在はコロナ対策で使用できなくなっています。その先に神門があります。みたままつりの間、神門は( ↑ )仙台の七夕まつりと同じ七夕飾りが奉納されています。細長い境内を一直線に進んできましたが、神門を入ると右側に能楽堂があります。この日は神輿が展示されていました。この納楽堂は明治14年(1881年)に芝公園に建てられ、明治36年(1903年)に靖国神社に移築されたそうです。昔はみたままつりの際に、つのだひろさんがここでミニライブをされていました。おそらく、お神輿などがコロナのために中止になってしまったから、せめて展示しているのかな、と思いました。もうひとつ「中門鳥居」があり、拝殿へとたどり着きます。
靖国神社では、「正式参拝」と称して、昇殿参拝を推奨しています。とくにみたままつりの間は、パンフレットなどを配って、正式参拝をアピールしています。靖国神社のような大きな神社で気軽に昇殿参拝ができるのってかなりの貴重な体験だと思います。拝殿の右側にある参集殿で受付をしています。通常のお参りをする拝殿の奥に中庭があり、その奥に本殿があります。正式参拝では、その本殿に上がり、神職さんが祝詞を奏上し、拝礼する儀式に参加することができます。靖国神社のご祭神は護国の英霊です。ご先祖に戦争で亡くなった方がいる遺族の方や、そうでなくとも、戦没者に追悼したい方などに、正式参拝はオススメですよ。
参拝を終えたら、遊就館の方へ向かいます。遊就館前の広場には、様々なモニュメントが建っています。上( ↑ )は、軍用犬、軍馬、軍用鳩の慰霊塔です。他にもパール判事の顕彰碑や母の像など、思いの詰まったモニュメントがあります。
靖国神社ではお参りを済ませたら、遊就館を見学するというルートを推奨していて、正式参拝すると、遊就館の半額割引券をもらえます。遊就館は靖国神社の資料館で、日本が近代の世界の中で、国内や諸外国と交渉したり戦ったりして築いてきた歴史を学ぶことができます。私はいつも、遊就館を見学してから正式参拝という順序になっています。遊就館を見学していると、最後の方は第2次世界大戦で国のために命を失った方々の展示になります。戦争の最後の方は特攻隊が次々と編成され、当時の方々が極限の精神力で戦ったのですが、戦死された方々の遺影写真が展示されています。ものすごい数で、その一人ひとりの表情が、なんともまろやかで、そして、若すぎるのです。毎回、泣きそうになってしまいます。この二十歳前後の方々が守り抜こうとした国の今を生きる私は、この方々に恥ずかしくない生き方をしているだろうか。そんな思いをしっかり感じてから、お参りに進みたいと思うのです。
コロナウイルスの関係で、映像ホールが使用禁止になっていましたが、ここで観られる映画のようなドキュメント作品は、思いっきり英霊寄りなので、戦争を美化しているように感じられることもあります。それでも当時の映像を観る機会が貴重ですし、心に響くものがあります。
靖国神社は、神話に登場する神々でもなく、過去の武士や貴族でもなく、この国に生まれた一般人を祀っています。太平洋の聞いたこともない小さな島で戦いながら、死んだら英霊として靖国に祀られるのだと、仲間とともに「靖国で会おう」と命をかけて戦いました。だから、靖国神社は特別な神社なのです。戦争を美化しているように見られたり、近隣国家から反対されたりしても、こんな場所がひとつくらいあっていい。なきゃいけない。今を生きる日本人みんなで守っていくべき場所だと思います。A級戦犯を合祀しているからダメだという人もいるけど、A級戦犯というのは、戦勝国が敗戦国を一方的に裁いたものなので、日本人がそのみたまを差別してはいけないと思います。すべて尊く、感謝を持って祈りたい。
世の中に戦争が無くならないのは、戦争という外交手段が必要だからなのかもしれない。いや、人類は戦争を外交手段にすることをいい加減にやめなければならない。などとグルグル回転する価値観を抱えながら、明治天皇がそうしたように、まずはこの特別な神社で、国のために戦った人たちに祈りを捧げましょう。
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