名称・寺格
萬頂山(ばんちょうざん)高岩寺(こうがんじ)と称します。通称、とげぬき地蔵尊として有名です。特に寺格はありません。
創建
慶長元年(1596年)に、扶岳太助という僧が湯島の地に建立しました。60年後に下谷屏風坂に移り、明治24年に区画整理のために巣鴨に移転してきました。
本尊
ご利益
身体健康、病気平癒
みどころ
商店街とセットで有名です。おばあちゃんの原宿と呼ばれた時代もあり、商店街で買い物をして、とげぬき地蔵にお参りをするご年配の方々で賑わっていました。現在では若い方も多くて、一層賑わう商店街の姿が見られます。
アクセス
東京都豊島区巣鴨3-35-2
JR山手線「巣鴨」徒歩10分
探訪レポート
巣鴨駅を降りるとすぐに巣鴨地蔵通り商店街が始まります。日曜日の午後でしたが、想像以上に賑わっています。そしてイメージよりも商店街は長くて大きいです。「おばあちゃんの原宿」という異名もあったので、年配者向けの洋品店がやや多めという印象です。それもひと昔前の話で、今では若者も多く訪れ、東京の有名観光地のひとつとなっています。お土産やお饅頭やお煎餅など、門前町特有のお店も多くあります。
商店街に面するように山門が建っています。大理石張りの山門は珍しいですね。商店街は多くの方々が行き交うのですが、中には山門の前で足を止めて手を合わせてから通り過ぎる地元の方らしき信心深い方もいらっしゃいました。観光地になっていますので、境内もたくさんの方がいらっしゃいます。参道の両側には、お守りや記念品のようなもの、お土産のようなものが売っています。
手水舎も山門と同じ大理石張りです。鳥除けのためか、丸い目玉が吊り下げられています。手水舎は新しそうですが、中の水器は古そうです。私が手水舎を使っていたとき、隣に外国人の方がやってきました。手水の作法をどこかで学んでから来たのか、教科書に書かれているように正確にしていました。
境内はそれほど広くないので、すぐに本堂が見えます。本堂はコンクリート造りで、昭和32年(1957年)のものです。地蔵菩薩は子どもを守護する仏様であったり、旅の安全を守ってくれる仏様であったりするので、庶民からの信仰が厚くて、全国各地にあります。寺院の敷地内に限らず、道端や辻などでも、赤い頭巾と前掛けをつけたお地蔵様が大切に信仰されています。そんな地蔵菩薩を本尊としているお寺は、そんなに多くない印象です。曹洞宗寺院であれば釈迦牟尼如来像が多いのではないでしょうか。
高岩寺の本尊の地蔵菩薩は秘仏となっていて、本尊の姿を写した「御影(おみかげ)」と呼ばれる紙に祈願したり、紙を飲んだりするそうです。紙を飲むとか危険なように感じますが、これこそがとげぬき地蔵の由緒と絡んでくるお話なのです。
正徳3年(1713年)5月、江戸小石川に住む武士の田村又四郎の妻が産後病気を患って床に伏し、又四郎が妻の信仰していた地蔵尊に病気平癒の祈願を続けました。すると夢に黒衣を着た僧が現れ、その僧のお告げに従って、地蔵菩薩の姿を印じた紙(御影)1万枚を川に流しました。すると妻の夢枕にも黒衣の僧が現れて、錫杖を振って死魔を追い払ったそうです。それから妻の病気は日に日に快方へ向かい、ついには全快したという言い伝えがあります。
「とげ抜き地蔵」という名称は、このお話の第2話から生まれます。噂を聞いた毛利家に出入りしている西順という僧が、又四郎に頼んで地蔵菩薩の御影を2枚譲り受けます。ある日毛利家の女中が口にくわえた針を誤って飲み込んでしまい、医者も手の施しようがない状態に。そこで西順が地蔵菩薩の御影を飲ませると、女中が地蔵菩薩の御影を吐き出しました。よく見ると、飲み込んだ針が地蔵菩薩の御影を貫いて一緒に吐き出されていたというお話。このようなご利益を受けた話がいくつも話題になり、体に限らず心のトゲも抜いてくれる「とげ抜き地蔵」として心身健康のご利益が有名になったということです。令和の現代でも、健康を願う方々が常香炉( ↑ )で煙を浴びていました。
本堂の左側に、お地蔵様がたくさん安置されています。おそらく、いろんな時代にいろんな場所で、いろんな願いを受け止めてきたお地蔵様が、いろんな事情でここに集められているのかなと思います。
その隣には境内社の小僧稲荷が建っています。○○稲荷という名称は限りなくあると思うのですが、小僧稲荷というのは初めてお目にかかったものです。一応由緒もちゃんとあって、昔々、和尚様に大切にされていた狸がいて、和尚様亡き後のお寺の境内を汚したり荒らしたりする人々を、三つ目の小僧に変身して驚かしていたそうです。人々がそんな妖怪に恐れてしまったので、そこでお寺は境内に小僧稲荷を建てて、懇ろにお祀りしたそうです。と、言っても隣の「洗い観音」の絶大な人気には叶いません。洗い観音に並ぶ列専用の柵ができているほどです。こちらは1657年の明暦の大火で妻を亡くした檀家の屋根屋喜平次が、妻の供養のために高岩寺に寄贈した聖観音像ですが、いつからか水をかけてこするとその部分の病気が治るという信仰が生まれました。あまりに人々にこすられすぎて、初代の観音様は引退されたそうで、現在の二代目はタワシの使用が禁止されています。タオルを持参するか、隣の出店で売っています。本尊の地蔵菩薩より人気があるのではないかと思うくらいの行列ができていました。
さて、高岩寺には関係ないのですが、そのまま都電荒川線に乗ろうと電停に向かうと、地蔵通り商店街の出口(入口?)あたりに大きな庚申塚があります。ここまで立派な庚申塚は珍しいですね。庚申信仰はそもそも中国の道教に由来するもので、日本で信仰される対象も、仏教や神道やその他様々ありますが。こちらは神道バージョンですね。庚申塚は神道では猿田彦大神をお祀りしますが、奉賛会まであって大切に護られています。そもそも庚申塚は町の境界や辻に建てられたもので、巣鴨地蔵通り商店街が江戸五街道の一つ、中山道だったということもあって、この庚申塚には茶店も建てられていて賑わっていたそうです。
巣鴨駅側の巣鴨地蔵通り商店街入口(出口?)には真言宗豊山派の眞性寺があり、こちらも観光客で賑わっています。入口と出口とその間にお参りポイントがあって、江戸時代から栄えてきた通りが今も賑わっているのは素晴らしいですね。地方だと商店街の維持が厳しくなっているので、東京ならではの光景になって来ています。現実には外からはわからない厳しさもあるでしょうが、「古き良き」をいつまでも感じさせてくれる町であり続けることでしょう。
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