名称・寺格
亀頂山(きちょうざん)密乗院(みつじょういん)三宝寺(さんぽうじ)と称する、真言宗智山派の寺院です。寺格は特にありませんが、江戸期までは末寺を擁する本寺格の寺院でした。
創建
応永元年(1394年)鎌倉大楽寺の幸尊が創建し、文明9年(1477年)太田道灌によって現在地に移転された。
本尊
ご利益
大黒堂に開運出世小槌があり、金箔奉納することができます。
みどころ
広い境内に様々な堂宇が建立されています。堂宇の多さもさることながら、一つ一つの完成度が高く、特に四国八十八ヶ所お砂踏み所は、とても良くできています。
アクセス
探訪レポート
三宝寺は宝亀閣という葬儀式場を運営していて、練馬区の指定斎場になっています。駐車場も広くて使いやすい式場で、何度となく仕事で訪れたことがあります。宝亀閣には何度も来ているのですが、道路を挟んだ三宝寺を訪問したことはありませんでした。いつもは車で宝亀閣にダイレクトINなのですが、今回は西武線の石神井公園駅から徒歩で訪れました。この辺りって公園に近いからか、高級住宅街なのですね。晴天の日曜日なので、石神井池の周辺は余暇を過ごす多くの人で賑わっていました。余談ですが、石神井という言葉は、縄文時代の古い信仰「ミシャクジ」と関連付けられることが多いです。私にもう少し知識が付けば、縄文信仰を探る特別企画もできたらと思ってはいます。さて、ペダルボートを漕いだり、釣りをしたり、自作のラジコン船を浮かべたりと、思い思いに過ごす人々を眺めて歩くこと15分程で、三宝寺に到着しました。
入口にいらっしゃったお地蔵様、頭が落ちた形跡が見られますね。その左に建つ石碑には、「守護使不入」と書かれています。これは鎌倉・室町時代に、幕府の指定する特別な領地に、守護やその役人が侵入することを禁止したというものです。この三宝寺を創建した幸尊がいた鎌倉の大楽寺というのは、今は存在しない寺院なのですが、このあたりの僧侶や寺院の歴史を辿ると結構面白いですよ。東寺真言宗の総本山の東寺や、真言宗泉涌寺派の総本山の泉涌寺、大山不動などに関わる願行上人にたどり着きます。
山門です。徳川三代家光が鷹狩りを行う際に立ち寄ったことから、御成門と呼んでいます。文政10年(1827年)建立の門で、境内で最も古い建築物です。派手さはないですが、味わいのある山門です。
右手に鐘楼堂があります。こちらは裏側なのですが、光の関係で裏側からの写真を採用しています。この鐘楼堂は新しくて戦後建てられたものですが、鐘楼には由緒があり、延宝3年(1675年)に、江戸の増上寺の鐘が鋳造された時、その余った銅で造ったものだそうです。有り難いやらなんとやらな感じです。
手水舎です。本堂の左手前に大黒堂があるのですが、団体参拝されている方がいて、大黒堂をバックに並んで、それぞれのスマホで記念撮影をしていました。15人ほどいたので、「はい、撮りますよ~、はいチーズ」を15回繰り返している途中だったので、私は大黒堂は後でお参りすることにして、本堂へ向かったら、そのまますっかり忘れてしましました。参拝客で混雑している寺院ではないので、このようなこともアリだと思いますけどね。
常香炉と本堂です。三宝寺は真言宗智山派の寺院で、現在の住職は真言宗智山派の前管長で、日本仏教会の元会長という、仏教界の中枢で活躍された方です。三宝寺はかつて50カ寺程の末寺を擁する大寺院でした。今でも積極的に堂宇の建造や境内の整備がなされていて、静かな中にエネルギーを感じる寺院です
三宝寺はバワースポットとしても有名です。昔々の話になってしましいますが、ASAYANというTV番組の中で、モーニング娘のオーディションのための合宿がこの三宝寺で行われていて、道路を挟んだ宝亀閣から撮影の様子覗き見たのを思い出します。本堂を左に行くと、奥に向かって藪のような小山のような場所があり、そこが四国八十八ヶ所お砂踏み所となっています。
小山の藪の中に道が作られていて、その道を辿るのですが、これが途中で離脱できないので、入ったら最後まで行くか、引き返すかしかなくなります。石碑にそれぞれの霊場の情報が刻まれていて、お砂踏み所ですからひとつひとつお参りすることで、実際のお遍路と同様の功徳を得られるという仕組みです。四国八十八ヶ所お砂踏み所は各所にありますが、三宝寺のものはただ並んでいるだけでなく、小山の森の中を巡る感じで、お砂踏みしたい方にはおすすめです。
奥の院にあたる大師堂です。奥まったところにあるので、静寂というか、秘境感が漂っています。
弘法大師像もあります。こちらの弘法大師は横幅もあって威厳が感じられます。お遍路姿に見受けられますので、修行大師像ということだと思われます。
ここからは新しく整備されたエリアに入ります。大きな多宝塔でとても目立っていますが、根本大塔となっています。高野山の根本大塔とよく似ています。扁額は「大毘盧遮那如来法界體性塔」と書かれています。毘盧遮那仏は真言宗では万物をあまねく照らす宇宙の根源である大日如来と同一視されています。法界とは仏教の教えが説く、あるがままの世界というような意味です。體性の體は体という意味です。根本大塔の名の通り、大日如来に関する真言宗の教えの根本となる建物なのだと思います。
根本大塔の裏に平和観音があります。だだっ広い場所にそびえ立つ感じで、かなり目立ちます。実際に大きな十一面観音菩薩像で、高さが9mあるそうです。結構汚れが目立っていますが、これがもっと年月を経ると、色が馴染んで汚れだか味わいだか、わからなくなっていくのでしょう。
平和観音の奥に観音堂があります。根本大塔と平和観音と観音堂が新しい堂宇エリアになります。如意輪観音菩薩がご安置されているそうです。広々としていて、気持ち良い空間です。
観音堂の横から裏にかけて、古い墓石や石塔がたくさん並べられています。様々な仏様や個人の墓石があって、ひとつひとつの由緒がわかったら興味を惹かれますが、ただ並んでいるだけなので写真的に映えるのみです。
こちらは寺務所的な正覚院と境内通理の様子です。整然として掃除も行き届いています。室町時代にこの地を支配していた豊島氏の祈願寺として石神井城と共に建立され、その豊島氏を滅ぼした太田道灌によって移転され、徳川の時代には大寺院として庇護を受けた三宝寺ですが、明治維新の廃仏毀釈の影響を大きく受け、火災や関東大震災や太平洋戦争も重なって、一時は相当に荒廃してしまったそうです。
こちらの門は勝海舟邸にあったものだそうです。一時、成増にあった兎月園という温泉型レジャーランドに移設されていたそうです。取り壊し処分になるところを、教育委員会などの要請を受けてこの地に移設したそうです。「海舟書屋」という扁額が掲げられています。
三宝寺池に立ち寄ってみました。こちらは水生生物マニアのような方がたくさんいました。大きなレンズの付いたカメラを構えた人も多くいて、知る人ぞ知る、貴重な場所なのだという印象です。石神井池とは違って、植物に覆われた池で、たしかに昆虫がたくさんいそうでした。周囲の公園を含めて、三宝寺は外から見る以上に奥深く、気持ちを落ち着けてゆっくり拝観できる寺院でした。
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