御会式というのは、宗祖の命日に行われる大法会で、本来は特定の宗派の行事ではないらしいのですが、実質的には日蓮宗の行事を指す言葉になっています。昨年の10月に寺社探訪目的で雑司が谷の鬼子母神に行ったのですが、それが偶然にも御会式の日でした。あまりの人の多さに、お堂ひとつも撮影できませんでした。どこを写しても被写体が人で埋め尽くされるほどでした。
さて、今回は御会式目的なので、人が多いのは覚悟の上です。ということで、東急池上駅にやってまいりました。日蓮の命日は10月13日なのですが、池上本門寺では11日から13日間までの3日間に渡って御会式が行われます。メインイベントは12日の夜に行われる万灯練供養です。仏事に於いても、12日の夕方から翌日にかけて、ぶっ通しで読経をするというものがあります。私は12日の朝に大学病院に予約があったので、昼12時30分から行われる、誰でも参加できる法話を聞きに行きたいと思っていました。法話を聞いて、境内を巡ってお祭りの雰囲気を少し味わったら帰ろうかなと思っていました。
池上駅に到着したのは16時半頃。もう法話はとっくに済んでいます。池上駅では本門寺参拝用の臨時出口を使って、街にどんどん人を送り出していました。駅前は警察官が大量導入され、爆発寸前のただならぬ雰囲気となっていました。
私はかつて大田区で配達の仕事をしていて、池上エリアを回っていたこともあります。本門寺とこの町がいかに一心同体なのかはわかっているつもりです。ちなみに池上エリアは東京都屈指の配達最適エリアです。道が広くて路駐しやすく、碁盤の目になっているので、スキルがなくてもすごいスピードで配達できます。
池上駅から参道を歩き、総門に到着しました。警察官が立ち止まらずに進めと圧力をかけてきます。すごい人出だと思っていたら、周囲の地元民が、まだこの時間だからガラガラだよね~と言っていました。
総門を入ると階段です。本門寺の階段は96段あって「此経難持坂」と呼ばれています。信者だった加藤清正が寄進したのだそうです。ここまで露店の誘惑にも負けず来たので、先に大堂(本堂)にお参りしましょう。それにしても、駅から本門寺まで、すごい数の露店でした。
この時点で17時頃だと思いますが、まだお祭り前という雰囲気です。仁王門が見えます。池上本門寺の御会式はひと晩で数十万人が集まるそうです。この日は万灯行列もありますので、駅からの参道も境内の参道も一方通行なのだそうです。
諸堂の前にも露店がズラリ。沢山の種類がありますが、やはりたこ焼きや焼きそばが人気のようです。子どもたちが楽しそうに射的やくじをしていました。今時の子どもでもああいうの楽しいのですね。友達同士の小学生は皆、出店やクラスメイトや近所の大人や、多すぎる情報にキョロキョロと混乱しつつ、忙しそうに早足で何処かへ去っていきます。
大堂前は特に警察官がたくさんいます。警察だけでなく消防や救急も万全の体制を整えているようでした。実はこの時、朝の病院で受けたMRI検査の磁気が影響したのか、背中が痛くて危なかったのです。大田区内にかつて通っていた病院があり、境内に救急車も待機していたので、もしものときでも大丈夫だと安心していましたが、何事もなくて良かったです。急性の肝炎とか膵炎とか胆管炎とか、苦しいし怖いですからね。大堂の中は、ひとりの僧侶が読経する声がマイクで流れていました。僧侶が集まったり、檀家さんが集まったりという仏事は行われていない様子でした。大堂前の回向柱(写真中央の角塔婆)の日付が令和5年10月13日になっていました。
五重塔まで行ってみました。ここもギリギリまで両側に露店が並んでいて、テキ屋のおじさんが札束を数えていました。まだまだ景気悪いけど、売れ行きはどうなんでしょうか。私は区内の病院に通っていたと書きましたが、病棟の窓から遠くに本門寺の五重塔が見えるのです。窓際のベッドの方は皆さん「あれは本門寺」と呟いていました。遠くにシルエットが見えるだけで、入院患者の不安な気持ちを和らげてくれていました。私も窓際のベッドになったことがありますが、入院中はやることがないので、何となく目が行くというか、気づけば本門寺の五重塔を眺めていました。
経蔵の横に三重塔が建設中です。もうほとんど出来上がっている感じです。加藤清正の供養塔ができるそうです。
大堂の裏側にも消防車や救急車など緊急車両が止まっていました。道路を渡って本殿にやってきました。本殿はまだ静かでした。読経する声もなかったです。
本殿の横から、御廟に向かって提灯の道ができています。これは御廟に行けという意味ですね。先程大堂でお参りをした後、横にいた中年カップルの男性が「俺は日蓮宗じゃないけど、形だけやってる。心からやってないから、別にいいんだ」と言い訳していました。それが許されないなら、私は即アウトですね。私は何宗の寺院でも神社でも、心からお参りしています。
御廟には日蓮と弟子の高僧の3つの墓があります。入口でお線香を頂いて、日蓮の御廟にお供えするようになっていました。テントと仏具と音響が用意されていて、ここで法要が営まれる雰囲気です。
そのまま外へ出て、納骨堂や本門寺歴代のお墓の方へ行きました。そこにも露店が出ています。さらに奥へ行くと、大坊へ行く提灯の列ができています。大坊は当ブログでも個別レポートしましたが、本門寺の塔頭(末寺)の筆頭寺院である本行寺です。日蓮が亡くなった池上家の屋敷を寺院にした場所なので、本行寺が本当の日蓮が亡くなった場所とのことです。
大坊本行寺も人々で賑わっていました。境内には露店も出ています。今年は仕事で一度だけ、本門寺の塔頭寺院の檀家さんの葬儀の司会をすることがありました。寺院の宗派と住所と名前を聞いて、「え、本門寺ですよね?」と担当者に聞き返してしまいました。穏やかで感じの良いご住職でしたが、大本山級の寺院の葬儀はやはり緊張します。
こちらが日蓮が亡くなった屋敷だったという「ご臨終の間」です。中では仏事が営まれているようで、僧侶の読経が行われていて、檀家さんも大勢一緒にお勤めされていました。大坊の門を出て、別のルートの提灯を辿れば、本門寺に戻れそうでした。途中に妙法堂という小さなお堂があります。門の外ですが、大坊本行寺のお堂です。この小さなお堂でひとりの僧が日蓮宗独特の白い袈裟を着て、一心に読経されていました。その後ろ姿が神がかっているというか、引き寄せられるような不思議な神々しさがありました。神ではなく仏なのですが……。私だけでなく、お堂の前を通り過ぎようとした女性がふと堂内をを見て立ち止まり、そのままお堂の入口に引き寄せられて、しばらく合掌して読経を聞いていました。写真を撮るのも憚られる、神聖というか清浄というか、不思議なオーラの後ろ姿でした。
提灯に従って階段を登っていると、多宝塔が見えてきました。ここは日蓮の御荼毘所とされ、御遺灰を盛って奉安したと言われています。多宝塔の内部が見られるのはなかなか珍しいと思います。非常に美しく細かい装飾で、国の重要文化財に指定されています。
さて、駅から本門寺まで歩き、境内をぐるっと回って、御会式の本門寺がどんな感じかをレポートしましたが、まだ本番はこれからというムードです。長くなりましたので、次回にこの続きをお伝えさせていただきます。
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