2023年の大晦日はお昼過ぎまで配達の仕事をして、夕方に鏡餅と年越しそばを買いに行きました。年越しそばは私の感覚ですと、欠かすことのできない大晦日の一大事ですが、このような慣習も時代とともに失われつつあるのだと思います。それでもスーパーでは年越しそばコーナーがあって、様々なそばと海老天が大量に売っていました。私は揚げ物禁止なので、山菜そばにしました。
年越しそばも食べて、カレンダーを新年仕様にして、新年を迎える準備は万端です。私はTVを見ないので、部屋にTVがありません。紅白歌合戦やゆく年くる年やバラエティ番組などの大晦日の風物詩はよくわかりません。他に大晦日の風物詩として除夜の鐘がありますが、おそらく10年以上、もしかしたら20年以上、前回どこで除夜の鐘の音を聞いたのかわからないほど、記憶に残っていません。そういう訳で、今年は除夜の鐘を聞こうというハードルの低い目標を掲げました。
やって来たのは真言宗智山派の別格本山、高幡不動尊です。時刻は23時40分頃。節分以来ですが、せっかくなので二年参りなどしてみようかなと思いつきました。二年参りというのは、おそらく正確には年末と年始に、別々にお参りに行くものだと思うのですが、年の変わる瞬間にお参りするというのも二年参りとして認められているようです。
私は新興宗教の子どもとして生まれ育ったので、寺院や神社のお参りのような伝統的に親から受け継ぐことについて無知なのです。誘導されるままにお参りの行列とやらに並んでいましたが、信号の手前で止まったまま、全く進まない理由がよくわかりません。しかし、気づけば行列は私の後ろも凄くて、駅の方まで続いているようです。一体いつまで待たされるのかよくわからないままにカウントダウンが始まって年が明けました。私は混雑が苦手なのですが、行列に並んで年を越すという皮肉な展開となりました。
周囲は若者だらけです。そう言えば、私も元旦の未明に家にいないのは数年ぶりです。寺院とはいえ、この時間の屋外は若者のものです。こう書くと失礼なのですが、寺と神社の区別もない若者に深い信仰心はないと思うので、人が集まる場所に行きたいのでしょうね。それでも今の自分より良くなりたいという望みを祈りに託して行列を作る若者がこんなにたくさんいることは、寺社探訪者としては嬉しい出来事です。そんな私も二十歳前後の頃はこんな風に年を越していたのを思い出します。仲間たちと神戸の街でカウントダウンして、生田神社のすごい行列に並んでいました。お酒を飲まない私が酔った仲間を自分の車に押し込んで、六甲山に行って初日の出を拝むというのが毎年のパターンでした。お年寄りへの苦言は、自分がお年寄りになってから言えというのと同じで、若者への苦言は、自分が若者だった頃に立ち返って考えなければいけません。
0時を越えて、行列が進み始めました。そういうものなのでしょうか。やはり高幡不動尊は多くの初詣客を集める観光寺院なので、日野警察署の皆様が警備にあたっていました。こういう特別な時間に働いている方々を思うと、余計に有り難く思います。大雪や台風の時も同じですが、こんな○○な中でも働いている、というのが胸熱要素になるのです。私はフリーランスなので、本来は人々が休む時に割増料金で働くのが真骨頂なのですが、ここ数年は休んでしまっています。
仁王門を抜けて境内に入りました。明治神宮や浅草寺に比べると大したことはないのでしょうが、混雑が苦手な私は、ここで「お参りしたい気持ち」を「帰りたい気持ち」が上回りました。ぐっとこらえて並びます。高幡不動尊の本堂は境内の一番奥にある大日堂ですが、不動尊信仰で有名な寺院ですのでお参りは不動堂で行います。真言宗や天台宗寺院では護摩供を行っている寺院が多いですが、正月最初の護摩祈祷は「一番護摩」と呼ばれて特別な御祈祷として行っている場合が多いです。高幡不動尊でも一番護摩は事前の申し込みが必要なようです。
階段の上まで昇らなくても、下の白い布の部分が賽銭箱になっていて、そこでお参りできるようです。「帰りたい気持ち」が勝ってしまっているので、当然下でお参りしました。行列に並び始めてから、お参りまで約1時間といったところでした。そして、やはり、二礼二拍手一礼でお参りする若者がたくさんいました。大切なのは気持ちなのでパンパンと柏手打っても構いませんが、気持ち=欲望オンリーにならないために、今自分が祈りを捧げている対象(仏教・不動明王)にも興味を持ってほしいです。
お参りを終えて、境内を歩き回ってみます。露店がたくさん出ていて、歩くのも困難なほどです。奥殿や大師堂や聖天堂にもお参りする方がいらっしゃいました。本当は何か授与品をいただいて帰ろうと考えていました。高幡不動尊は「ほのお団扇」が有名ですが、混雑に耐える間に荒んだ心境になってしまって、こんな気分で買ったお守りに効果が期待できるはずもなく、何も買わないことにしました。うろうろ歩いていると、当初の目的であった除夜の鐘の音が聞こえてきました。
一番奥の大日堂まで行ってみました。閉まっている様子ですが、お参りする方が並んでいますね。高幡不動尊の鐘楼堂は山の中にあるので、音だけが聞こえます。先着108名の希望者は無料で鐘を突けるそうです。やはり鐘の音は心が落ち着くといいますが、荒んだ気持ちがスッと抜けていきます。2024年を私はどう過ごすのでしょうか。良いことも悪いこともするでしょうが、良いことの方が多くなるようにしたいです。できる限り他人を傷つけず、どんな時も心に余裕を持っていたいです。
家に帰って、築地本願寺の除夜会のライブをアーカイブで見ました。僧侶何でも相談というイベントがあって、私がもし参加していたら、「人が死んだらどうなるのか?」を聞いてみたいと思っていました。すると、まさにその質問をした人がいました。日本人の宗派の感覚についてなど、かなり面白いイベントでした。さすが築地本願寺です。
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