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「僧の修行:修行って?」

僧の修行といえば、超絶厳しくて一般人にはとても耐えられるものではなく、そんな修行を乗り越えた僧は、類まれな能力と人間性を身につけた特別な存在です。というのが世の通説です。果たして僧の修行とはいかなるものか、考察していきたいと思います。ちなみにこの「僧の修行シリーズ」は3部作の予定です。例の事件と絡めて、だんだん批判的になります。予めご容赦ください。

僧の修行とは

何をもって僧の修行とするのかは、特に定義がないから何とも言いづらい。何をしても修行だと言えるし、修行をしてその僧がどう変わるのか目に見えるものでもありません。掃除をしたり、布団の角を揃えて畳んだり、草履をきれいに揃えたり、静かにご飯を食べたり、何でも修行と思えば修行です。

どんな職業も一生修行とも言えますが、私の知る限りでは、広い意味で僧の修行期間というのは、宗派に入門してから、自坊に戻るまでを指すのが一般的と思われます。狭義の修行はというと、新人僧侶に各宗派が課している研修制度のようなものです。新しく僧侶になる人の多くは、寺の子に生まれて、親の跡を継いで僧侶になります。僧になると、まずは自坊の宗派で一定期間トレーニングを受けます。企業でも新入社員の研修期間がありますね。宗派によって違いはありますが、宗派の研修機関のような場所で一定期間集団生活をしながら、教義や作法を覚えたり、肉体的や精神的ににしんどいことを課されて、それを乗り越えるということをします。クリアした僧には、何かの資格や称号が与えられて、今後の僧としての活動に活かされます。

 

日々是修行

新人研修的な授業を終えたら、一般企業と同じく一人前の僧侶として生活していくのですが、自坊に戻って父親である住職の手伝いをする人もいますし、週末だけ自坊の手伝いをして、平日は役所や学校に勤めたり、一般企業に務める人もいます。また、自坊には戻らず、本山級の寺院や地域の中核的な寺院に勤めて、その寺院の僧として生活する人もいます。この場合も、住み込みで集団生活する僧もいれば、自坊や賃貸マンションから通勤するサラリーマンのような僧もいます。先輩僧侶や父親に付いて、他者の価値観で指導される経験も、修行の1つと言えますし、しきたりの厳しい寺院に勤めると、日々の業務から修行のような気力を必要とするでしょう。

僧の修行の厳しい部分は、正解が曖昧で修行を監督している僧の感覚に委ねられる部分が多いところだと思われます。また、全てが修行と捉えるので、オンとオフが曖昧というか、常にオンの状態で生活することも大変だと思います。お経を読むにしても、スピードが早い遅い、声が大きい小さい、息継ぎがおかしいなど、先輩や師僧の感覚で自分が否定されるのは、しんどい経験だと思います。ある先輩に言われた通りのことをしたら、別の先輩から注意されたり。しかしこれは、社会人であれば大なり小なり体験することですし、弟子入り制度のある職業では特にあるあるだと思います。

また、修行の名のもとに行われる罵倒や暴力などの人権侵害行為も、受け入れなければ職を失ってしまうという状況は、精神的に厳しいですね。肉体的精神的な暴力も、閉じた世界の中では、「修行」という名のもとに正当化されてしまいます。一時期「かわいがり」という言葉で相撲部屋の暴力沙汰が報じられましたが、寺院も閉じた世界です。白いものでも親分が黒といえば黒という、清濁併せ呑むヤクザの部屋住み若衆を思わせます。

 

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