寺社探訪

寺社探訪とコラム

「多摩川左岸 百所巡礼1」

京急に乗って羽田空港第3ターミナルにやってきました。しかし、空港から一般道に歩道を通って出る方法がわからなくて、空港内で30分も行ったり来たりしてしまいました。「閉じ込められている。空港から出られない!」と焦りつつ、スタート前だというのに疲れ果てた感がありました。案内板とかあればいいのですが、さすがに羽田で飛行機を降りて、そこから徒歩の人ってなかなかいませんよね。

空港の先の川岸の地面に「建設省 多摩川0.0km」という標識のようなものが埋まっていて、スタートにはちょうどよい目印だと思ったのです。そのプレートが埋まっている場所に行こうとしたら、なんと工事中で重機が何台か稼働しており、バリ封されて警備員さんが立っていました。そちらへ向かおうとすると、かなり手前から警備員さんが体でブロックして、通行禁止をアピールします。出鼻を挫かれるとはこのことです。仕方がないので、多摩川0.0kmあたりから出発という曖昧なスタートになりました。

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こちら( ↑ )がそのプレートです。以前撮影したものですが、参考までに掲載しておきます。多摩川左岸0.0kmからすぐのところから「ソラムナード羽田緑地」に入ります。「多摩川左岸百所巡礼」などとスタートしてしまっていますが、そういう巡礼が公式に存在するかは知りません。あくまで私的で適当に進むので、きっちりした性格の方はイラつくかもしれません。大雑把な点は性格なのでご容赦ください。ゴールは多摩川の起点、奥多摩湖にします。よく言えば自由、悪く言えば無計画なので、左岸ばかりではないかもしれません。百所とか言って、実際に何か所のお祈りポイントがあるのかも知らず、どこを訪れるのかも決めずにスタートしてしまっています。たぶん100前後かな? という適当な予測です。

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ソラムナード羽田緑地は、川岸の通りをおしゃれに公園化していますが、「ここだけ」感が否めません。町としての羽田は結構広くて、スタートからしばらく多摩川沿いは羽田の町です。空港周辺だけきれいに整備していると、なんだか玄関だけ立派な家みたいで少し残念です。それでも空港周辺は工事が絶えないようで、通行止めとか遠回りとか難儀しながら歩きます。

空港直結でホテル「ヴィラフォンテーヌ」が開業予定で、その最上階に展望露天風呂のような施設があるそうです。一度は行ってみたいと思っていますが、コロナの影響で海外旅行客が望めないので、ずーっと開業延期の状態が続いています。

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さて、多摩川にはたくさんの橋がかかっていますが、最も海に近い橋はこれまで大師橋(本当は首都高速横羽線)でした。私は大田区で配達の仕事をしていたことがあり、チラチラ横目で見ていましたが、ついに多摩川スカイブリッジとやらが、ほぼ完成していますね。まだ運用はされていないようですが、対岸は大企業の工場や倉庫群で、此岸は羽田空港という利用目的が極めて限定的な橋のような気もします。

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こちらは1982年の航空機事故の慰霊碑です。機長の精神疾患が原因で24名の方が命を落とす事故となってしまいました。入口は蛇腹の扉が閉じられていて、慰霊碑には飲物がお供えされていました。


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多摩川左岸巡礼1番:旧穴守稲荷神社 大鳥居

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鳥居だけぽつんと建っていて、不思議に思われている方も多いのではないでしょうか? こちらは羽田にある穴守稲荷神社の大鳥居です。戦後GHQの命令で羽田空港を軍事基地として拡張するために、この地にあった穴守稲荷神社や地域住民は強制退去されられることになりました。穴守稲荷神社は羽田神社に合祀され、その後、地域住民の尽力で現在地に鎮座しました。「神社や祠を強制撤去しようとしたら祟りにあう」という話は昔からよく聞きますが、この穴守稲荷神社の大鳥居も、そのような祟りの伝説のために、未だにこの地に建っているという訳です。マッカーサーも祟りを恐れたのでしょうか。この鳥居だけでなく、ビル開発やマンション開発の中でぽつんと不自然に祠や鳥居が建っている場所があります。不自然で景観的には良くないんでしょうけど、私はそういう場所が好きです。祟りと聞くと恐ろしいですが、かつてそこに存在した人々の祈りが、時代を超えて生きていると思えるからです。

