曹洞宗 青松寺 目次
名称・寺格
萬年山(ばんねんざん)青松寺(せいしょうじ)と称する曹洞宗の寺院です。寺格は特にありませんが、江戸時代は曹洞宗の江戸三箇寺のひとつとされていました。
創建
文明8年(1476年)に、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して創建した。
本尊
みどころ
広い境内に配置された豊かな水と豊かな緑の組み合わせが素晴らしいです。
アクセス
東京都港区愛宕2-4-7
探訪レポート
愛宕神社とともに、愛宕山の森の緑を保っています。周囲は虎ノ門の高層ビル群ですが、埋もれずに存在感を示しています。特に通りに面した山門は迫力があり、青松寺に用事がなくても通りかかると目につきます。この山門には四天王がご安置されていて、ここを通れば一気に宗教的空間となります。
山門の外、通りに面して聖観音立像があります。緑が目に映えますね。高層ビル群の中で青松寺が埋もれて見えないのには理由があって、そもそもの地権者である青松寺が、ビル開発されまくる虎ノ門の環境を不安視して、森ビルに協力を要請しました。そこで森ビルが愛宕山の緑と宗教的空間を守りつつ、青松寺やNHKを含めた周囲全体の開発を手掛けたので、このような埋もれない存在感を保っているのです。
中雀門があり、この内側は祈りというか、仏道という言葉が似合う空間となっています。大きな建物に三方を囲まれた空間で、心が萎縮するというか、「きちんとしないと」という気分になりました。
右側に建っているのが、観音聖堂です。ここは礼拝堂になっていて、多目的ホールのようにイベントに使用される他、人々が観音菩薩の優しい眼差しの前で心を投げ出して過ごせる空間となっています。ただ、築地本願寺のように誰でも自由に出入りできるのかはわかりません。
正面が本堂です。本尊は釈迦牟尼仏、脇侍に文殊菩薩と普賢菩薩という、典型的な釈迦三尊となっています。堂内は誰でも参拝できるそうです。青松寺は現在の麹町に創建され、徳川家康が江戸に入り、慶長5年(1600年)外堀をつくる際に現在の地に移転しました。宗派の教育機関として、多くの僧を排出し、駒沢大学の元となったそうです。
青松寺は関東大震災でほぼ全てを失ったそうですが、この本堂は昭和4年の再建当時からコンクリート造りだったそうです。
本堂の左側には坐禅堂が建っています。宗派の教育機関だった伝統を引き継いでいますね。僧が座禅し飲食就寝する僧堂として機能しています。一般の方にも座禅修行の場として利用されているそうです。
三方を建物に囲まれて圧迫感がありますが、その分ここだけの特別な空間という感覚がします。きれいに整えられていますので、歩いているだけで心が整っていく気持ちになれます。
坐禅堂の裏側に、龍がいます。壁にめり込んでいます。青松寺は緑と水が豊富なのですが、ここは特に水が凄いです。滝のように水が流れ、周囲に飛沫が飛び散っています。
きれいに刈り込んだ植木の奥に鐘楼堂があります。青松寺の梵鐘は、第二次世界大戦で供出されられています。現在の梵鐘は昭和31年鋳造のものとのこと。朝と夜に鳴らされているそうです。タワーマンションに住んでいても、時を知らせる鐘が聞こえるのは贅沢ですね。
境内は緑の中を回廊のように奥へと続きます。庭園を散歩する気分で歩くことができます。周囲は高層ビル群ですから、不思議な感覚です。
こちらは法輪大観音の手前にある十観音のレリーフです。
緑の中にそびえ立つ法輪大観音です。もちろん周囲にはもっと高い建物が建ってますが、それでも大きく見えるのは、なにか理由がありそうです。ちなみに法輪とは、輪は昔のインドの円盤状の武器のことで、仏教の教え=法が広まって人々の煩悩を打ち消していく様子を表現しています。仏教でよくみる車輪のようなマークです。
緑と水の庭となっています。花が咲く季節は綺麗でしょうね。
奥の建物は愛宕グリーンヒルズ森タワーです。青松寺に来た方も、愛宕グリーンヒルズに来た方も、ふと立ち寄れる庭になっていて、すばらしいですね。庭には丸みのある石像がたくさん置かれています。
お狐様がいますので、お稲荷様の祠ですね。千里社稲荷とのこと。
こちらは少し高い場所にある智正庵という茶室と舞台が兼ねられた建物です。智正庵の周囲には庭があって散策できるようになっていて、干支が乗った摩尼車が置かれています。
更に奥に進むと、清岸院という寺院になります。青松寺と山号が同じで、創建したのが青松寺九世の麟曹とのことなので、塔頭寺院のような感じだったのですかね。今はどうかは知りませんが、深く関わっていることは確実でしょう。
ここは通りから階段とエスカレーターで訪れることができます。周囲のビル群に見下されている愛宕山は標高25.7mで、実は23区最高峰の天然の山なのです。山があって神社と寺院があるという、正しい姿が残されている場所なのですね。
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