名称・旧社格
浅間神社と称します。通称、多摩川浅間神社、田園調布浅間神社などと呼ばれています。旧社格は村社です。
創建
文治年間(1185-1190年)、北条政子が出征した夫の源頼朝の身を案じ、この地に聖観音像を建てたことが創建の由緒です。
御祭神
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
見どころ
高台にある境内からは多摩川の風景がきれいに見えます。子授け・安産・子育てのご神徳が有名です。
アクセス
東京都大田区田園調布1-55-12
探訪レポート
大田区の多摩川沿い、田園調布の河口側にあります。浅間神社なので山のような構造になっています。入口には仏教の摩尼車のような物がありました。これは大祓詞石車といいって、ここには大祓詞が刻まれています。神道では儀礼に臨む際にお祓いを受けるのですが、その時に奏上するのが祓詞です。祓詞が刻まれた車を回すことで、祓詞を奏上したと見做されるのです。
階段を上がると鳥居があります。鳥居の前では一礼しましょう。左側には駐車場と結婚式場と社務所があります。鳥居をくぐると、また階段があります。多摩川浅間神社の境内は丘の上にあるのです。
多くの富士塚で使用されているように、本物の溶岩が設置されています。富士山信仰の神社なので、富士山と同様に作られているのです。こちら( ↑ )は白糸の滝とのこと。
こちらは小御岳石尊、大天狗、小天狗と刻まれた石板と小さな祠が建っています。
溶岩に囲まれた階段を上り、軽打に到着する手前に、三角形の石碑が建っています。ここには食行身録と刻まれています。食行身録というのは、富士山信仰の富士講の中興の祖とされる人物です。地元の富士講が33回目の登山を記念して、勝海舟に書いてもらったそうです。
境内に上がると、左手に手水舎があります。子授けや子育てで有名な神社なので、カップルでお参りしている方が多いようです。
反対側に集合住宅形式の末社がありました。 阿夫利神社、三峰神社、小御岳神社、稲荷神社です。日本を代表する山岳信仰の神を祀る神社に、神奈川県と埼玉県と東京都を代表する山岳信仰の神が末社として祀られています。
結婚式場と社務所の屋上が、ちょうど見晴台になっています。気持ち良さそうですね。
5月なので鯉のぼりが泳いでいます。多摩川を挟んだ対岸は、タワマン群で有名な武蔵小杉です。右側が東急線の橋で、左側が丸子橋です。なかなかのパノラマです。
こちらは神楽殿です。多摩川浅間神社の例大祭は6月に行われます。
子産石(子宝石)です。海の岩で、撫でると子宝に恵まれるとのこと。いかにも効き目がありそうです。
現在の社殿は昭和48年(1973年)に改築されたものです。浅間神社はたくさんありますが、浅間造の社殿は都内唯一なのだそうです。源頼朝が豊島郡滝野川松崎(現在の東京都北区)に出陣した際に、妻の北条政子が身を案じてここまで来たところで、足を傷めて治療をすることになりました。すると、この小高い山から富士山見えるので、北条政子が守り本尊にしていた浅間神社を遥拝し、ここに正観音像を建てたのが創建の由緒です。
当時は神仏習合の時代で、浅間大菩薩として祀られていました。現在は浅間神社ですので木花咲耶姫命をお祀りしています。日本神話で、地の神の主宰神である大国主命が天の神の主宰神である天照皇大神に地の国を譲り渡します。そこで天照皇大神の孫の瓊瓊杵尊が天から地に降りてきて、瓊瓊杵尊の子孫が現在の天皇家となります。いわゆる「天孫降臨」という神話なのですが、瓊瓊杵尊が地の国で妻にしたのが木花咲耶姫命なのです。木花咲耶姫は天孫の子をもうけたので、子授けや子育ての神様として信仰を集めています。
東京にも富士塚はたくさんあって、富士山信仰はそこかしこに見られますが、ここに来ると正しき浅間社の姿が見られます。境内に上がると、、いつも雅楽の音が聞こえて来るのですが、それもこの御神域を特別な空間にしている要素です。日本の少子化対策のために、ぜひカップルで訪れて、子産石を撫でてください。
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