多摩川左岸巡礼2番:妙力地蔵尊

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弁天橋を渡ったところ。ここには妙力地蔵尊というお地蔵様が祀られている社( ↑ )があるそうで、訪れてみると工事中でした。社だけ残されて、周囲は更地になっている様子です。この先どうなるのかわかりませんが、おそらくこの地の人が数百年に渡って祈り繋いできたお地蔵様だと思います。取り壊されず、大切に保存されそうな感じなので、良かったなぁと思いました。

多摩川左岸巡礼3番:白魚稲荷神社

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妙力地蔵の少し先にある白魚稲荷神社です。小さな神社ですが、こちらは壁に説明書きがあり、「宗教法人 白魚稲荷神社」と書かれてありました。きっと、氏子さんたちが結束して、この神社の法人格を取得したのだと思います。当社の創建は不詳であるが古社と伝えられている。明治時代に安田屋の先祖が境内地として当地を奉納し、昭和42年に老朽化した社殿の新築を行い、昭和53年に宗教法人として認可されたということが書かれてありました。現在は羽田神社が兼務社として管理しています。さすが羽田総鎮守の羽田神社です。人々の想いを受けて羽田を守っています。

多摩川左岸巡礼4番:福守稲荷神社

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多摩川に沿って歩きますと、すぐに五十間鼻無縁仏堂という、川に突き出した珍しいお堂があるのですが、その存在を知らずにスルーしてしまっています。また近くに行く機会があれば、訪れてみます。さて、そこから少し歩いたところにある福守稲荷です。住宅と住宅の間にある小さな稲荷神社です。ある程度予想はしていましたが、やはり稲荷神社が続きます。特にこのような、元々個人の敷地にあった社が周囲に開放されたようなところは、断然、稲荷神社が多いですね。

多摩川左岸巡礼5番:玉川弁財天

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そこからすぐの広場っぽい場所にあるのが、玉川弁財天です。通称羽田弁天と呼ばれていて、かつては上社と下社があり、鈴木新田(現在の羽田空港内)にあったのが下社で、上社は別当寺の龍王院にあったそうです。伝承によると、上社には空海護摩をした灰を集めて自作した弁才天像が安置されていて、下社には多摩郡日原から多摩川を流れてきて網に掛かった如意宝珠が祀られている、となっています。しかし、この、上社、下社の伝説が書物によってごちゃごちゃになっていて、何が何の話だかわからないそうです。

多摩川左岸巡礼6番:羽田水神社

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玉川弁財天は元々、現在の羽田空港内にあったと書きましたが、つまり現在の地へは移転してきたということになります。そしてその現在の地は、元々は羽田水神社の境内なのです。正面に玉川弁財天があり、羽田水神社の方が隅っこに鎮座していて、なんだかどっちが間借りしたんだかわかりません。名の通り、水の神様で、ここは羽田ですから、漁業関係者に厚く信仰されてきた神社です。現在は羽田神社が兼務社として管理していて、神事などを行っているそうです。

多摩川左岸巡礼2番:帰ってきた 妙力地蔵尊

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そして、もう一体、同じく羽田水神社の敷地内に間借りしている方が! そうです、一番最初に訪れ、社が工事現場の中にあった妙力地蔵様です。イナバの物置のような建物に鎮座されていますが、良かった。というか素晴らしい。本当にこういう信仰の力に触れると、嬉しくなりますね。工事がいつまで続くかわかりませんが、こちらで羽根を伸ばしてお過ごしいただければと思います。

