亀戸天神社 目次
名称・旧社格
亀戸天神社と称します。亀戸天神、亀戸天満宮と呼ばれることもあります。東の太宰府天満宮という意味で東宰府天満宮とも称しています。旧社格は府社です。東京十社のひとつです。
創建
寛文元年(1661年)菅原道真の末裔で太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐が、江戸本所亀戸に元々あった天神の小祠に、飛梅伝説の木で彫った天神像を祀ったのが始まりとされています。
御祭神
天満大神(菅原道真)
天菩日命(菅原家の祖神)
ご神徳
天神様なので、学問の神様です。
みどころ
花の天神さまと呼ばれているように、梅と藤が見事で、池の豊かな水とコラボが素晴らしい絶景を生み出しています。花の昨季節に訪れると良いです。
アクセス
東京都江東区亀戸3-6-1
探訪レポート
蔵前橋通りは亀戸天神の天神通り商店街となっていますが、有名な「船橋屋」がありますが、その他は普通の商業地という感じです。そこから、神社の参道に入ると、蕎麦屋さんと鰻屋さんとべっ甲屋さんと、門前っぽい雰囲気になります。天神にも三大天神が様々な地域別に選出されています。しかし、例によって様々な主張が絡み合い、日本三大天神の候補は、10社以上あります。うまく収まっているのは、関東三大天神(湯島・谷保・亀戸)あたりかなと思われます。
天満宮は菅原道真を祀る学問の神様というのは、もはや常識の範疇ですが、そもそもは左遷された道真の怨霊を鎮めるために祀り、信仰の対象となったものです。道真の没後、朝廷の要人が次々と亡くなり、そのひとつひとつの死の原因をすべて道真の怨霊に帰着させていくのも滑稽だとは思いますが、左遷したくせに復権させて、元々の左大臣以上の太政大臣の位を送るのですから、朝廷も大真面目に道真を神格化していった訳です。
亀戸天神社は、太宰府天満宮の神官が造営したので、造りが太宰府天満宮とよく似ています。模して造られたのは確実です。スケールがだいぶ違いますが、本社より立派にしないことが愛される理由です。本殿のある広場まで心字池があり橋が3つ掛かっているのも同じです。この3つの橋は、手前から、過去、現在、未来を表しているそうです。境内からは東京スカイツリーが見えます。
心字池に通路が作られて、通路には藤棚が組まれています。藤の花が咲く季節になると、水中庭園のごとき絶景となります。天神様なので境内には梅の木もたくさんあります。太鼓橋の上からこんな風に境内が見渡せます。
通路から心字池と藤棚を眺めます。花が咲いていなくても、心が落ち着く感じがします。池にはたくさんの亀がいます。合格祈願のお礼に亀を池に放すという言い伝えがあるそうですが、誰かが作った都市伝説なので、動物愛護的にやめて欲しいと思います。
こちらが弁財天です。そもそもは、太宰府天満宮にある綿津見神を祀った志賀社を勧請したものだそうです。この心字池の中に建つ志賀社が、上野の不忍池の中に建つ弁天堂と見立てられ、志賀社が弁天社になってしまいます。どちらも水の神様という性質は似ていますが、別の神様です。池に建つお堂という状況が似ているということで、神様が入れ替わってしまう。しかも、神道の神から仏教の神に変わるという不思議な状態です。説明文によると、習合したとのことだが、なんでもあり感は否めない。
信仰の対象である菅原道真が銅像にされることは珍しくありませんが、幼少の頃から様々な年代の像が造られていることが特徴です。ここ亀戸天神社では、5歳の道真像があります。生まれも育ちも一流の天才少年という感じですね。
鷽(うそ)というのは雀くらいの大きさの鳥なのですが、太宰府で道真が蜂に襲われた時、鷽の大群が飛んできて助かったという言い伝えがあります。鷽(うそ)が嘘に通じるところから、前年にあった災いを嘘にして、本年度に吉兆を招くという「うそ替え神事」が全国の天満宮で行われています。神社によって「うそ変え」の行い方が微妙に違います。木彫りの鷽の人形を用いるのですが、太宰府天満宮では「変えましょう、変えましょう」という掛け声で、参加者が手に持った鷽の人形をみんなで交換し合います。何度も交換するので、元々持っていたのがどこへ行ったのか、全くわかりません。最後に木彫りの鷽の人形の底にアタリの印が書かれていた人が表彰されるというゲームのような神事です。亀戸天神社では、昨年の鷽人形を神社に収めて、新しく鷽人形を買い求めることで、「うそ替え」したということになるそうです。亀戸天神社の鷽人形は数段階の大きさが用意されていて、去年よりひとサイズ大きいものを買うという習わしがあるそうです。ゲーム的な大宰府天満宮と違って商業的ですね。湯島天神社や谷保天満宮など、当ブログでこれまでご紹介した天神様でも「うそ替え神事」は行われています。
