寺社探訪

寺社探訪とコラム

「灌仏会(花まつり)に行く 2023」

2021年は増上寺、2022年は築地本願寺と、2年連続で灌仏会というマイナー行事に参加しています。フリーランスなので仕事が無いのは有難いことではないのですが、今年もお休みだったので灌仏会花まつり)に行ってまいりました。

近頃の関東地方は天気が不安定で予報がコロコロ変わる空模様ですが、増上寺では灌仏会花まつり)の法要が行われました。毎年4月4日から7日まで御忌大会(ぎょきだいえ)という宗祖法然の忌日法要をしています。灌仏会よりも大々的な行事で、4日間かけて多くの僧侶が参加して様々な法要を行います。1度そちらの方を観に行ってみたいと思っているのですが、今年も灌仏会のみ参加可能でした。

一昨年は大殿正面の階段下の広場で行われていました。理由は定かではありませんが、今年は階段上で行われるようです。11時から開始予定で、10時45分頃に到着しました。増上寺には去年は花見にもやってきて、その後も葬儀の仕事で何度か来ました。特にどこか見物したいところもなく、なんとなく階段を上がって灌仏会の会場となる階段上のエリアの前まで来てしまいました。するとまばらだった人々が集まり始め、もうすぐ始まる雰囲気になりました。会場の下見だけしてどこか別の堂を見学して時間潰ししてから戻ろうと考えていましたが、面倒になってそのまま見学者の最前列で待ってました。特等席で申し訳ないです。

この小さな仏像は誕生仏といい、釈迦が誕生したた姿を表しています。右手で天を指差し、左手で地を指差し、「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説があります。こんな姿の赤ん坊がいたら見てみたいですが、この誕生仏は甘茶を並々と注いだお皿の中に立っています。釈迦への感謝を込めて柄杓で甘茶を誕生仏に注ぐと、ご利益が得られるということで、宗派を問わずこの日は境内に花御堂を設置している寺院が多いです。

法要が始まります。大寺院のトップの方の呼び名は貫首とか貫主とか山主とか管長とか様々ですが、増上寺では法主と称しています。導師を務めるのは増上寺法主の小澤憲珠大僧正台下です。増上寺法主の敬称は猊下ではなく台下を付けるようです。お付きの僧を従えて、恭しく始まります。奥に増上寺境内にある明徳幼稚園の園児が並んでいます。私は幼稚園事情の知識は皆無ですが、聞き分けの良い子が多く、大声を出したりふざけたりする子がいなかったです。先生たちが厳しく押さえつけてる感じもなくて、自然体でこんな感じなのかと驚きました。みんなおもちゃのような数珠を持っています。これは入園時にひとりひとつずつ配られると、周囲の人が話していました。

まずは園児が歌を披露します。合掌して礼拝するジェスチャー付きの歌でした。私は自分自身が新興宗教の家庭に生まれたので、子供の頃から宗教活動に参加して育ちました。親が子の信教の自由を奪う二世問題には深い関心があって、たとえカルトではない伝統的宗派でも、親によって二世問題は引き起こされると考えています。しかし、神仏を信じて敬虔になる行動が心を豊かにすることも知っています。そのために、小さな子どもが神仏に手を合わせる姿を見ると複雑な気持ちになります。誰かにバシッと気持ちが収まる説法を聞かせてほしいものです。とはいえ、目の前で歌うこの子たちが、親に信教の自由を奪われているとは思いませんし、幼い頃の神仏に触れた体験が、命を大切にする心を育むこともあると思います。私の甥は奈良の法隆寺幼稚園を卒園していますので、何が記憶に残っているのか聞いてみたいものです。

さて、読経が終わり法主台下が誕生仏に甘茶を注ぎます。お付きの僧がお世話をします。良い政治が行われ平安な世の中になると、甘露の雨が降るという言い伝えがあると司会の僧侶が説明されていました。甘茶の由緒には様々な説がありそうです。

次に園児たちが花を供えて甘茶を注ぎます。ここでも大騒ぎしないしふざけたりしない。どうしたらこんな子に育つのか、明徳幼稚園に興味が湧いていしまいました。港区に住む家庭の子たちですから上流階級のイメージがありますが、だからといってまだ5歳とかですからねぇ。

