寺社探訪

寺社探訪とコラム

曹洞宗 泉岳寺

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曹洞宗 泉岳寺 目次

名称・寺格

萬松山泉岳寺と称する曹洞宗の寺院です。港区の青松寺、板橋区の総泉寺と共に曹洞宗江戸三箇寺のひとつとされています。

創建

慶長17年(1612年)、徳川家康今川義元を弔うために、外桜田(現在の桜田門付近)に創建します。寛永18年(1641年)の大火で焼失後、高輪の現在地に移転しました。

本尊

釈迦如来

ご利益

大石内蔵助が討ち入りの際に髷に収めていたとされる摩利支天の勝守が販売されています。

みどころ

禅宗らしい質素で美しい佇まいと、赤穂義士墓所がみどころです。坐禅会や学寮講座にも無料で参加できます。

アクセス

東京都港区高輪2-11-1

都営浅草線泉岳寺」徒歩3分

JR山手線「高輪ゲートウェイ」徒歩7分

探訪レポート

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閑静な町並みの中にあります。泉岳寺は駅名にもなっていますので知名度は抜群ですが、私が最初にその名を知ったのは、有名な泉岳寺のトンネルです。ホイチョイ・プロダクションズの「メッセンジャー」という作品にも登場しましたが、とにかく天井の低いトンネルで、ニセ芸術愛好家を気取っていた私は、泉岳寺のトンネルの写真を撮りに行った思い出があります。それはさておき、一般的には泉岳寺赤穂義士が葬られていることで有名ですね。禅宗らしく質素で味のある門を入っていきます。

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右手に数店舗のお店が連なり、小さくも仲見世通りがありますが、私が訪れたときは、1店舗だけお土産屋さんが営業していました。仲見世通りを抜けると、大石内蔵助良雄の大きな銅像が立っています。私の世代の方は、毎年のように年末になるとテレビで忠臣蔵のドラマが流れていたので、そのストーリーはなんとなく頭に入っていると思います。ドラマだけでなく、小説や歌舞伎や講談など、あらゆる表現方法で扱われてきた題材ですね。

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立派な山門があり、ここから境内に入っていきます。忠臣蔵のストーリーを超簡単に説明してみます。赤穂藩主の浅野内匠頭が、江戸城吉良上野介という上級官僚に斬りかかります。周囲に取り押さえられ、吉良上野介は事なきを得ます。時の将軍徳川五代綱吉の逆鱗に触れ、浅野内匠頭は即日切腹させられ、赤穂藩主の権限も取り上げられてしまいます。一方、吉良上野介はお咎めなしです。浅野内匠頭の家臣たちは、吉良上野介に復讐したい気持ちを抑えて、不服に思いつつも幕府の命令に従い、浅野家の再興を目指します。しかし、浅野家の再興は無理だろうとなった時、筆頭家老だった大石内蔵助率いる四十七人の赤穂藩士たちが、吉良邸に討ち入って吉良上野介の首を跳ね、泉岳寺浅野内匠頭の墓前に捧げました。そして、四十七士のうち四十六人に切腹の命が下り、藩主浅野内匠頭が眠る泉岳寺に埋葬されました。残るひとりがどうなったかは謎だそうです。赤穂事件は諸説ありなので、真相はよくわかりませんが、このような仇討ちストーリーが民衆の支持を受けて様々な作品となった訳です。

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境内は中心に常香炉があり、右に寺務所や受付のある建物、正面に本堂、左に堂宇などがあります。朱塗りのものがなくて、生成りの堂宇に統一されている様子は、禅宗らしい静謐さを感じます。

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立派な中門に比べて本堂は小さめです。禅宗の寺院は、派手さがないだけに気持ちが引き締まりますね。本尊は釈迦如来像です。曹洞宗では釈迦牟尼如来と言いますね。扁額には「獅子吼」と書かれています。仏教では獅子が吼えるがごとく力強い説法のことを指します。

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こちらは鐘楼堂です。大正2年に造られた梵鐘だそうです。桜の季節に訪れたので、良い感じの写真になりました。

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山門の裏側ですが、立派な松の木が立っています。お坊さんがひとり、ご老人の来客の対応をしていました。ご老人が松の木に興味を持たれて、色々と質問をしていました。実物を見るとかなりの迫力です。寺の境内ではなかなかお目にかかれないレベルの松の木なので、訪れた際にはぜひ注目してください。

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境内は左に奥深くなっていて、資料館などもここにあります。泉岳寺では年に2回、赤穂義士祭という行事が行われます。大石内蔵助と四十七士に扮した方々が町を練り歩き、墓前で菩提を弔うという儀式です。最近では年末に忠臣蔵を見ることはなくなってしまいましたが、赤穂義士祭では多くの方がお墓参りに訪れます。

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こちらは「血染めの石」と「血染めの梅」です。浅野内匠頭江戸城吉良上野介に襲いかかって取り押さえらた後、江戸城から不浄門を出て田村邸に幽閉されました。浅野内匠頭は大名なので、本来は屋内で切腹が世の習いだったそうですが、既に罪人として扱われていて、田村邸の庭先で切腹されたそうです。その際に血がかかったとされている石と梅の木だそうです。

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こちらは「首洗い井戸」です。討ち入りを果たした後、吉良上野の助の首をこの井戸で洗って、浅野内匠頭の墓前に捧げたそうです。美しい境内ですが、血なまぐさい遺跡が続きます。

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突き当りは墓所になります。浅野内匠頭赤穂義士墓所があります。この墓所へは、見学の方はご遠慮くださいとのこと。つまり、心からご供養の気持ちで訪れてくださいという泉岳寺からのメッセージです。泉岳寺の心意気に応じて、撮影はやめておきました。

赤穂義士一色の寺院の印象ですが、そもそもは徳川家康今川義元の菩提を弔うために立てた寺院です。また、僧侶が仏教を学び修行する場所を学寮と言いますが、泉岳寺曹洞宗の江戸三学寮のひとつとされていました。現在でも修行をされている僧侶や、一般向けの講座も開設されています。忠臣蔵の物語は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材として広まったもので、史実とは違っているというのが最近の定説ですが、ではどこが違っていて、本当はどうであったか、というのはたくさんの説があり、決定的なひとつに絞れません。史実を知りたい気持ちはありますが、謎がそこかしこにあるからこそ、いつまでも人々の興味が尽きないのかもしれませんね。

 

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