寺社探訪

寺社探訪とコラム

「柴灯大護摩供に行く」

山中や屋外で行う大規模な護摩供のことを柴灯護摩(さいとうごま)と言います。今年の3月にレポートした高尾山の「火渡り祭」も高尾山薬王院の柴灯護摩という行事です。本来は何回も行くことではないのですが、ちょうど仕事がなく、あまりに好天だったので出掛けることにしました。GW中で駐車場が見つけられないと面倒なので電車で行きましたが、これが大誤算。地震で電車が遅れたとかで、超三密の車両に乗り込む事になってしまいました。

真言宗智山派大本山川崎大師平間寺にやってまいりました。川崎大師の柴灯大護摩供は13時からということで、12時前には到着していました。今年既に高尾山で火渡りをしたので、今回は見学目的で火渡りには参加しない予定です。川崎大師平間寺高尾山薬王院は、どちらも同じ宗派で同じ大本山という位置付けです。修験道の流れであることから、高尾山の方が本格的なのかなと想像しながら、賑わう参道を歩きました。GWを通して川崎大師では子供と一緒に楽しめるイベントを行っていました。表参道も仲見世通りも、行き交う人で賑わっていました。

大山門を通って境内に入ると、すぐ左側に柴灯護摩の準備がされていました。檀家さんや地元の方はご存知でしょうけど、「何かあるの?」という観光客の方もいて、境内はたくさんの方がいらっしゃいました。たこやき、焼きそば、金魚すくいなど、出店もたくさん出ていました。今年は3年ぶりに博多どんたくが復活したり、地方ではお祭り復活の兆しが見えてきましたね。東京でお神輿を担いだり行列したり花火上げたりは、まだ難しいのかも知れませんが、三社祭も極々短距離だけお神輿担ぐらしいです。少しずつ実績作って、日本の伝統行事が復活して、楽しみにしている人たちが参加できるようになればいいですね。

そんなこんなで開始時刻になりました。遠くの方から法螺貝の音が聞こえてきます。よくよく見ていると、法衣を来たいわゆる僧侶姿の一団と、山伏の格好をした行者姿の一団に別れているようです。僧侶団は祭壇に向かって右側に陣取り、行者団は左側に陣取るようです。

最初は行者団が一列に並び、錫杖をしゃんしゃん振りながら、般若心経と不動明王真言を唱えました。ちょうど私の斜め前の女性が非常に信心深くて、ちゃんと合掌して頭を少し下げて、お経を聞いていました。すると私の前にいる小さなお婆ちゃんも、その方に釣られて合掌します。するとそのお婆ちゃんのお連れの方も合掌します。すると私の周りに非常に信心深い集団が形成されていき、私もメンバーとしてちゃんと合掌して般若心経を聞いていました。こういうのは、恥ずかしがったりせずに真面目にやってみると、心がスッとして意外に心地良いものです。

この護摩供養の大導師を務める川崎大師の貫主様が表白を読み上げて、周囲の方々にお加持(洒水加持)をします。ちなみに、宗門内のことは我々衆生には関係のないことですが、川崎大師平間寺貫主様は就任16年になる大僧正で、猊下と呼ばれるようなお方です。この儀礼は高尾山でやっていた火切加持と同じ意味合いなのだと思います。洒水器(しゃすいき)に三丈(僧侶が使う法具で、棒のようなもの)の先を浸けて、周囲を浄化していきます。私のいる辺りに向かっても三丈を振り加持をしていただき、私たち信心深いメンバーはスッと頭を下げてお加持を受けました。

ここからは、前回高尾山で見たものと同じ作法でした。修験道では「○○法」などと法則と言いますね。「ああなればこうなる」「こうなるからそうなる」という緻密な法則が所作や作法に内在していて、解説の僧侶がわかりやすくひとつひとつ話してくれました。ちなみに写真( ↑ )は神斧(しんぷ)という儀式です。護摩供に使う木を切り出す所作を行っています。

法弓(ほうきゅう)を四方と中央と鬼門に放ち、この領域に魔が入ってこないようにします。高尾山では放たれた矢を見物客が奪い合い、確かに領域の外に欲望の魔がいることを見せてくれました。川崎大師は受け取り役の僧侶がいて、キャッチボールのようにその僧侶にピュイっと矢を射ます。迫力的に「なんじゃ、それ」と言いたくもなります。

寶剣(ほうけん)は領域内の魔を断ち切る儀式です。この一連の儀式は、山伏団の長老のような方が、ひとつひとつ儀礼の進行を指示し、担当する行者が「承りて候」と中央に出て儀礼を行い元の席に戻り、次の儀礼を長老が指示し、担当する行者が「承ります」と中央に出る、という段取りで行われていきます。高尾山の柴灯護摩供も同様ですが、川崎大師の場合、担当の行者がひとつの儀礼を終える度に、拍手が起こるという現象がありました。満場の喝采ではないのですが、誰かが拍手し、伝播するように広がるという感じでした。

