本行寺 目次
名称・寺格
長崇山本行寺と称します。日蓮宗の本山に位置付けられています。大本山・池上本門寺の数ある子院の首座であり、「大坊」と称されています。
創建
弘安6年(1283年)池上宗仲が日朗(日蓮の弟子六老僧のひとり)の弟子の日澄(日朗の弟子九老僧のひとり)に池上家の土地、堂宇を寄進したことで創建としています。
本尊
ご利益
除厄開運・家内安全 など
みどころ
日蓮入滅の地として、聖地ならではの雰囲気を持つ寺院。日蓮ご臨終の間は東京都の史跡に指定されています。
アクセス
東京都大田区池上2-10-5
東急池上線「池上」より徒歩10分
探訪レポート
手入れの行き届いた山門周りの植木ですが、ちょうど私が訪れたとき、植木屋さんが作業をしていました。お寺にはだいたい、そのお寺の境内の木々を手入れする専属の植木屋さんがいます。高名な庭師の大先生が設計した庭園があったりすると、その維持をしていくのは芸術的な知識と技術が必要です。また、お寺には樹齢数百年といったすごい木があったりしますが、枯れて朽ちようとする木々の姿をできるだけ長く保つことも植木屋さんの仕事で、こちらも知識や経験が必要ですね。私は仕事上、お寺で何かを待つという時間を多く過ごすので、その間に植木屋さんの作業を眺めることが好きです。植木屋さんというより植木師と言った方がしっくり来ます。
長い前置きになりましたが、大田区池上にあります日蓮宗の大坊本行寺に行ってまいりました。正式には日蓮宗の由緒寺院で本山という位置づけです。ちなみに池上本門寺は霊跡寺院で大本山という位置づけ。本行寺は池上本門寺の子院のひとつで、たくさんある子院の首座に当たるので、「大坊」と称します。池上本門寺の隣に位置していますが、高低差があることと、参道というか門前町の開け方が違うので、違う場所にある感覚です。お寺へのアプローチも違うところからになります。とはいえ、このあたりは池上本門寺の子院が多いので、本門寺を見学して、そのまま坂を下って本行寺を訪れるコースが多いのかもしれません。
山門を入って最初に現れるのが鶴林殿です。こちらは葬儀や結婚式を行える多目的な会館として利用されているそうです。日蓮は晩年に身延山久遠寺から常陸国(栃木県)へ湯治療養のために向かう途中、この地にあった鎌倉幕府の作地奉行をしていた池上宗仲のお屋敷に立ち寄り、結局ここで生涯を終えました。その後池上宗仲がこの地を寄進し、本行寺となりました。
こちらは本堂です。派手さはないですが、重厚感があります。本堂前に開けた境内が広々としていて、明るく清々しさを感じます。日蓮宗のお寺の本堂は、本尊として「南無妙法蓮華経」と書かれた塔が中央に安置されていることが多いです。黒塗りの宝塔に金の文字で書かれているのをよく見かけます。本堂の内陣には塔を中心にいくつかの仏像が飾ってありますが、結構カラフルに塗られた像が多いという印象です。
扉が閉まっていてわかりませんが、本行寺の本堂もそのような日蓮宗の特徴を踏まえているものだそうです。中央に宝塔、左に釈迦如来、右に多宝如来(法華経に登場する如来)が安置されています。さらに四菩薩と四天王が安置されているそうです。日蓮宗では日蓮そのものが信仰の対象として色濃く、日蓮の像が安置されている場合もあります。
広々とした境内。本堂の右側に様々な堂宇が建っています。この日は緊急事態宣言も明けた平日で、とても良いお天気の一日で、写真には誰も写ってませんが、参拝の方もちらほら見られました。由緒書きによると、本行寺の住職は籠で江戸城へ入場することが許されていたそうです。これは、天台宗の有名な「千日回峰行」を満行した僧侶は、草履で御所に入れる、というのに似ていますね。本堂に当時使用していた籠が掲げられているそうです。お寺の本堂に籠が吊るされているのは結構見かけます。今では使うことはないでしょうけど、当時はこうだったというのを大切に保管することは良いことですね。
こちらは灰骨堂となっています。この地で亡くなった日蓮は、ここで火葬され、遺骨は久遠寺に埋葬されたそうですが、火葬の際の灰(お骨も入っているそうです)を集めてこの堂に安置しているそうです。釈迦の遺骨を収めた仏舎利が世界中にあるように、日蓮の遺骨を安置する場所も、久遠寺だけではなく、日本中にあるのかもしれませんね。そういえば、池上本門寺にもお墓がありました
