寺社探訪

寺社探訪とコラム

山 + 神「大山 + 阿夫利神社」

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混雑を避けて平日にやってきましたが、狙った以上に閑散としていました。今回は車で来たのですが、一番近い駐車場がガラガラに空いていました。土日などは朝9時頃には駐車場が埋まると聞いていたので、少々拍子抜けな感じでした。それでも、おそらくこれまでの「山+神」企画の中では一番しんどいと思うので、今回は雨具や熊よけ鈴、懐中電灯なども用意して登ります。トレッキングポールは持っていきませんでしたが、あっても良かった印象です。駐車場から少し歩くと、こま参道という味のある商店街を通ります。阿夫利神社門前町という位置づけになります。

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女坂と男坂があるそうなのですが、女坂の七不思議が提示されています。大山に登るのは初めてですが、女坂の方が見どころも多そうで人気があるようです。御岳山も同じでしたが、チェックポイントが各所にあれば、辿りながら登ることで辛さが和らぎますね。

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こま街道の「こま」は昔ながらのおもちゃのコマです。大山こまという名産品があるそうですが、朝は閉まっているお店が多かったです。それもそのはずで、これから山に登るのにお土産買って持って登る人は珍しいと思われます。通常、帰りに購入するでしょう。お土産屋さんだけでなく、豆腐や湯葉などの料理店が多く、旅館もたくさん並んでいます。現在では大山詣という言葉も馴染みがないですが、江戸時代には庶民の娯楽として絶大な人気を博していたそうです。この門前町も朝からすごい賑わっていたのでしょうね。

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こま参道を抜けると、ケーブルカーの駅に到着しました。大山観光鉄道が運営しています。御岳山や高尾山では、登山のボリューム的には、ケーブルカーを利用することで半分以上省略することができます。しかし、この大山は1/3~1/4程度の省略という感じです。まぁ、感覚的な基準ですが……

だから、大変なのはきっとケーブルカーを降りてからなのだろうと思ってはいたものの、しんどければ下社を参拝して山頂には行かずにケーブルカーで帰ろうと逃げ道を作り、女坂へ向かいました。

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こちらは男坂と女坂の分岐点の階段上にある八意思兼神社です。お祀りされているのは、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)で、造化三神のひと柱とされる高御産巣日神(タカミムスヒ)の子とされています。日本神話に登場する神で、天照皇大神が天の岩戸に隠れた際、八百万の神々に天照皇大神を岩戸から出すための知恵を授けたそうです。また、大国主命の国譲りの後、天津国から葦原中国へ向かう神を選定したり、天孫降臨では邇邇芸命に随伴しています。日本神話の各要所で、知恵の神様として登場します。お社の他には何もなく、ただ登山道の分かれ道にぽつんと建っています。

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八意思兼神社を過ぎてすぐ、川にかかった橋を渡ろうとしたら、ちょうど向こう側からシシ神様がやってきました。野生動物に遭遇したとき、どうすべきなのか? 頭の中でぐるぐる思考が巡ります。思兼神様にお参りした直後なのに、私にはなかなか良い考えが浮かびませんでした。お互いに見つめ合ったままフリーズしていましたが、私が彼らの生息地に土足で踏み入っているのですから、邪魔したくないという思いがあって、動かずに見るともなく眺めていました。そのうちに別方面から2頭のやや小ぶりの鹿が現れて、森の奥の方へ歩いていきました。シシ神様はその二頭が去るのを見届けて、ようやく森の方へゆっくり歩き始めました。

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野生生物に出会ったことにドキドキしました。これが熊だったらどうなっていたかな、などと思うと、小心者なので引き返してケーブルカーに乗ろうかという情けない発想が湧きます。お地蔵様が点々と安置された道を、何度も振り返りながら歩いていると、最後に大きなボス地蔵様がいらっしゃいました。子育て地蔵様だそうです。

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野生生物に神経を尖らせて歩いていると、森の奥や藪の中から、ガサガサゴソゴソと動物たちが生活する音が聞こえてきます。じっと目を凝らして探しますが、私からは彼らを見ることができません。それでも私が動くと彼らも動き出すので、きっと私のことが見えているのだと思います。立ち止まってよーく見ていると、リスがすごいスピードで木に登っていました。

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こちらは爪切地蔵様です。説明によると、弘法大師が道具を使わず、自分の爪で一夜で彫刻したという伝説があるそうです。何事でも集中努力すれば成し遂げられるという教えだそうです。読んでいて、「そんな馬鹿なっ!」と思わず脳裏に浮かんでしまった自分を戒め、合掌して先へ進みます。

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動物たちが音で存在を示す一方、人類は姿も気配もなく、ドキドキしながら山の中を歩いてきました。自分から人が少ない日時を狙っていながら、誰もいないと不安というワガママな状況の中、やっと開けた場所に到着しました。ここは大山寺の客殿だった建物で、おそらく現在はほぼ使用されていない様子。

