花園神社 目次
名称・旧社格
花園神社と称します。江戸時代は花園稲荷神社として宿場町「新宿」と共に発展し、明治に入ると、名称登録の際に「花園」を書き忘れるという珍しいミスのために、単なる「稲荷神社」に改称され、その年のうちに花園稲荷神社に改称しました。昭和40年、本殿の建て替えと同時に末社の雷電神社・大鳥神社を本殿に合祀した際に、花園神社と解消しました。旧社格は郷社です。
創建
創建は不明です。徳川家康が江戸・武蔵国に入ったときには存在していたとされています。大和国の吉野山から勧請したとされています。
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 日本武尊(ヤマトタケル) 受持神(うけもちのかみ)
御神徳
主祭神は食物や商売の神様ですが、宿場町で演芸などを担ってきた歴史から、芸能に厚いご神徳があるとされています。
みどころ
新宿の繁華街から最も近くにあり、年末年始や例大祭や酉の市の際には多くの人々が集まります。
アクセス
東京都新宿区新宿5-17-3
東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営地下鉄新宿線「新宿3丁目」徒歩0分
探訪レポート
新宿の寺社でまず最初に名前が上がるのが、この花園神社ではないでしょうか。新宿の繁華街の中にあり、いつも境内が賑わっている印象です。花園神社という名称からは、どんな神様を祀っているのかわかりませんが、花が咲く場所にあったことが想像できます。入口に「花園稲荷神社」と書かれている通り、朱塗りの建造物が多く、見た目で稲荷神社だとわかります。食物や商売の神様ですね。
鮮やかな朱塗りの手水舎は、柄杓を使わずにセンサー式で水が出る仕組みになっています。花園神社は、正面の参道は明治通りに面していて、横からの参道が靖国通りに面しています。手水舎はその両方の参道の交差点にあり、どちらから入っても利用しやすい位置にあります。
境内社も稲荷神社です。威徳稲荷神社と称し、少し臙脂がかった色の鳥居で、短いですが千本鳥居の形になっています。
威徳稲荷神社は昭和3年4月に建立されたと記録にあるそうです。小さくても拝殿と本殿があって、立派なお狐様に守られています。
本殿に向かって左に宝物殿があります。中には本社神輿と雷電神輿と獅子頭か安置されているそうです。これらは2年に1度の本祭で使用されるそうです。
宝物殿の正面に神楽殿があります。例大祭や酉の市などの行事の際に神楽や太鼓が奉納されます。
本殿は階段を上がったところにあります。何度も火災で消失し、その度に再建してきたそうですが、現在の社殿は昭和40年に再建されたものです。花園神社は稲荷神社なので御祭神は倉稲魂命
(うかのみたまのみこと)です。拝殿に上がると、扁額が3つ掛けられていて、花園神社、雷電神社(受持神)、大鳥神社(日本武尊)と書かれています。雷電神社と大鳥神社は、境内社として祀られていたものを本殿に合祀したそうです。
くすんだコンクリートが古さを際立てている社務所です。授与品や御朱印など求めることができます。新宿はその名の通り宿場町として栄えました。宿場町の中でも、花園神社は芝居などのエンターテイメントを担っていたそうです。徳川家康が江戸に入る前から花園神社は存在していたそうです。徳川家の世となり新宿が栄えるに連れ、花園神社も町の賑わいの中心的な役割を果たしていきます。ご由緒に大和国吉野山より勧請されたとなっていますが、奈良の吉野山といえば、当時は修験道の聖地です。修験道と稲荷社にどんな接点があるのか知りませんが、おそらく花園神社も神仏習合の神社のような寺院のような時代があったんでしょうね。
こちらは芸能浅間神社という境内社です。浅間神社なので、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っています。木花咲耶姫命は子授けや安産の神様として有名ですが、花園神社では宿場町の頃から受け継がれてきた芸能の神として信仰を集めています。全く関係ないと思いますが、境内の裏側に吉本興業の本社があるのも何かの縁なのでしょうか。
こちらが靖国通りからの参道です。骨董市をよくやっている印象があります。お祭りの際には靖国通りの歩道に出店が並んで、大変な賑わいになります。新宿は今や東京の象徴のような街です。その新宿の鎮守の社としては、少しおとなしいというか、派手さに欠ける気もします。しかし、この街で生きる忙しい人々の束の間の信仰を受け入れるために、ただそこに存在し続けることに大きな価値があるのでしょう。
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