寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 10」

目次

存在を忘れていたもの

前回のレポートの最後に、「この後、存在を忘れていたものと出会います」と意味深なことを書きましたが、存在を忘れていたものとは、こちら( ↑ )の「キロ杭」です。久々に見ましたね。海まで52kmだそうです。自治体ではなく、荒川上流事務所というところが立てているようです。国土交通省の機関ですね。多摩川では羽村取水堰あたりが約52km地点でした。歩いてきた道のりを振り返ると、まだ52kmなのかと短く感じます。寄り道のし過ぎなんですかね。

 

荒川百所巡礼 第65番 馬頭観音

土手に馬頭観音がありました。パッと見ると小さくてかわいい感じの馬頭観音像に見えますが、よーっく見ると非常に気持ち悪い顔をしています。

こちらは赤城樋管です。この水路をずっと辿ると荒川に到達します。荒川沿いを歩いているはずなのに、まったく荒川を見ることがないという不思議な道程です。まぁ、荒川の河川敷の広さを地図で見て、こうなることは予想できていましたが。

そして、存在を忘れていたもの・・・ではないのですが、富士山がここからもしっかり見えます。実は前回のレポートの最初、国道16号が架かる橋の土手からも、県道の平沼中老袋線を歩いている間も、そして荒川の土手上の道に戻ってからも、ずっと富士山は見えていました。こんな埼玉県の奥地に来ても、はっきりくっきり富士山が見えることに驚きました。

 

ホンダ・エアポート

荒川百所巡礼 第66番 赤城神社

白山太神社と同じシチュエーションで、ほぼ同じ規模の神社が河川敷に登場しました。こちらは赤城神社です。白山から赤城山へ変更になりました。ご祭神は元々はおそらく赤城大明神ということになると思います。明治維新神仏分離で他の神になっていると思われます。

境内に説明書きがあり、赤城神社の歴史について書かれていました。いつ焼失していつ再建したなどが書かれているのですが、慈覚大師円仁が関わっていると書かれていました。縄文・弥生時代から村が栄えていたと書かれていますが、創建の詳細はよくわかりません。

現在の社殿は平成になってから再建されたものです。平成7年に不審火で焼失したと書かれていました。氏子の皆さんが頑張られたのですね。境内社もいくつか見られて、河川敷ながらかなりの規模の神社であることがわかります。

またまたキロ杭が現れました。400m進みましたね。この間隔で続くとは考えにくいですが、急に手厚くなりました。

このあたりの荒川河川敷にホンダ・エアポートという小さな飛行場があります。この日は祝日だったのですが、ホンダエアポートに向かう車がたくさんあり、数珠なりにセスナ機やヘリコプターが飛んでいました。私のような貧民にはわからない世界ですが、セスナ機に乗るという非日常的な行動を、こんなにもたくさんの方がしていることに驚きました。後で聞いた話ですが、スカイダイビングをしているのだそうです。だから数珠なりに飛行機が飛んでいたのですね。

 

荒川百所巡礼 第67番 馬頭観音

また土手に馬頭観音がご安置されていました。それにしても多いですね。顔が崩れていますが、馬頭観音は基本的には憤怒の表情です。観音様には○○観音と様々な姿と名称がありますが、それらは観音様の変化した姿とされています。馬頭観音は六道(輪廻転生する6つの世界)のうち畜生道にある衆生を救済すると言われていますが、馬や畜生類も救済する菩薩と信じられています。移動手段に多く用いられた馬ですが、急死した場所に馬頭観音像を建立して供養するということも多く行われたそうです。ですから、ここは大切にされていた馬が亡くなった場所なのかもしれません。

 

荒川百所巡礼 第68番 稲荷神社

左の建物が稲荷神社だそうです。右の建物は見るからに地域の集会所で、大日堂集落センターという名称です。地域のコミュニティセンターですが、大日堂という密教っぽい名前が気になりますね。どこかの寺院にちなんだ名称なのでしょうか。そんな寺院のお堂はひとつも残っていなくて、稲荷神社のみがあるというのが不思議な現実で、長い歴史を感じます。

 

荒川百所巡礼 第69番 石仏

この石仏の手前にペット霊園がありました。人と同じような墓地に埋め込み式の墓石が並んでいました。その隣に老人ホームがあり、老人ホームの近くの土手に倒れるように石仏が置かれています。左は地蔵菩薩っぽいです。右は馬頭観音っぽいです。知らんけど……。

前回のキロ杭から1.5km進みました。ここで、荒川右岸から左岸へ橋を渡りたいと思います。荒川沿いに歩いていながら荒川が見えないというジレンマからついに解放されます。

 

比企郡桶川市・荒川現る

とんでもなく長い橋が架かっているのに、川幅はこんなものです。やっと荒川を拝むことができました。まだ上流と言うほどではなく、急流や渓谷とは程遠い様相です。と、じっくり見物していられないほどに、橋の上は凍るような強風です。じっとしていたら血液も凍るのではないかと思うほどです。

橋を渡った竹藪の中に階段があります。橋を渡ると比企郡から桶川市になりました。この上に神社がありますので、行ってみましょう。

 

荒川百所巡礼 第70番 浅間大神

鳥居があり、お社はありません。石板に浅間大神と書かれていて、横に富士山に登山した記念碑がありました。なぜこんな所にあるのかは謎ですが、ここは富士浅間神社です。

 

荒川百所巡礼 第71番 川谷田庚申塔

さて、荒川左岸に移動したものの、河川敷が広大すぎて荒川からはかなりの距離のあるところを歩いています。県道57号線、桜堤通りという道を進みますと、小さいながらも瓦屋根のお堂に安置された庚申塔がありました。

 

荒川百所巡礼 第72番 立中堂

家がまばらにある集落の奥の方に立中堂がありました。典型的な墓地+お堂が残されたパターンに見えます。しかし説明書きによりますと、ここには寺院があった訳ではなく、個人の土地を近隣住民が墓地として借りるようになり、最終的に地主が共同墓地として提供したという歴史があるそうです。立中堂が何を祀ったお堂なのかわかりませんが、村の共同墓地の成り立ちのひとつの形です。

 

荒川百所巡礼 第73番 八幡神社

朱塗りの鳥居の奥が小高い丘のようになっています。この地域は花火が有名だったのだと説明書きに書かれていました。室町時代から、遅くとも戦国時代には日本に観賞用の花火が入っていたとされています。この地域でも文久年間(1861-1864年)に三河から技術が伝わったそうです。

小高い丘の上に境内があり、社殿が築かれています。周囲に民家はなくて、ぽっかり空いた場所に存在しています。私以外に誰もいない場所ですが、真面目にお参りします。さて、この先も桜堤通りをどんどん川上に進みます。堤と書きますが、この道は特に小高くなっている訳ではなく、平坦な道路となっています。

 

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