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その隣りにあるのが前不動堂です。このお堂には現在は何の仏様も安置されていないそうです。お堂に来迎院と書かれてありますが、現在の大山寺がある場所には、そもそも来迎院という寺院があったのです。では、大山寺はどこからやってきたかというと、現在の阿夫利神社下社がある場所にあったそうです。

前不動堂の左にある赤いお堂は倶利伽羅堂と言います。もっと山奥の二重滝の傍にあったそうですが、この地に移転されたそうです。大山寺で唯一の朱塗りの建築物であり、最古の建築物だそうです。不動明王が持つ剣を倶利伽羅剣と言い、剣に燃え盛る炎となって巻き付いている龍を、倶利伽羅竜王と言います。大山寺の開祖である良弁が八大龍王を感得して建てられたそうです。二重滝の傍に置かれたことからも、水の神として崇められていたことが伺えます。現代の令和天皇が国連で水をテーマに演説した際に、「時により過ぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ」という源実朝の和歌を紹介しています。寺伝によると、源実朝がこの和歌を捧げたのが、この大山寺の倶利伽羅堂だとされています。

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見た目に美しいが、登るとなるとけっこう大変。両脇の三十六童子像が、この場の空気を神聖なものに変えてくれてます。ゆっくり眺めながら登ります。階段上には大山寺の本堂の屋根が見えています。

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大山寺は関東三大不動尊のひとつに数えられています。神道、仏教、修験道が混在する神仏習合の山として発展し、江戸時代に大流行した大山詣で、ひとつの繁栄の極みに達した寺院ですが、明治維新で破壊されてしまいました。大山寺については、個別に探訪レポートを書いていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。

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こちらの四角の穴は「潮音洞」と呼ばれるもので、近づいて耳を澄ませると、海の潮騒が聞こえてくるとのことです。

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ちょうどこのあたりを登っている時、崖の下の方から「ガルルル・・・」と犬の唸り声のような音が聞こえてきました。私が歩きだすと、唸り声は止まり、止まって振り返ると唸り声がまた聞こえます。熊ではなさそうだけど、鹿でもなさそうです。野犬か猪かわかりませんが、自分に見えないのに向こうから見られているというのが、恐怖心を煽ります。

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いくら怖くても、慌てて駆け登るには、急階段過ぎます。はぁはぁと息切れしながら、熊よけ鈴をチリンチリン鳴らして登ります。この階段を登りきると、一気に道が開けて、動物が現れそうもない場所になりました。人間の姿も見ることができて、一気にぐったりとしてしまいました。

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そして、ついに阿夫利神社境内に突入。腰を下ろして休憩しましたが、とにかく息が切れてしまって、体力的にバテバテになってしまいました。立つのも歩くのもしんどくて、しばらく座っていました。

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一度バテた後にこの階段は厳しかったです。ゆっくりゆっくり登りましたが、頭の中ではこの先、頂上の奥の院へ登るかどうか、本気で葛藤していました。さすがに、無理をして怪我をしたり、誰かに救助されたりするのは避けたい。とは言え、誰かと一緒に登っている訳ではないから、超ゆっくりペースで登れば、登頂くらいできるだろうという考えもあります。

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大山阿夫利神社下社については、当ブログで個別レポートしていますので、そちらをご覧ください。ここでは必要以上に休憩しました。とにかく息を整えて、体力を回復したい。何十回休憩をとっても、私ひとりなので誰にも迷惑かけることはない。無理なのに登ることだけはご法度にして、この続きに挑むことにしました。

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大山詣が盛んだった頃は、山開きされている時期が決まっていました。今は年中登れますが、シーズンオフであることを示すべく、扉が半分閉まっています。扉の前に小さな御札と大祓が置いていて、自分で大祓を振ってお祓いをして、御札をひとつ頂いて入山します。

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さっきしたばかりの決意が、門をくぐって一歩目で揺らぎます。この階段を上がれない人は大山には登れない、というわかりやすい試験が最初にある感じです。

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無事に階段を上がり終えると、大きな石碑が立つエリアがありました。大雷大神と書かれています。阿夫利大神と書かれているものもあり、これは、大山阿夫利神社でお祀りされている神々なのだとわかりました。

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こちらは「夫婦杉」です。樹齢5~600年だそうです。夫婦杉はいろんな山にありますが、中でも大山の夫婦杉は見事で美しかったです。根っこやしめ縄に張り付いている小さな紙は、入口でいただける御札です。ここに置くのが正解だとは思いませんが、下山してきた誰かが、御札の置き場に困ってこのしめ縄に挟んだところ、たくさんの人が真似をしたということだと思います。

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結構急な山道を登っていると、このように石を積み重ねた場所をよく見かけます。というか、積める隙があったら、積んでいこう、という意思が感じられます。仏教では賽の河原で石を積むという話がありますが、山で石を積む意味ってなんなのでしょうか? 

