小平神明宮 目次
名称・旧社格
小平神明宮と称します。旧社格は郷社です。
創建
明暦2年(1656年)水利に乏しく不住の地だった当地を開発するために移住した人々の守護神として創建されました。
御祭神
天照皇大神
みどころ
緑の木々に囲まれた細長い参道は、ここが神域であることを感じさせてくれます。
アクセス
東京都小平市小川町1-2573
探訪レポート
木々が鬱蒼と茂る入口です。神社の入口にはよく「〇〇神社」と書かれた石碑が建っているのですが、それがないので余計に入口が狭く感じます。鳥居に大きなしめ縄のぼんぼり(玉垂れと言うそうです)が掛けられています。
こちらは戦捷紀念碑です。以前武蔵野八幡宮を訪問した際、戦争の祈念碑は犠牲者の供養だけでなく、戦争に勝った記念碑や戦争で活躍した英雄を称える碑もあるはずだけど、そういうのは戦後教育に塗り潰されてしまう。というようなことを書きましたが、戦争に勝った紀念碑が小平神明宮にありました。写真の真ん中に砲弾が飾ってありますが、戦捷紀念碑の左側に「戦利品」という石碑が建っています。戦争を推奨する訳ではありませんが、日本人は戦争に負けて、戦争に関わることは全て悪と教育する社会を作りました。戦争に勝つことの意義なんて、文字にするのも憚られるほどに。
こちらは当地(小川村)の開拓碑です。小川という地名ですが、小川さんという名主が、不毛の地だったこの地を開拓する許可と、開拓者たちの拠り所となる神社をこの地に置くことを幕府(御代官)に願い出ました。多摩郡殿ヶ谷村(現在の瑞穂町)の阿豆佐味天神社(あずさみのあまつかみのやしろ)の摂社である神明宮の御祭神を勘定することが許され、当地に鎮座されました。
こちらは天満宮の牛です。小平神明宮では相殿に天満宮(菅原道真)、山王宮(大山祇神(おおやまつみのかみ))、愛宕神社(軻遇土神(かぐつちのかみ))を祀っています。それぞれ、菅原道真は明治42年(1909年)に合祀されました。やはり牛は銅製のもので、撫でられてツルツルになっているのが味だと思う今日この頃。ともあれ、幕府から玉川上水の水路を引く許可を得て、この地を開拓した人々の拠り所ですから、生活密着の神様ばかりですね。お稲荷様がいませんが、当時は各家庭にあったのかもしれませんね。
手水舎です。すっかり柄杓なしが市民権を得ましたね。柄杓を使った手水舎の作法は、きちんと覚えていると、見ていて美しさを感じます。ああ、日本人の振る舞いだなと思わせてくれます。
非常に立派な境内社があります。扁額には御井神(みいのかみ)、水波能売神(みずはのめのかみ)と書かれています。井戸の神様と水の神様です。この地は「逃げ水の里」と呼ばれるほど、水利に乏しく住むには厳しい環境でした。水は生活に欠かせませんから、土地を開拓する人々にとっては、玉川上水から引いた水で田畑を耕作できるかどうかはまさに生命線で、神の力に縋りたい思いだったことでしょう。この水は地下125mから汲み上げていて、汲み上げた水はまた地下に浸透させているそうです。
授与所がありました。交通の便がそこまで良くないので、訪れる人は少なめだと思いますが、この地の人々の歴史と共にある神社なので、大切に守られていくと思います。
ガラス戸の御神輿庫です。ガラス戸だと見学できるのが良いですね。神輿と太鼓が保管されていました。よく、日本からブラジルに渡ってジャングルを開拓した人々がTVで紹介されますが、入植というのは相当のエネルギーが必要だと思います。生活が整っていない状態で、うまく進むとは限らない努力を毎日続けていくのは大変な苦労です。そんな時に神社の祭りで心を強くして耐えてきたのだと思います。小平神明宮でたくさんの行事が盛大に行われているは、そんな先人たちの気持ちを受け継いでいるからなんですね。
さて、長い参道をついに本殿まで来ました。主祭神は天照皇大神です。万物の創生発展を司る太陽の神様です。小平神明宮はたくさんの行事が行われているのですが、最大の行事は春に行われる八雲祭で、昔氏子中に病気が流行した際に、神輿に摂社の八雲神社の御祭神を載せて廻ったというのが起源です。神輿の渡御や各氏子地域の神輿の集結などはこの八雲祭で行われています。神社の最重要儀式である例大祭には、幼稚園の子ども神輿や奉祝奉納演芸会が行われます。他にもどんど焼き、節分、名越のお大祓、新嘗祭、星祭り、年越大祓などなど、生活の節目となるようなお祭りをしっかりと実施しています。
集合タイプの摂社は7社あります。こちらは東殿三社です。右の春日神社の御祭神は建甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)です。奈良の春日大社も第1殿と第2殿の御祭神ですね。武芸の神、心身鍛錬、健康保持、慈悲の神としてご神徳があります。中央の八雲神社は祇園信仰なので御祭神は健早須佐雄神(たけはやすさのおのかみ)です。人命救助、疾病・災難・苦悩の除厄招福のご神徳があり、山林農業、漁業の守護神とされています。左の八幡神社の御祭神は品陀和気神(ほんだわけのかみ)こと応神天皇です。文化の創造聖教の徳、子育てのご神徳など。
こちらは西四社です。右から順にご紹介します。稲荷神社の御祭神は倉稲魂神(くらいねたまのかみ)と書かれていましたが、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)のことです。稲は日本人の源ですから、生命の祖神としてお祀りされています。農業・商業の守護神として絶大な人気があります。次が秋葉神社で、御祭神は迦具土神(かぐつちのかみ)です。カグツチは火を司る神様です。防火の神、農耕の神、工業の神とされています。次に熊野神社、御祭神は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)です。縁結び、延命長寿のご神徳があるとされています。最後に白山神社です。御祭神は白山比咩神で、商道の神で、和解・調停・回心など、人生に和と結びの道を授けます。名だたる神社が並んでいますので、とりあえず祈願ごとを伝えれば、いずれかの神様が何とかしてくれそうです。
ところで、スピッツの草野マサムネさんが学生時代によく小平神明宮に参拝していたそうです。草野さんは武蔵野美術大学に入学されていたので、小平神明宮から近いですね。スピッツが人気を獲得した作品「ロビンソン」のメロディはこの神社で閃いたという都市伝説があります。ロビンソンは私にとっても人生の節目に出会った曲で、よく聞いていた思い出があります。ロビンソンのメロディがこの神社のどこに眠っていたのかわかりませんが、そう思って境内を歩くと特別な時間を過ごしているような気になれます。
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