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昔、友人と羽田沖にキス釣りに行ったことがあります。私にとっての羽田は、手作りみたいな桟橋を通って釣り船屋さんの家族に誘導されて船に乗り込んだ記憶が色濃いです。潮の香りがして、なんとも人間味のある人たちの営む漁港が、私の羽田の最初の印象で、強く記憶に刻まれています。

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羽田第1水門です。おそらく多摩川で一番大きな水門です。高潮の際に漁船を避難させる船溜まりがあります。

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こちらは羽田の渡し跡の石碑です。最も河口近くにあったため、大きな船(20~30人乗り)で羽田、川崎間を渡していました(川幅は80mほどだったそうです)。古くは商工品の輸送のため、江戸後期では川崎大師や穴守稲荷へ参拝のために人々が利用したそうです。昭和14年大師橋が架設され、羽田の渡しは役目を終えます。

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羽田第2水門です。やはり大きくて、漁船を避難させる船溜まりがあります。

多摩川左岸巡礼7番:真言宗智山派 龍王

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さて、大師橋まで歩いてきました。ここは先程訪れた玉川弁財天の別当寺であった龍王院です。真言宗智山派の寺院だそうです。創建は不明ですが、1557年に中興の祖となる僧が入ったとの記録から、戦国時代には存在していたとされています。

多摩川左岸巡礼8番:真言宗智山派 正蔵

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こちらは産業道路を挟んだ反対側にある正蔵院です。喜修山 正蔵院 了仲寺と称する真言宗智山派の寺院です。本尊の不動明王立像が大田区文化財として登録されているようです。創建は不明ですが、この不動明王像の様式と修復歴から、室町時代には存在していた寺院だそうです。羽田不動尊とも称しています。山門やお堂は割と新しいもののように見えました。境内は整然としていて、きれいなお寺でした。

多摩川左岸巡礼9番:羽田神社

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正蔵院のすぐ隣りにある羽田神社です。GHQによる48時間以内に退去命令の際に、穴守稲荷神社が避難してきた神社です。他にも、先ほど訪れた白魚稲荷神社や羽田水神社を始め、いくつかの神社の運営を兼務しています。そこまで大きな神社ではないのですが、見どころのしっかりした神社ですので、今度個別にレポートしたいと思います。

多摩川左岸巡礼10番:真言宗智山派 自性院

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羽田神社の隣、というか同じ敷地なんじゃないかという場所にあるのが、自性院です。常榮山 自性院 本覚寺と称する真言宗智山派の寺院です。このあたりに真言宗智山派の寺院が多いのは、おそらく対岸の真言宗智山派大本山の川崎大師と、西六郷の宝幢院の関係なのかと思います。羽田神社と同じ敷地にあるのには、ちゃんと理由があって、この自性院は平安時代末期に創建され、鎌倉時代には境内に牛頭天王を祀る神仏習合の寺院でした。明治維新神仏分離令牛頭天王社八雲神社として独立させて、その八雲神社が羽田神社に改名して現在に至るという訳です。

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これは羽田神社境内から撮影したものですが、自性院はこの楼閣造の建築がとても珍しいです。明治維新までの日本は、神仏習合の信仰がとても人気があって、牛頭天王社も多くの信仰を集めていたのだと思います。羽田神社として独立してしまっても、自性院は牛頭天王に対する人々の信仰を保ちたいと思ったのでしょう。昭和になってから、大森にある三輪厳島神社の社殿を自性院に移築して、牛頭天王堂として再興しています。

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大師橋です。このような吊橋風の橋は斜張橋と言うそうです。私はこのタイプの端が一番好きです。なんか格好良くて、ゴジラが現れてもド派手に破壊してくれそうです。大師橋を超えてもしばらく羽田ですが、ここから羽田、六郷へと進んでいきます。こんな調子でお参りポイントに立ち寄りながら進んでいくと、ゴールまでにいくつのポイントにお参りすることができるでしょうか。数えると数を稼ぎたくなるのが人の性、コンセプト通り、あまりとらわれず、心の赴くままに進みたいと思います。

 

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