そして、ここにも稲荷神社です。稲荷信仰というのは本当にすごいですね。こちらは瘡守稲荷というそうです。元々目黒区の碑文谷にあったそうですが、なぜかこの本行寺に移設されています。瘡守稲荷は全国にあり、寺院内の社としても珍しくはないようです。病気平癒関係のご利益というのが特徴のようです。灰骨堂と瘡守稲荷の間に旅着堂というのがあります。日蓮がこの地にやってきた背景を示すように、旅姿の日蓮像が安置されています。宗祖の一時期を信仰の対象にするのは、真言宗の修行大師像に通じるものがありますね。
こちらは毘沙門堂です。毘沙門天を安置しているお堂です。天というのは、仏教以前のインドに既にあった宗教や神話に登場する神を、守護神として仏教が取り入れたもので、チベット→中国→日本と伝来する間に様々に変容しています。仏教用語は古いインドのサンスクリット語の音読を漢字にして中国に広まります。毘沙門天も、ヴァイシュラヴァナという音読を漢字にしたもので、漢字にしてみたら「よく聞く」という意味になって、多聞天と呼ばれるようになりました。日本では、四天王の一尊として安置されている場合は多聞天、単独で安置されている場合は毘沙門天と呼んでいます。上杉謙信始め戦国武将が信仰したように、武神としての性質が強いですが、元々インドでは財宝神だったそうです。関係ないですが、お堂に雨樋ついているの珍しいですね。
御硯井戸(おすずりいど)です。日蓮が手紙を書くのに、この井戸で組んだ水を使ったそうです。たぶん、硯に使う水だけじゃなくて、お茶を飲んだり料理をしたりするのにも使われていて、日蓮だけでなく他の人も使っていたんじゃないかなと想像しますが、御硯井戸として大切に保存されています。信仰や憧れというのはとてつもない価値を生みます。エルヴィスやマイケルの持ち物がオークションでとんでもない高額で落札されることがありますね。井戸なんてみんな使ってたでしょ? と思っても、いいえ、こちらは日蓮が手紙を書くのに使った井戸です、となるとぐっと価値が上がります。恐れ多いことを書いていますが、私は兵庫県出身なので、井戸というと姫路城のお菊井戸に怯えた幼い記憶が抜けず、どうにも怖くなってしまいます。井戸への不遜は怖さの裏返しという訳です。
こちらは段々の花壇で、今は花をつけていませんが、一面にきれいな花が咲くようになっています。この段々の上には庭があって、デザインされた花壇になっています。ここは、本行寺が営む「樹林墓地 そせい」という永代供養墓地です。久々の永代供養墓シリーズですが、いわゆる樹木葬というやつですね。宗派を問わず受け入れてくれますが、日蓮宗本行寺から戒名を授かって、永代供養していただけるので、帰依するつもりで購入すると良いと思います。費用は戒名料や銘板も含め、60万円とのこと。後を見る方がいない方、近隣の方、日蓮宗の門徒の方などには、こういう場所があるのは心強いですね。池上本門寺にも同様の永代供養墓がありますので、見比べてみて選ぶこともできます。
本堂の左側には、この本行寺の真髄と言いますか、日蓮が亡くなった「ご臨終の間」です。〇〇堂という名称ではなく「ご臨終の間」となっていて、旧池上宗仲邸の仏間があった場所だそうです。私が訪れたときは、堂内でご近所の檀家さんらしき家族が、お寺の方とお話をされていたので、邪魔にならないように、手を合わせてすぐに退いたのですが、このお堂には日蓮が鏡を見ながら自分で彫刻した日蓮像が安置されているそうで、自鏡満顔の祖師と称されています。「自鏡満顔の祖師」という御朱印もあるそうなので、御朱印マニアの方は訪れてみてはいかがでしょうか。私が住んでいる多摩地域では、このように大本山級の寺院があって、その周囲に密接して子院がたくさんあるという環境は、昔はあったのかもですが、今はなくなってしまっています。池上本門寺も増上寺も寛永寺も、周囲にお寺がずらりと密集するエリアがあります。厳格で別境地にあるような大寺院と、人々の祈りや信仰の生活を、たくさんの子院や参拝客相手の門前町がくっつけて繋いでいる感じがして、私はそういう風景を見るのが好きです。大坊・本行寺はそんな子院の中でも最大級のお寺でしたが、とても整然として清々しく、気持ちの良い時間を過ごすことができました。
ーーーーーーーーーーーーーーー