寺社探訪

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浄土宗 回向院


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回向院 目次

名称・寺格

諸宗山 無縁寺 回向院 と称する浄土宗の寺院です。寺格は特にありません。

創建

明暦3年(1657年)、明暦の大火で被災した菩提を弔うために、徳川幕府(四代家綱)の命で建立されました。

本尊

阿弥陀如来

ご利益

命あるものすべてを供養する寺院です。毎日16時から誰でも参加できる勤行会をしています。境内には願い事が叶う塩地蔵や、病気が治る馬頭観音像、強運を授かるねずみ小僧の墓などがあります。

みどころ

本堂の阿弥陀如来像とその後ろの千体地蔵尊は必見です。すべての命を供養する寺院ですので、動物供養等がたくさん建っています。ねずみ小僧のお墓と塩地蔵は多くの方がお参りされています。法話カフェを開催したり、SNSを利用して情報発信したりと、庶民のための開かれた寺院です。

アクセス

東京都墨田区両国2-8-10

JR総武線「両国」徒歩3分

都営大江戸線「両国」徒歩10分

探訪レポート

JR両国駅から徒歩圏内です。国技館のある相撲の街ですので、焼肉店やちゃんこ店が並んでいたり、力士の手型が道路脇にあったり、相撲の雰囲気が駅周辺に漂っています。回向院はそもそも、江戸の町の6割を焼き、10万人の死者が出たとされる明暦の大火で亡くなられた人々の菩提を弔うために、徳川四代家綱が建立しました。

回向院といえば動物供養が有名ですが、このような由緒から、人だけでなく生きとし生けるもの全てを弔うという精神が根底にあるのですね。諸宗山 無縁寺 回向院 という名称が意気込みを表しています。どんな宗派でも、無縁の仏でも、ここで回向しますという心意気です。山門を入ると、石畳の参道が奥へ伸びています。15年ほど前は葬儀の仕事で時々訪れていましたが、その頃以來の訪問で、境内がずいぶん変わった様子が伺えます。

現在は両国に国技館がありますが、それ以前は蔵前にあって、昭和生まれの方は蔵前国技館に馴染みが深いのではないでしょうか。さらに時代を遡ると、国技館は両国の回向院境内に建てられた施設なのです。江戸時代の相撲は、公共事業などの資金を集めるために行われていた勧進相撲というもので、寺や神社の境内で行われていました。明和5年(1768年)に初めて回向院境内で勧進相撲が行われて以來、明治42年に旧両国国技館が完成するまで、江戸の相撲といえば回向院相撲でした。

こちらは、血統書を発行する団体が建てた慰霊碑です。世界の流れとしては、犬猫の無秩序な生体販売は禁止されていき、登録制や資格制度が設けられ、犬猫を飼うためのハードルは高くなっていく傾向にあります。人の無責任な都合で犬猫を殺さない仕組を作る流れになっています。日本はこの辺の意識が世界的に遅れていて、年間何万の命が人の手で殺されています。世界の流れが日本に及ぶかどうかはわかりませんが、血統書の発行をやめるというのも、犬猫を救うひとつの手段だと思います。

こちらは万霊供養塔です。天女姿の聖観世音菩薩像がご安置されていて、塔婆を見ますと関東大震災などの供養がずっと続けられていることが伺えます。この万霊供養塔こそ、回向院の成り立ちや存在意義を表していて、生きとし生けるもの全て、人であれ動物であれ、すべての命を供養するという象徴となっています。

こちらは私がよく訪れていた頃にはなかった建物で、念仏堂だそうです。かつてはここに小さなお堂があったと記憶しています。それを建て直したのでしょうか。明らかに現代設計デザインで、大きなプロジェクトとして建てられた感がします。天空の極楽浄土をイメージした、念仏堂、書客殿、僧院がひとつになった建物だそうです。

2013年の竣工だそうです。厳かというか、綺麗すぎて近寄り難い雰囲気があります。塔婆に「善光寺一光三尊如来」と書かれています。善光寺の本尊は日本最古の仏像と言われている一光三尊阿弥陀如来像ですが、ひとつの光背の中に阿弥陀三尊がいる形式で、善光寺阿弥陀三尊と言われています。江戸時代後期に作られた回向院の阿弥陀三尊像もこの善光寺阿弥陀三尊で、現在は回向院の市川別院にご安置されていて、この両国の阿弥陀三尊像はそれを模して少し小さめに作られたもながご安置されているそうです。さらにその型を取って七体の阿弥陀三尊像を作り、台座に22000人を超える人々の署名を記した結縁交名帳を納めて東日本大震災で被災した東北の寺院に届けられたそうです。

