羽田神社 目次
名称・社格
羽田神社と称します。そもそもは隣の自性院の境内社であった午頭天王社が明治維新の神仏分離令によって八雲神社となり、羽田神社に改名されました。旧社格は村社です。
創建
鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王を祀ったのが創建とされます。
御祭神
素戔嗚命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
御神徳
航空安全・運行安全・病気平癒・縁結び・勝負事
みどころ
整然と並んだ摂末社に丁寧な説明書きが添えられています。実際に登れる立派な富士塚があります。
アクセス
東京都大田区本羽田3-9-12
京浜急行「大鳥居」徒歩5分
探訪レポート
羽田総鎮守、羽田神社にやって参りました。羽田という町は海と共に生活をしてきたのだと思いますが、自然相手ですから、神の力に頼ることが多かったと思います。そのため、たくさんの信仰が大切に守られている町です。 また、氏子地域に羽田空港がありますから、航空関係の安全祈願としても信仰を集めています。
神楽殿です。高さがありますね。実際にこの舞台で舞を見ると映えるでしょう。穴守稲荷神社の回で、GHQの退去命令で鎮座地を奪われた穴守稲荷神社が一時羽田神社に合祀された話を書きましたが、羽田総鎮守の名のごとく、大田区内の10以上の神社を兼務社として管理運営しています。
このフェンスに囲われた碑は、八雲神社の碑と言います。まだ羽田神社が牛頭天王社だった江戸時代、疱瘡(天然痘)は子どもにとって恐ろしい病気でした。そういう人智の及ばないものを神として敬い、被害から守られるように祈るという考えが昔からありました。この碑は、天保12年に時の将軍徳川家定が疱瘡治癒祈願に訪れた事績によるものです。
本殿の右側に、鈴納稲荷神社、増田稲荷神社、日枝神社、羽田稲荷神社が横並びに鎮座されています。羽田神社では「境内末社巡り」というものができるそうです。上記の四末社に本社の羽田神社と羽田富士を合わせた合計六ヶ所にお参りをし、短冊に御朱印を押し笹に結んでそのご神徳を受けるというものだそうです。
鳳輩というのは、お神輿のある形式の呼び名のようなものです。この他にも境内には神輿殿があって、中に神輿が奉納されています。羽田神社の大きなお祭りとして、夏の例大祭、通称「羽田まつり」があります。神輿の担ぎ手3千人、見物客3万人という大きなお祭りだそうです。
このお祭りの様子を伝えている動画がありましたのでご紹介させていただきます。少し長いですが、お祭りの魅力がすごく伝わります。
本殿の左側に羽田富士塚があります。これは明治初年に造られたもので、大田区の文化財に指定されています。令和になってから改修工事をして、現在は登拝できるようになっています。富士山信仰ですが、ここまでしっかりと作っているのは珍しいです。
この写真の塚を登って、山頂の祠まで行くことができます。ちゃんと○合目というのも記されています。穴守稲荷神社の稲荷山もそうですが、羽田の皆さんはやるなら徹底的にという性分なのでしょうか。
羽田神社はそんなに大きな神社というわけではありませんが、多くの神社を兼務したり、穴守稲荷神社のピンチを救ったり、羽田の神社の中心的な役割を担っています。派手に見えても、やることしっかりやっている神社です。
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