前回は神階と社格(一之宮)について解説しました。今回は社格の代表的な延喜式神名帳と、明治維新による近代社格制度を解説します。
延喜式神名帳
律令制の時代、中央集権国家を築くために、法を制定し、統治した土地に秩序を作ります。大宝律令が有名です。歴史の授業で習ったかも知れませんが、「律令格式」というものです。律は刑法、令は刑法以外の法で、格は律令の補足や修正法令、式というのは律令を施行する上での細則のことです。
延喜式は全50巻3300条にもなるもので、その中に神名帳というものがあり、神社の一覧が記載されています。どんな神社が記載されているかというと、官社に指定された神社です。官社は官幣社とも言って、神祇官(神様関係の朝廷の役所)から幣帛(神様へのお供え物)を贈られる神社のことです。遠方のため朝廷まで幣帛を受け取りに来られない神社は、国(現在の都道府県)から贈られるので国幣社と呼ばれました。官幣社と国幣社には大小の区別があり、官幣大社・官幣小社・国幣大社・国幣小社の4種に分けられ、合計で2861社ありました。
また律令制の時代は、国家的事変や危機に対して、国家祭祀を行って祈願をしていました。この祭祀を名神祭と呼び、名神祭を行う神社は官幣大社か国幣大社なので、名神大社として指定されていました。
これらの神社は式内社と呼ばれており、現在でも「式内社」と神社の入口などに掲げている神社が多くあります。また、長い歴史の中で、名前が変わったり、場所が移ったりして、延喜式神名帳に載っている神社が、現在のどの神社になるのか、候補が複数ある場合があります。そのような神社は全て論社と呼ばれています。
現在では「式内社」と掲げていると、その神社には少なくとも1000年以上の歴史があり、かつては国が管理するような格式の神社だったということを示しています。
近代社格制度
明治維新では神仏分離令や廃仏毀釈によって、神道から仏教要素を除きました。また、神社もあちこちにあるものはまとめて一つにして、最終的には一村一社令を出して、合祀を進めてきました。そのために社格制度も改められ、官幣社と国幣社は大中小に分類され、その他に国家に功績のあった臣下や、国家のために亡くなった方を御祭神として祀る神社の中から、別格官幣社が定められました。当サイトでもそうですが、いわゆる神社の旧社格というのは、この近代社格制度によるものとなっています。
官幣社以外にも、諸社として府社、県社、藩社、郷社、村社が指定されました。江戸時代には、庶民は必ずどこかの寺の檀家になって寺請証文を受けなければならない寺請制度がありましたが、明治政府はその神社版をやろうとしました。庶民は必ず郷社の氏子になって管理されていました。たった2年でこの制度は無くなりましたが、現在の神社でも神社の氏子地域がきっちり分かれているのは、この時の名残だそうです。
配達仕事をしていると恐怖でしかないのですが、今月は毎週のように何処かの神社でお祭りがあります。日頃は静かな神社でも、秋の例大祭には氏子地域の人々が集まって、神輿やお囃子、太鼓に舞に賑やかになりますね。通行止めで配達エリアに入れなかったり、お神輿優先で後ろで待たされたりします。何でもない道が渋滞して、秒刻みの配達マンには悩ましい季節です。
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