「多摩川左岸 百所巡礼」が無事ゴールにたどり着いたので、次に「山+神(ヤマガミ)」という企画のスタートです。古き神々への畏敬の念をうまく掘り下げられたら良いと思います。体力的に不安ですが、体が病気に侵食されつつあるので、動ける間にいろんな経験をしておきたいと思います。
JR青梅線「沢井駅」に降り立ちます。惣岳山に登山する方は軍畑駅から高水三山を登って御嶽駅までのコースを選ぶ方が多いようです。沢井駅で降りる方の主な目的は何でしょうか? お昼頃ですと、周囲の渓谷や酒蔵見学や澤乃井ガーデンで過ごす人が多いと思います。朝は登山の格好をした人がチラホラ数名という程度。
沢井と言えば小澤酒造です。こちらは小澤酒造の裏の壁です。壁だけでも味があるというか、伝統や歴史を感じることができます。
青梅街道まで坂を降りて御岳方面にしばらく歩いていると、突然、植物に侵食されつつある参道と鳥居が現れます。青渭神社の一之鳥居です。都会に慣れすぎた感覚では、別世界のように感じますが、そもそも鎮守の森と神社はセットで、木々に覆われた空間と神の宿る場所は、同じであったはずなのです。訪れたのは秋に近い冬だったのですが、夏だともっと草ボーボー状態でしょうね。
JR青梅線を潜って進みます。一之鳥居の横に由緒書きの掲示板がありました。『大国主命をまつる延喜式内の社である。二千数百年前にまつられたという。これより四百メートルばかりのぼれば拝殿、神楽殿などがある。本社は約3キロメートル惣岳山上に「二十七社の末社も」鎮座になる。 例大祭四月十八日。 昭和三十五年四月十七日』と書かれています。
青渭農道竣功記念碑と書かれています。青渭農道というのがどこからどこまでなのかは知りませんが、この辺りで草ボーボーの道から一般道に接続します。
前回「多摩川左岸 百所巡礼」の企画で訪れた際は、この坂道を前にして退散してしまいました。今回はこの坂道を登る企画なので、突き進みます。
壁にお地蔵様がいらっしゃいました。お地蔵様の帽子や前掛けは、どうして赤色なのかというと、赤色が「清く正しく」「誠実・正直」ということを表現し、魔除けとしての意味もあるとのこと。赤ん坊の身につけたり、赤ん坊を守るお地蔵様にお供えしたりするそうです。もう1つ豆知識ですが、干支は十干(甲乙丙・・・)と十二支(子丑寅・・・)の組み合わせなのですが、120通りではなく60通りなのです。これは組み合わせる時に十干も十二支もひとつずつ進めるので、61番目で元に戻るからです。10と12の最小公倍数が60だからそうなるのですね。だから暦をひと回りする還暦が60歳という訳です。60歳になると暦がひと回りで赤子に還るという意味で、赤いものも身につける風習があるのだそうです。
一之鳥居と同型の二之鳥居が現れました。到着してみると、それほど大変ではありません。階段を上がっていくと、境内との境目に神楽殿がありました。
この地域でよく見かけるタイプの、傾斜を利用した神楽殿です。正面からは2階建て、裏からは1階建てという構造です。
手水舎がありました。岩を利用した、かなり苔生していて、味がある手水舎です。
更に階段を上がると拝殿になります。厳密に言うとこちらは遥拝殿として明治の初め頃に建てられたもので、現在では里宮ということになっています。本社は惣岳山の山頂にあって、奥宮となっています。
正面の扉が空いています。この青渭神社には宮司さんが住んでいるのでしょうね。シンプルですが神聖さが感じられる本殿です。雪洞の明かりが良いです。神聖なものに対して敬虔になれる効果があります。
狛犬は親子二段構えです。青渭神社は延喜式神名帳に記載がありまして、武蔵国多摩郡 青渭神社となっていて、この青渭神社以外にも候補地があります。ひとつは調布市の青渭神社。もう1つは稲城市の青渭神社です。いわゆる論社というやつです。
このお賽銭箱、昭和11年寄贈と書かれていました。昭和11年なんて古いなぁと思いましたが、自然が厳しいところで、しかも野外でこんなにきれいなのですね。青渭神社というのは、青梅、調布、稲城にあると書きましたが、その他には無さそうな感じです。それぞれに祀っている神様が違うのですが、水にまつわる神様という点で共通点がありそうです。
里宮の横の通りを登っていくと、左に山道へ入る分岐が見えてきます。ここから奥宮に向けての登山となります。
序盤から結構険しい道です。人気は全く無くて、誰の気配もありません。山の中に自分唯ひとり、自分の息遣いを聞きながら、黙々と歩いていきます。
倒木が落ちてきています。こういった危険があるので、あまり先ばかり見て焦らずに、安全を確かめながら登っていきます。特に道に迷うような分岐はありません。平日だったので、誰ともすれ違わず進んでいきます。