全員が甘茶を注ぎ終えると、お釈迦様の誕生を祝うような内容の歌を歌います。数珠を振り回したり壊したりする子はいません。あ、ひとりちょっと、お行儀が……。さてさて、歌が終わると、園児の代表が法主台下に花束を送りました。誕生日なのは釈迦なのですが、どういう意味なんでしょうね。

法主台下から園児たちへ法話です。灌仏会は釈迦の誕生を祝う儀式なので、この世に誕生した子どもたち向けの行事になっている寺院が多いです。去年訪れた築地本願寺でも、子どもたちに向けて法話がありました。法主台下は言葉を選んで話してましたが、ところどころ子どもには難しすぎる言葉が入っていました。今日集まって甘茶を注いでくれたお礼と、両親や仏様に感謝して楽しく幼稚園の生活を送ってくださいという内容でした。

そして、次に法主台下から、訪れた一般観覧者に向けて法話がありました。私たちは様々な宗派に分派して、自分の宗派の宗祖のことは念頭にあるが、お釈迦様のことを忘れがちです。という切り出しでした。これは葬儀業界で働く私には「あ、そうかも」とピンときました。いつも何宗何派ということを念頭に置いて葬儀を行うから、そういう宗派の違いに敏感に対応する毎日を送っていると、釈迦がどうであったかを考えなくなってしまっています。

僧侶たちが退席すると、スーツを着たスタッフたちが経机や法具、音響設備を猛スピードで撤去します。フリーランスで働いているので、こういう寺院行事のスタッフの仕事を依頼されることが数年に1度ありますが、私は請負ったことが無くてよくわかりません。寺院行事のスタッフ業務は、実務時間に比べて待ち時間が長すぎるので、くたびれると聞いたことがあります。

そして一般の方のお参りが始まりました。花御堂の前に賽銭箱が置かれ、ちゃっかりしてるなと感心します。お賽銭を投じる→2列に並ぶ→柄杓が空いたら花御堂に進んで甘茶をかける→前方の大きめの誕生仏の写真を撮る→合掌して念ずる、という順序で進んでいました。甘茶をかけるのは、どういう作法が正しいのかよくわかりません。いつどこで得た知識なのか、それが正しいのかもわかりませんが、とりあえず3回かけておきました。釈迦誕生の際に天に八大龍王が現れて地上に甘露を降り注いだという伝説が甘茶を注ぐ謂われとのことですが、誕生日だからといって甘いお茶を頭からかけられて嬉しいかという疑問を持つ人も自分だけではないはずと思いつつ、伝統に倣い神妙に甘茶をかけました。

そして、慣習に従って誕生仏を写真に収めます。後でこの写真を見て、むむっと思ったのが左の立て札です。「寄進 釈尊誕生仏 静寛院宮」と書かれています。静寛院宮というのは、第14代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮の出家後の名前です。明治維新後は京都に戻されるも徳川家と江戸市民に寄り添って、徳川家菩提寺である増上寺に埋葬されることを望んだという、時代劇などでも大人気の人物です。和宮が寄進した誕生仏とは凄い、と一瞬おののきましたが、実は「寄進 釈尊誕生仏 壱躰 静寛院宮奉賛会」と書かれていることが別の写真から判明しました。

甘茶が振る舞われていたので、私も一杯いただきました。口に含んだ瞬間は美味しくもなく不味くもなく、少しして甘さが広がります。甘茶を飲むのはこの時くらいですので、ああ、こんな味だったなと思い出しました、甘茶や灌仏会の説明が書かれたプリントが置かれていました。

境内を見ると結構な行列が出来上がっていました。帰りに隣の安国殿に行ってみると、初参りの読経が行われていました。参拝場所の内側の畳の間に赤ん坊を抱いた家族が数組座っています。今になって子ども政策を掲げる政党が増えていますが、やはり人口が減っていく社会は生き辛いと思います。生まれてきた子に罪はないので、罰を受ける理由もありません。変遷する社会の中、両親と神仏に感謝して楽しく生活できるようにと願うばかり。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・仏閣ランキング