名称・寺格
瀧轟山(りゅうごうざん)明王院 と称する、真言宗智山派の万願寺の別院です。
創建
本寺の万願寺は平安時代末の創建とされています。等々力不動尊は興教大師の夢のお告げで開かれたので、おそらく平安末期の同時代だと思われます。
本尊
ご利益
みどころ
都内唯一の渓谷があり、滝が流れる自然を感じられる遊歩道があります。
アクセス
東京都世田谷区等々力1-22-47
東急大井町線「等々力」徒歩10分
探訪レポート
環八通りと多摩堤通りの間にあります。写真を見ていただけるとわかりますが、訪れたのは去年の12月頃です。おそらくお正月に向けての準備で、境内に長ーい小屋が建てられているところでした。等々力不動尊は、等々力駅の北側にある万願寺の別院という位置づけです。おそらく創建当時は全く別々に開基されたのではないかと思います。等々力不動尊の創建にまつわるお話を読んでいると、どこかで見たようなお話で、目黒不動尊の創建にまつわるお話とよく似ています。
等々力不動尊を創建したのは新義真言宗系の高祖である興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)ということです。山岳信仰の祖である役行者(役小角)が彫った不動明王像が夢に現れ、関東に結縁の地があると告げられた覚鑁が、その不動明王像を背負って関東へ行くと、夢で見たのと同じ渓谷があったので、錫杖で岩を突くと滝が流れ出したというお話です。とりあえず真言宗系は、この錫杖をついたら水が出る話が多いです。
こちらは境内にある大師堂です。真言宗の寺院なので、弘法大師空海のお堂がいくつかあります。
本堂は不動明王をご安置しています。由緒にある役行者の不動明王は現存していませんが、江戸時代末期の建物がそのまま残っています。本堂の右手に「四季の花」というお休み処があって、くず餅やソフトクリームなど甘味が味わえます。
本堂の左は授与品や御朱印や護摩祈願の受付になっています。ここから渓谷を見下ろす廻廊のようなものが高い場所を渡っていて、見晴らし台になっています。
12月の初旬なので、見事な紅葉が見られました。ここから渓谷へ降りていく階段があります。東急の駅から等々力渓谷を歩いてきた場合は、この階段を上がれば本堂という感じです。階段を降りたところにまたお休み処があり、くず餅やお汁粉など甘味がいただけます。
不動明王は右手に剣を持ち、左手に羂索(けんさく)という麻縄を持って、憤怒の形相をしています。この不動明王が持つ剣を倶利伽羅剣と言って、不動尊にはこのように倶利伽羅剣そのものを碑として置かれているのをよく見かけます。目黒不動尊にもありますね。
滝の方へ降りず、先に渓谷と反対の方へ向かいます。下っていくと朱塗りの橋があります。こちらには弁天様が安置されている弁天堂があります。
弁天池も備わっています。
何もない広い場所を更にに進むと、地蔵尊がありました。松ぼっくりがお供えされている意味がわかりませんが、優しい心の小さな子がお供えしたのかと思うことにします。境内の端っこにぽつんとありますが、お花も新しくてきちんとお世話されているのですね。
階段まで戻ってきました。下から見上げると見晴らし台はこんな感じです。
階段途中に手水舎があります。渓谷を通ってお参りされる方用なのでしょう。ここから見下ろす景色も素晴らしいですね。
階段を渓谷方面に降りていくと、小さなお堂がいくつかあります。ひとつは不動明王、一番大きいお堂( ↑ )は神変堂、もう一つはわかりませんでした。神変堂は等々力不動尊の開基にまつわる不動尊を掘ったと言われている役行者を祀っているお堂です。修験道の開祖ですから、修験道の絡んでいる寺院には神変堂がよくあります。高尾山薬王院や目黒不動尊にもありますね。
こちらが不動の滝です。チョロチョロですが、興教大師が錫杖を突いて穿った穴から吹き出た滝ということです。滝の手前に弘法大師像と観音像が並んでいます。奥にあるお堂には不動尊とお稲荷様が並んで祀られています。
既に溪谷的な湿気と言いますがマイナスイオンと言いますか、空気が違っています。利剣の橋を渡りまして遊歩道が始まりますが、もうちょっと立ち寄ります。
橋を渡って少し上がったところに稚児大師堂があります。他のお堂に比べて立派です。仏教を開いた釈迦は、天と地を指差す誕生仏や、苦行でガリガリの苦行仏や、横向きに寝転んだ涅槃仏など、様々な釈迦の人生の場面を像にして信仰されています。弘法大師も同様で、こちらはまだ剃髪する前の子どもの姿の弘法大師像です。弘法大師の生誕1200年記念として建てられたそうです。
等々力渓谷の遊歩道を進むとすぐまた橋を渡り返し、トイレなどがある広場に行きました。すると、揃いのジャンパーを着た年配の男女が通る人に声をかけていました。どうやら、ボランティアでガイドをしているようです。私は「こんにちは~」と言われただけで、ガイドの対象外だったと思われます。更に進んでいくと都の史跡として指定されている等々力渓谷第3横穴( ↑ )があります。これは古墳時代後期から奈良時代にかけて造られた、地域の有力農民の墓だそうです。中からは3体の遺体と副葬品、祭儀を行った跡などが発見されたそうです。
渓谷沿いの遊歩道に戻ります。等々力渓谷の触れ込みで、23区内とは思えない自然を感じられるなどと言われていますが、大田区世田谷区の多摩川に近いエリアは結構自然豊かです。私はよく奥多摩に行くので、この水路を溪谷と呼ぶのは迫力不足と感じてしまいますが、たしかに気持ちは落ち着き、歩いていると心地良いです。
ただ歩くのには良いのですが、等々力渓谷で時間を過ごしたり、家族で遊んだりするには何も無さすぎる感じがします。自然と言ってもここまで人の手が入っているのですから、王子駅付近の音無親水公園のような場所を作っても良いような気がします。
この赤い橋で遊歩道は終了です。というか、こちらが駅側なので、ここから始まりですね。
等々力渓谷の入り口です。私事ですが今回は自家用車で来ています。なので、またこの渓谷を通って、階段を上がって、山門前の駐車場まで帰ります。等々力不動尊は割と大きめの駐車場がありますので、参拝者が多い特別な日でなければ、駐車できそうです。
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