杵築大社 目次
名称・旧社格
杵築大社(きづきたいしゃ)と称します。旧社格は村社です。
創建
慶安年間(1648-1651年)、出雲国松江藩の藩主松平直政が、当地を御用屋敷として鷹狩場とした。その御用屋敷内に直政が杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷社を勧請したことが始まりです。
御祭神
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
みどころ
国譲りの神話で有名な出雲大社を勧請した神社です。三多摩地域に現存するものの中で2番めに大きいとされる、明治時代に造られた富士塚があります。
アクセス
東京都武蔵野市境南町2-10-11
JR中央線「武蔵境」徒歩5分
探訪レポート
武蔵境駅前の繁華街にほど近い杵築大社に参りました。杵築大社というのは島根県の出雲大社の元の名称です。出雲大社の創建は日本神話の中で大国主大神から天照皇大神に国譲りをする条件として、大国主が自らを祀る神社を求めたというお話に基づいていますので、無理やり西暦に当てはめると紀元前1000年より古い話と思われます。そんな出雲大社が、杵築大社から出雲大社に名称を変更したのが明治4年(1871年)ですから、神社の歴史に比べるとほぼ最近のお話ですね。
さて、当地に杵築大社を勧請したのは松江藩主の松平直政ですが、松江藩ということで、出雲大社(杵築大社)を勧請したのですね。松平直政は結城秀康の三男で、結城秀康は徳川家康の次男で、幼少期をずっと人質として過ごしたことでよく小説やドラマに登場する人です。直政は徳川三代将軍家光のいとこに当たります。十代の頃から大坂の陣で活躍して、祖父家康からも認められ、兄を超える存在となり、徳川将軍家の信頼を受けて出世した人です。直政の鷹狩場であったこの地は貞享年間(1684-1687年)に幕府の直轄地となったのですが、神社はそのまま残されたそうです。
こちらは千本イチョウと呼ぶそうです。千本は大げさですが、不思議な感じで成り立っています。これは主幹5本と支幹40数本から成り、見るからに御神木として丁重に祀られています。武蔵野市の文化財に指定されています。
本殿です。徳川家の一族が建てた神社なので、賽銭箱のど真ん中に葵の御紋が付いています。御祭神は大国主大神と事代主大神です。事代主大神は島根県の日本海に飛び出した先っぽにある美保神社から、戦後、昭和21年に勧請したそうです。大国主が大黒天、事代主が恵比寿天ということで、大黒天と恵比寿天の黄金コンビが実現した訳です。美保神社は事代主大神を祀る神社の総本社のような位置づけです。日本神話を見ても、出雲大社は伊勢神宮と並ぶ日本の二大神社なのですが、参拝の方法が通常よくある「二礼二拍手一礼」ではなくて、「二礼四拍手一礼」なのです。ですから当然、出雲大社系列であるこの杵築神社もそうなのかと思っていたら、説明書きに「二拝二拍手一礼」と書かれていました。現実は教科書通りではありませんね。
この東屋風の建物は祈願者待合所です。祈願者以外の使用を禁止していて、入り口が塞がれていました。神社入口の道路を挟んだ反対側に参集殿があるのですが、ここはどのように利用されている場所なのでしょうか。
神楽殿です。扁額に干支が書かれていますね。武蔵野市の無形文化財に「むさしの囃子」というのがあって、杵築大社の例大祭でも披露されます。
本殿右側に境内社の八坂神社があります。お祀りしているのは素戔嗚大神です。素戔嗚大神は大国主大神から見て6代先祖であり、嫁の父でもあるという訳のわからない関係です。素戔嗚大神は伊邪那岐から生まれ、天照皇大神の弟ですから、天津神(天の神)なのですが、天照皇大神の有名な「天の岩戸伝説」のお話にあるように、追放されて国津神(地の神)になっていますので、素戔嗚大神の子孫は国津神です。大国主大神は国造りをした神様で、国津神の主宰神とされています。
神輿殿です。このお神輿も例大祭のときには武蔵境の町へ渡御します。
本殿の左側に稲荷社があります。お祀りされているのは豊受大神です。宇迦之御魂神ではないのですね。どちらも食べ物を司る神様なので稲荷社に祀られる違和感はありません。豊受大神は伊勢神宮の外宮の主祭神であり、稲荷神としても祀られていて、天津神か国津神かよくわからない不思議な存在です。正当な出雲神社系列の神社なので、国津神だけで構成されている神社だと思っていたのですが、曖昧な感じになってしまいました。ちなみに宇迦之御魂神は境内にある別の松平稲荷社にご安置されています。
境内の奥のエリアに移動します。ここには日露戦争の戦役紀念碑と武蔵野八景碑が建っています、武蔵野八景碑は甲武鉄道が開通し、境駅開設10周年の記念に明治32年に建てられたもので、武蔵野の優れた景色の紹介が書かれています。甲武鉄道というのはかつて存在した私鉄の会社で、現在のJR中央線「御茶ノ水」から「八王子」区間を運営していました。武蔵野八景碑は、武蔵野市の文化財に指定されていて、説明板が置かれています。
境内の左側から奥にかけて、築山のようになっています。築山に入り口があり、階段が掛けられています。ここを上がると金刀比羅宮があります。お祀りされているのは大物主大神です。大物主大神は日本書紀と古事記で解釈が違っていますが、大国主大神の和魂(にぎみたま)とされています。
社務所の横に池があり、橋がかかっています。この橋を富士橋と呼びます。社務所は閉まっていて、周囲にいろんなものがごちゃごちゃに置いてあります。
橋を渡ると、富士山登山口という石碑と鳥居があります。この築山を富士山に見立てた、いわゆる富士塚です。明治14年に境本村と近隣22町村で構成される富士講・丸嘉講によって建設されました。山頂には富士浅間神社を勧請しています。祀られているのは木花咲耶姫命です。多摩地域で二番目ということで結構大きいのですが、直線的に登るのですぐに頂上です。蓮舫さんの声が聞こえてきそうですが、こうなると多摩地域最大の富士塚にも登ってみたくなるのが人の常です。
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