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既に何度も休憩していますが、バテながらもコツコツ登っていきます。他の登山者も多くて、野生生物の雰囲気が全くしません。やはり、阿夫利神社下社まではケーブルを利用し、そこから登山する人が多いのでしょうね。野生生物たちは仕方なく、人が少ないケーブル区間に降りて、そこで生活しているのでしょう。その区間を私が勝手にお邪魔して勝手にビビっていた訳ですね。

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山に天狗はつきもので、人類は穴の空いた石から、天狗の鼻を連想しました。これ、いつからあるのか文献に残っていないのでしょうか? かなりきれいな丸い穴ですよね。江戸時代からあったのでしょうか、気になるところです。天狗が鼻を突いて空けたとか、ロマンティックすぎるけど、天狗もなんでこんな石に鼻で穴あけようとしたんでしょうか。

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こういう人工的な道が出てくると嬉しくなります。これがあると無いでは、しんどさが格段に変わってしまいます。ただ、こうして整備された道を歩いていると、自然を求めて来たくせに、自然を失う便利を喜ぶという矛盾を感じてしまいます。

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しかし、きつい山道で息切れしてしまいます。何度も休憩して、体力が尽きないようにしながら登っていますので、危険なことはありませんが、一度バテているのでかなりハードです。

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ここは富士見台です。江戸時代には茶屋も置かれていたそうです。この景色の良い場所で、お茶をいただき「もうすぐ頂上ですね」と、ひと休みしていたのですね。江戸時代の人々と同じことを思いながら令和の時代に私が同じ場所に立っているという妄想を膨らませながら、先を目指しましょう。

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富士見台から少し上がったところに、修復されてぐるぐる巻きになったお地蔵様がいらっしゃいました。きっと特別な由緒があるお地蔵様で、多くの方々が祈りを捧げてきたことでしょう。

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もう少しなんて思っていると、その先の道程が楽になり、その後しんどくなります。それでも、登り始めの不安な気持ちはなくなって、やればできるもんだなと思っていました。もうバテる感じはなくて、ゆっくりですが着実に歩いていけます。

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そしてついに鳥居が見えました。この鳥居には銅器職講と書かれていましたので、銅器を扱う職業の方々が寄進された鳥居なのでしょう。

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さらにさらに進んでいくと、また鳥居が。どうやらたどり着いたようです。ここから阿夫利神社本社の神域に入っていく感じですね。鳥居の奥に見えているのが前社で、髙龗神(たかおかみ)が祀られています。

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大山山頂と書かれた石碑がありました。誰でも登れる初級者用の山でしょうが、今回は我ながらよく頑張ったと思います。

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本社の拝殿の扉が閉まっていましたが、横から本社を

見るとこんな感じです。大山祇神がお祀りされています。ちなみに下社には拝殿しかないので、下社でお参りするときにも、下社の拝殿から、この本社に向かってお参りするという感じです。

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こちらが奥社で大雷大神がお祀りされています。こちらもシャッターが閉まっています。前社、本社、奥社で、水の神、山の神、雷の神という配置になっています。

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大山の標高は1252mで低山の部類ですが、景色が開けていて素晴らしい景色です。大きなベンチがあったので、おにぎりを食べてしばらく休憩しました。ここからは、見晴台を通って下山するルートが一般的ですが、今回はバテてしまったこともあって、安全パイを選んで、来た道を引き返しました。

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安全パイを選んだとは言え、この階段を降りるのはかなり怖かったです。年令を重ねるごとに足腰に自信がなくなって、高い場所が怖くなります。見栄を張らず、手すりに捕まって下りました。

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さて、こちらが道中お守りしていただいた御札です。道中安全の御札なので、無事にお守りいただけて感謝しつつ、持ち帰るのもおかしい気がして、どうしたものかと考えました。結局、下社の古い御札置き場に置いてきました。

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下社からの景色もすごく良いです。このあたりになると、もうやりきった感で一杯で、あまり感情が働かない状態でしたが、目に映る景色がとことん非日常で、特別な空間の中にいることだけは理解していました。

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上りは歩いて下りはケーブルカーいう、御岳山と同じパターンです。これを知人に話すと、逆にした方が楽だと言われましたが、どうにも性格的に逆にはできない。しんどいことは先に済ませて、後で楽をしたいタイプです。

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こま参道を歩いて駐車場へ向かいます。病気で食指制限があるので、結局お土産は買いませんでした。今思えば、職場に買って帰れば良かったのですが、休日になると仕事を忘れるタイプなので、残念ながら思い出しもしなかったです。

今日出会ったシシ神様は、今もこの山の何処かで、ゆっくり歩いているのかな? ひとりでフリーズした私を見て、どう思ったかな? などと思いながら、大山を後にするのでした。

 

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