お経を写す写経は、そもそもは経典を複写して仏教を広めるために行われたものですが、平安時代には既に写経すること自体が功徳を得たり、祈願を成就させたり、亡き人への供養になったりする手段とされていたようです。現代では心を落ち着かせる精神修養的な目的が多いように思われます。御朱印をいただく前に納経をするのが当然だとおっしゃる方も多いとは思いますが、御朱印を授与する側も求める側も、納経にこだわるとトラブルになってしまうので、お金で解決している気がします。
さて、私自身は御朱印を集める習慣もなく、写経には一切触れずに生きてきました。今回写経をしてみようと思ったのは、真言宗総本山の東寺で開宗1200年記念事業の一環として、皆さんで国宝の五重塔へ納経しましょうというイベントが行われていたからです。東寺は高野山金剛峯寺と並ぶ真言宗の総本山で、高野山真言宗とか東寺真言宗とかに分派していますが、大雑把な私にとっては同じ真言宗の総本山です。
写経にも作法が色々あって、ただ書き写すだけではないと聞いたことがあります。1字書いては1巻経を唱えるというのもあるそうです。とりあえず最初にダイソーに筆ペンと練習帳を買いに行きました。案の定、練習帳に作法などが書いてありましたが、簡単そうで難しいことが書かれています。まずは心を落ち着けて精神集中できる環境をつくること。写経をする部屋がゴチャゴチャ散らかっていては雑念が入ってしまいます。場所づくりから始めるのですが、場所より時間が難しい。家の中で写経以外のことを考えずに数時間を過ごすというのが、簡単そうに見えてなかなか難しいです。家にいる間にやるべきことの優先順位の上位に写経がなかなか上がってこないのです。寺院や集会所で写経会をすることは、かなり実利のあることだと思いました。
そして、なんと半年間も手つかずで放置された練習帳をようやく開く時が来ました。きっかけは特にありません。いい加減に始めなくては、真言宗開宗1200年記念が、1201年になってしまうからです。写経の練習と言っても、実際やってみると筆ペンの練習です。練習帳に筆ペンの上手な使い方が解説されていますが、なんでも説明書を読まずに使うタイプなので、とりあえず書き始めます。筆ペンとはいえ、やはり難しい。力の入れ具合で線が太くなったり細くなったり、ハネや払いも難しく、書こうとした文字と書き上がった文字が全く違うというジレンマに苦しみます。日頃葬儀でお位牌を扱いますが、美しい文字を書く僧侶の方々に対する尊敬が湧き上がります。また、どんな力加減でも同じ太さの字が書けるボールペンやシャープペンは、すごい技術なのだと再発見しました。
練習は毎日少しずつという感じですが、モティベーションを上げるため、東寺のサイトから写経セットを申し込みました。申し込んでから1週間ほどで、ポストに入っていました。東寺から私宛の郵便物とか、それだけで胸熱です。私の筆の握りが悪いのだと思いますが、受験生の頃から無駄に力の入った握り方になり、長時間ペンを握ると握力が限界に達します。なかなか練習が進まないのに本番の用意が整ってしまいました。
ダイソーの練習帳をひと通り済ませるのに1ヶ月少々かかりました。それほど上達した感じはありませんが、本番の写経は榊莫山先生のお手本の字をなぞるタイプのものなので、そこまで念入りに練習しなくても良さそうです。ただ、2枚しかないので、失敗できるのは一度だけです。
榊莫山先生のお手本のクセが強くて戸惑う場面もありましたが、概ねスムーズに写経できました。一気に書き切りましたが、そもそも集中力が続かない性格なので、良い修練になります。書き上げた用紙を返信用封筒に入れてポストに投函すると、東寺の五重塔に納めていただけるはずです。私ごときの書いたものが、私が死んだ後も国宝の中で保管されるなんて有り難いことです。当初の目的はこれで達成ですが、筆ペンで字を書くことを楽しいと思うようになりました。やろうやろうと思っても半年間放置した写経を、この先も続けて行く可能性は低いですが、何か機会があればまた書きたいと思います。
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