木遣塚です。明暦の大火の犠牲者供養のためという精神を引き継いでますので、関東大震災第二次世界大戦の空襲など、回向院も被災しながら、犠牲者に対する供養をしてきました。おそらく江戸火消しの方々とも深い繋がりがあったと思われます。

慈母観音です。慈母観音は水子供養のためにご安置されることが多いのですが、回向院では水子供養をする場所が他にあります。こちらの慈母観音はなぜここにご安置されているのかよくわかりませんが、母のような慈愛に満ちた仏の加護に包まれたいけど水子にはあまり関係がない、という方々がお参りするとちょうど良いですね。社会に揉まれて生きていると、癒やしが必要な時ってありますからね。

本堂はビルのようになっています。中は広い空間になっていて、心を落ち着かせてくれます。回向院の本尊は銅製の大きな阿弥陀如来坐像で、本尊の後ろに千体地蔵尊がご安置されています。本堂の入口頭上にある梵字は「キリーク」といって、阿弥陀如来を表しています。

本堂の前に珍しい不動堂があります。ガラス張りの置物のように、一本足の土台に安置されています。

こちらは回向院の歴史を表すような石碑が様々に並んだエリアになります。災害などで亡くなられた方の供養塔が並んでいます。一番右にあるのが明暦の大火の供養塔で、一番左にあるのが関東大震災の供養塔です。

犬猫供養塔と書かれています。犬猫は人と共に過ごす動物なので、人が世話をしなければいきていくことはできません。野犬や野良猫は存在しますけど、本来の人に飼われる姿からはかけ離れて不完全な状態を余儀なくされます。犬猫が保健所に引き取られる理由の多くは、飼い主の病気や死亡だそうです。犬猫の寿命は20年程で、晩年になると病気や介護で時間的にも経済的にも大変です。そのところをよく考えて、安易に飼わないことをお薦めします。愛護団体の審査が厳しいとよく言われますが、愛護団体の審査に通らないということは、犬猫を飼う資格が無いと判断されたということなので、参考になると思います。

こちらは水子供養塚です。たくさんのお地蔵様に囲まれています。地蔵菩薩は人々を救済するために地獄までもお供してくださる仏様です。仏教の考え方では幼い子供が亡くなると、親を悲しませたこととこの世で功徳が積めなかったために三途の川を渡れないと言われています。川岸で石を積んでその代わりをするのですが、鬼に邪魔されて苛められしまいます。その姿を見守り導いてくださるのが地蔵菩薩とされています。不敬な話になりますが、どうして風車なんでしょうね? どこでも水子供養のお供物は風車です。たぶん江戸時代あたりからずっと風車なんでしょうね。おそらく令和の次の次の次の時代になっても、風車一択なのでしょう。

こちらにはお参りされる方が結構いました。ここはねずみ小僧次郎吉の墓です。大名屋敷ばかりを狙って盗みに入り、せしめた財を庶民に配ったという義賊伝説が有名で、多くの芝居や映画や時代劇になっています。銭形平次と違ってねずみ小僧は実在の人物で、まだねずみ小僧が捕縛される以前から、このような義賊伝説が江戸中で流布されていたそうです。実際には博打と女と酒のために、敷地が広くて盗みやすい大名屋敷を狙っていて、盗んだお金を庶民に配っていたという話は無いそうです。勝手な推測ですが、そんな話が出来上がってしまうほどの良い人物だったのではないかと思います。とにかく長年にわたって捕まらなかった強運にあやかるために、お前立の墓石を削って御守にするということらしいです。

回向院建立を命じた徳川四代家綱の愛馬が亡くなった際に、回向院で供養することを命じられました。そこで回向院二世の信よ貞存上人が馬頭観音像を祀ったのが始まりです。回向院では犬猫の火葬もしています。納骨堂もあって多くの方が利用されています。

こちらも犬猫供養塔です。様々な団体が供養塔を建てているのですね。並んだ塔婆の数を見ると、本当に大切に供養されていることがわかります。

回向院はすべての命を供養するという他に、江戸時代には出開帳の寺院としても有名でした。出開帳というのは、遠方の貴重な仏像や有名寺院の仏像を江戸に運んできて、江戸の人々に披露するというものです。今で言う博物館や美術館の展示の仏教版ですね。以前当ブロクでご紹介した「最澄と天台宗のすべて」という東京国立博物館で開催された展示会があったのですが、天台寺院の秘仏として普段は見れない仏像が多く展示されていました。私がこの展示を見に行くきっかけとなった東京調布市深大寺の元三大師像は205年ぶりの出開帳だったそうですが、205年前に出開帳されたのも回向院だったそうです。相撲にペットに出開帳と、回向院がまさに庶民と共に歩んできた寺院だということがよくわかります。

 

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