大切な儀式の途中に、不謹慎にも行者さんの足元に目がいきました。むむ、何だこの地下足袋は! 厚底でエア仕様になっています。ご年配の行者さんでしたが、若者と同じように動いて儀礼に参加するために、工夫をしているのだと思います。意外と「山伏あるある」だったりして。

そして、閼伽(あか)と呼ばれる功徳水を護摩壇にかけます。

そして、不動明王の祭壇から移した火(消えてしまいましたが・・・)の前で、願文を読み上げます。そしていよいよ護摩壇に点火となります。

こちらは高尾山では見なかった儀礼ですが、真言宗護摩供では珍しくないものです。大導師がウェィクボードみたいな大きな御札を護摩壇の炎に当てます。通常の護摩供でも御札を炎にかざしますね。熱と煙の中、手を伸ばして炎に当てていらっしゃいました。

そして、撫木(なでぎ)を護摩壇へ投げ入れるのですが、川崎大師の柴灯大護摩供大祈祷会に参加するなら、この撫木を購入されることをお薦めします。300円だったと思います。当日参加されない方々の撫木は、行者さんたちが護摩壇に投げ入れますが、当日参加で撫木を購入した方々は、行者さんの案内で護摩壇の傍に行き、自分で投げ入れます。炎の熱が一番激しくなったあたりで、梵天加持(ぼんてんかじ)が行われました。行者さんが梵天(棒の先にフサフサがついた祈祷具)を持って、会場を回ってお加持をしてくれます。お加持というのは、修行を積んだ行者が、その功徳を衆生に分け与えることです。私たちメンバーも、ササッと合掌礼拝にてお加持を受けました。

僧侶団の団長が大導師の貫主様だとすると、行者団の団長はこの紫の行者姿をした護摩導師様です。不動明王の祭壇と護摩壇に向かって正対し、様々な儀礼を行っています。この護摩導師が座っているのが、何となく平らな石にヒノキやヒバの葉を被せたような場所です。これは本当に山伏が山中で行う姿を表していますね。以前、「山+神」の企画で大山をレポートしましたが、大山の山頂から縄文土器が出土したというので色々掘り返してみたら、修験者が行をした跡が沢山見つかったそうです。千年の昔から、こんな風に、石の上に葉を置いて、そこで行をしていたのでしょうね。

これが今回最も驚いたことです。どこの柴灯護摩でも同様のことをするのかはわかりませんが、見学している方々のお手持ち品を護摩壇の炎に当てるという儀式です。近くにいる行者さんに声をかけて手持ち品を渡すと、行者さんが手持ち品に短く真言を唱えて印を結び、それを炎に掲げてくれます。「えいーーー!」と毎回掛け声をかけている行者さんもいました。だいたい皆さん鞄を渡していましたが、周囲の方々の会話を聞くと、鞄の中の財布が本命のようです。財布だと金欲丸出しだから、鞄に入れて鞄ごと、というのが本意です。山中で厳しい修行を積んだ行者に、金欲丸出しの財布を清めていただくというのは、ご利益というか冒涜のようにも感じます。護摩壇の炎も段々と汚れていっているような気が・・・。それでもこの儀式は大人気で、皆さん鞄を行者さんに渡していました。撫木だって欲だと言えば欲である。欲からの解脱と現世利益の矛盾の中、目の前で巻き上がる炎が一体何なのか・・・

なんて難しいことは置いておきましょう。願いがあるから祈りがあって、心を引き受ける仏法僧が必要なのでしょう。入口と出口に塩が盛られて、火渡りの準備が整ってまいりました。

最初は行者さんたちが渡ります。この日は結構風が強くて、消えたように見える灰が、赤く灯る様子が見られました。両脇に炎がまだ上がっていて熱そうでしたが、火渡りの始まりです。

こどもフェスを開催中ということもあって、行者さんたちの次は子どもたちが渡っていました。子どもたちの次に一般の方々の火渡りになります。誰でも参加できます。渡った後の足拭きスペースとして、シートが敷かれたテントが用意されていました。

ちなみに、火渡り中の僧侶団の方々です。ずっとお経を唱え続けなくてはならず、大変そうです。基本的に僧侶団と行者団は棲み分けがしっかりしていて、進行や読経は僧侶団の役割で、護摩壇に近づいて色々するのは行者団の役割となっていました。

規模的には高尾山の火渡り祭とは大きな差がありますが、規模の大小と素晴らしさは関連しないので、川崎大師の柴灯大護摩供も良い行事でした。特に私は今年二度目ということで見物人になるつもりだったのですが、周囲の方々の信仰心にも感化され、ガッチリ儀式に参加した感がありました。ところで、例の行者さんに手持ち品を護摩壇の炎で清めていただくヤツ。清めてほしい物を思いついたので、来年も参加しようかな。

 

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