住所:東京都台東区三ノ輪2-14-5
名称:天台宗 養光山 金錍院 永久寺
創建:南北朝時代
本尊:阿弥陀如来
上野から日比谷線に乗り、三ノ輪で降りるとすぐです。小さなお寺ですが、駅前の繁華街に墓地を備えて運営されています。本堂と社務所と住宅がひとつになったような、モダンな建物が正面にあります。
この寺院の創建は南北朝時代と言いますから、600年以上の歴史があります。門が閉まっていることがあるという情報があったので、開いていて良かったです。
長い歴史を持つ永久寺ですが、最初は真言宗で、禅宗や日蓮宗に改宗し、江戸時代に天台宗となったそうです。寺名も唯識院、白岩寺、大乗坊蓮台寺と、改名を繰り返した歴史があります。永久寺というのは、山野永久という死刑執行人をしていた人が、処刑者の供養のためにこの寺を再興したからだそうです。
入って左に不動堂があります。以前、寺社を訪問する際にネットで情報を得てから伺うと書いたことがあります。口コミなども見るのですが、永久寺の口コミは過去イチで酷い内容でした。御朱印を求める人と寺院との間には、意識の差があることが多いと思います。その差を埋めるのは訪問者ではなく僧侶の役目だと思うのは、傲慢な衆生の考えでしょうか。
さて、私は御朱印集めをしていないので、不動明王にお参りをして帰ります。目黄不動尊は2つあると言われていますが、江戸の外にもいくつかあります。そもそも江戸五色不動の始まりに関する伝承は矛盾点や不明点が数多くあって、真実は歴史の闇の中です。江戸時代に浅草寺雷門の横にあった勝蔵院という寺院に安置されていた明暦不動尊が訛って、メキ不動尊と呼んでいたという噂があります。明治40年に勝蔵院がなくなり、目黄不動尊が各地で名乗られ始めたという説ですが、噂の域を出ないものです。過ぎた昔は取り戻せないというロマンです。
徳川三代家光が天海の具申によって5つの不動尊を選定したという、現在では真実ではないとされていることが真実かもしれません。家光が五色不動を選んだものの、江戸の民衆に響かず忘れ去られ、明治後期になってから民衆に広まったのかもしれません。
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