しばらく登ったところで、「関東ふれあいの道」に合流します。御岳駅方面から来ている道です。私が登ってきたのが沢井駅からなので、ここで合流して頂上方面へ向かう感じですね。「関東ふれあいの道」に入っても、人の気配はありませんでしたが、名前のついている道に入ると、なんとなく安心します。
大きな岩がある道です。最初は植物多めで鬱蒼としていましたが、次に木の根がむき出しになってゴツゴツと歩きにくい道、そして大きな岩が現れる道と、表情がかわるので、登りもそれほど辛くはありません。日本人が太古の昔から信仰している精霊信仰(アニミズム)では、岩というのは霊が宿るものの代表格です。神聖な森の中にいることを感じながら、登っていゆきます。
この看板はしんどい時は心が折れますね。結構調子よく登っていて、もう頂上に近いと思っていても、まだ半分かと一気に足が重くなります。
大きな木が現れる御神木ゾーンに来ました。麻縄が張っていて紙垂(しで)が垂れています。この辺りは少し広くなっていたので、一度リュックを下ろして休憩することにしました。休憩中に初の人類に出会い、ご挨拶しました。コロナになってから、山ですれ違っても挨拶するのは控えられていたように感じます。知らない同士でも「こんにちは」と挨拶する登山の習慣って失いたくないですね。
しめ縄が張られた木の近くにある一番の大きな木です。字が消えかけていて読めませんが、「しめつりの御神木」と書かれています。この御神木エリアからが、いよいよ聖域に入るということらしいです。
惣岳山は登山的には超初級者レベルです。私は初級の山しか登れないので、調度良い感じ。少し休憩したら、また出発です。急な坂が上の方まで見渡せてしまうと、あー大変、と気持が折れてしまいます。それでも、こんな道をトレイルランしている人がいました。すごいですね。
左に行くと惣岳山頂まで0.3km。もうすぐですね。
お社がありました。お社の下が空間になっています。こちらは真名井神社という霊泉の社だそうです。青渭の井とも呼ぶそうです。真名井という言葉はちょっと聞いたことがあります。鳥取県の大山へツーリングに行った際、近くの観光地に「天の真名井」という湧き水がありました。清浄な水のことを真名井と呼ぶそうです。
真名井の社からしばらく歩くと、惣岳山の頂上に到着しました。756mです。時間的には一之鳥居から1時間半少々でした。空気が冷たくて、上り坂で汗ばんでいたので一気に冷やされました。寒いというより冷たくて風邪ひきそう。タオルで汗を拭って、陽のあたる場所にいるとようやく落ち着いてきました。
山頂は広場になっていて、青渭神社の本社=奥宮が建っています。木々が鬱蒼としていますので、山頂ですが眺望はありません。腰を下ろせそうな木に座って、おにぎりを食べました。低い山でも山頂に立つと気持ちが良いもので、感情が全て口に出るご老人が「あー ついたー きもちいいー」と叫んでいました。
奥宮は金網に囲まれています。青渭神社の創建は不明ですが、社伝によると崇神天皇7年ということですので、紀元前91年という超老舗です。天慶年間(938-947年)に源経基が社殿を造営したとのことで、現在の社殿は弘化2年(1846年)に再建されたものです。
社殿には細かい彫刻が施されています。何かのストーリーの一場面のような感じです。御祭神は大国主命です。昭和35年に社殿を改修した際に、惣岳山上の27社の末社のうち、真名井神社を覗く26社を合祀したとの記録があります。山上に27社も末社があったのはすごいですが、現在は跡形もありません。
登ってきた道をそのまま降りるのですが、御岳駅へ行く道と沢井駅に行く道の分岐では、御岳駅方面に向かいます。
ここは真言宗豊山派慈恩寺の横にある登山口です。以前ここを訪れたときは、登山をしてきた方々がこの道を達成感と共に下りてくる様子を見ました。今回は私が「登ってきたぜ」とドヤ顔で下りました。
御岳駅に到着しましたが、電車の本数が少なく、次の電車までかなり時間があったので、御岳渓谷に下りてみました。紅葉が美しかったです。
「山+神」の初回は、軽登山の中の軽登山、惣岳山へ行ってきました。いくら簡単でも私には息が切れる場面もあって、体力ないなぁと思い知らされます。それでも以前、青渭神社の一之鳥居で引き返したリベンジができました。山頂は眺望がなくて今ひとつでしたが、山を登って神域に入っていく感じは、森と神社が一帯だった古代の信仰を感じることができました。次はどこへ行くのか、お楽しみに。
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