こちらが手水舎です。天神様なので、合格祈願が有名なのですが、前述のうそ替え神事もかなりの人気行事となっていて、2~4時間も並ばなければならないそうです。他に亀戸天神社は「花の天神様」と称している通り、いくつかのお花の祭り行われています。中でも4月下旬からの藤まつりでは、夜間のライトアップなどもあって幻想的な空間を楽しめます。
神牛です。菅原道真と牛との関わりは有名ですので、説明は省きますが(谷保天満宮の回で書いています)、亀戸天神社の牛は参拝者によく触られていることがわかりますね。触ることで、病を治し、知恵を授かると言われています。
さて、拝殿に到着しました。絵馬がたくさんかけられています。道真が没して20年後、醍醐天皇の子、保明親王が薨去します。これが道真の怨念のためとされ、道真の地位は許の右大臣に戻されます。しかし、更に二年後、保明親王の皇子、慶頼王が没し、その5年後、平安京の内裏の清涼殿に落雷があり、大火事で公卿や朝廷の官人が犠牲となった。醍醐天皇は清涼殿から避難したが3ヶ月後に崩御しました。その3年後、道真を左遷へ追いやったとされる藤原時平の長男安忠が没します。ここから朝廷は北野天満宮に道真を神として祀り、怨霊を鎮めようとします。それが今となっては全国に学問の神として広がっているというのは、なかなか不思議な変遷です。
舞殿です。藤まつりでは巫女さんの神楽が披露されるそうです。他にも各イベントでお囃子や舞が披露される舞台になると思いますが、昨今はなかなかイベントそのものが満足に行えないのが残念です。
亀戸天神社には境内にたくさんの摂末社があります。こちらは御嶽神社です。天満宮と御嶽神社には共通点がなさそうですが、九州の太宰府御岳山から勧請したものだそうです。御岳山は全国あちこちにありそうな名称ですが、太宰府にもあるのですね。祀られているのは大山祇神ではなく、道真の教学の師であった法性坊という僧です。法性坊は第十三代の天台座主でもあり、道真の没後、太宰府天満宮の社殿造営にも関わったそうです。
花園社も、太宰府天満宮から勧請された境内社で、道真の妻である島田宣来子と十四人の御子を祀っています。島田宣来子は道真の師のひとりである島田忠臣の娘で、先生の娘と結婚したという感じですね。安産子宝育児の神様で、立身出世の守護神ということで、安産祈願の帯もいただけるようになっています。
こちらは紅梅殿です。道真は京を離れる前に庭の梅の木に「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という歌を詠みます。その梅が道真を追って、京から太宰府の屋敷の庭に飛んでいったというのが、有名な「飛梅伝説」です。天満宮に梅林が造営されていたり、梅と道真は切っても切れない関係になっています。
訪問時は花が咲く季節ではなかったのですが、天気も良く、奥に見えるスカイツリーも映えて、非常に心地よくお参りできました。華が咲く頃は水面にも景色が反射して、東京都有数の花の名所となっています。
こちらが鷽の人形をガードレールの支柱に利用したものです。歴史上の人物を祀った神社はけっこうたくさんあります。将門神社や東照宮、乃木神社に東郷神社など。しかし、道真の天満宮は異次元のレベルで天神信仰が構築されています。それだけ人々は道真の怨霊を恐れたのだと思います。合格祈願はもちろんなのですが、都会の雰囲気とはガラッと変わった境内で、日常の気分を少し変えるという目的でも、訪れる価値がある場所だと思いました。
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