秩父市中心部、西武秩父駅付近にやってきました。観光客で賑わっています。高尾山のように外国人観光客だらけではありませんが、登山の格好をした元気なご年配の方々が多く見られます。
西武秩父駅周辺
こちらは市役所前のだだっ広い場所にある秩父神社の御旅所です。祭礼では神様が神社から神輿に乗って地域を巡りますが、途中で神様が休憩する場所を御旅所と呼びます。神様も神輿に乗ってばかりじゃ疲れるのでしょうか?
西武秩父駅は西武秩父線の終点ですが、都心から乗り換えなしでも来られるので、アクセスは非常に良いです。足元まで窓がある特急ラビューに乗りましたが、本当に快適でした。ただ、秩父鉄道と並走しているのだから、ホームも繋げてほしいところです。お花茶屋駅までの微妙な徒歩がちょっと……。晴れてればいいんですけど……。駅は観光に特化して開発されていて、特産品やお土産、酒場やカフェやレストランも充実していて、温泉もあります。
荒川 百所巡礼 第233番 秋葉神社
秋葉神社がある通りは、駅の裏側になります。駅からは近いのに、人通りもなくて静かです。
秋葉神社なので、火防の神様を祀っています。境内は広くて、社務所や神楽殿も備わっていますが、常駐の神職さんは居ないようです。
荒川 百所巡礼 第234番 圓融寺
秩父鉄道の影森駅近くに、臨済宗建長寺派の圓融寺がありました。秩父三十四観音の札所になっています。本堂から山奥へ30分ほど階段を登ると、岩井堂という京都清水寺のような舞台造りのお堂や修験者のための修験堂などがある奥の院があるそうです。弘法大師が護摩行をしたと伝えられていて、本尊には恵心僧都作の聖観音があったそうです。
圓融寺はそもそも岩井堂の別当寺だったそうですが、現在では岩井堂は無人となり、恵心僧都の聖観音は圓融寺の本尊として移されているそうです。弘法大師は真言宗、恵心僧都は天台宗、それがなぜ臨済宗建長寺派なのか不思議に思いますが、横長の大きな本堂はいかにも臨済宗です。きれいに整備された寺院でした。
無題
荒川 百所巡礼 第235番 長福寺
円融寺の近くにある寺院です。こちらは曹洞宗で、当ブログの多摩川左岸巡礼企画で訪れた二俣尾の海禅寺の7世住職の天江東岳が開山したそうです。
二俣尾の海禅寺は見るからに凄いお寺で、天江東岳が創建したり復興させた寺院は、三多摩地域だけで57ヶ寺もあるそうです。長福寺もその中のひとつということですね。
本堂の前がきれいな緑で、正面まで行くのを憚られます。本尊は釈迦牟尼如来ですが、千手堂というお堂には弘法大師作の観音像が安置されているそうです。
巳待塔です。隣の石碑は何なんだか判別不能です。
荒川 百所巡礼 第236番 大渕寺
秩父三十四観音札所となっている曹洞宗寺院です。入口に差し掛かったところで、上の境内から大きな話し声が聞こえたので、檀家さんが来ているのかなと思いましたが、その雰囲気でピンと来てしまい、入口から寺院の方へ合掌して去ることにしました。
山奥に巨大な観音像があって、寺院の入口からも観ることができます。中也の詩に「頑なの心は理解に欠けて、なすべきを知らす、ただ利に走り、意気消沈して、怒りやすく、人に嫌はれて、自らも悲しい」というのがあるのですが、ではどうするの? というと、「されば人よ、つねにまづは従わんとせよ」とのこと。「従ひて、迎えられんとには非ず、従うことのみ学びとなるべく、学びて汝が品格を高め、そが働きの裕かとならんため」だそうです。
荒川 百所巡礼 第237番 椿森諏訪神社
地元の人しか通らないような道を少し進みますと、神社が現れました。こちらは椿森諏訪神社で、椿森というのはこのあたりの旧地名です。
なかなかに立派な社殿ですが、こちらの神社には常駐の神職さんはいないようでした。調べてみると、農村歌舞伎を現代も受け継いでいるということで有名なようです。
滅多に見ないような大きな御神木ですが、右側のリヤカーが残念ですね。日頃使う人が置きやすいように置いているのでしょうから、使わない人が文句言う筋合いはありませんが。
秩父往還を渡るのに歩道橋を通りますと、枯葉と雑草に支配されていました。人類滅亡後〇〇年後のドキュメンタリーのようでした。
ロードサイドにはお店も民家も無く、通行する自動車に気をつけて進みます。しばらく進んで秩父往還から脇道へ入ります。
嘘つき
荒川 百所巡礼 第238番 不動尊
するとすぐにお堂がひとつ現れました。結構な勢いで湧水が流れていて、荷物をたくさん持ったおばさんが顔や頭を洗っていました。あまりお邪魔しても悪いので、ササッとお参りして去りました。ここは不動明王をお祀りしたお堂とのことです。
少し歩くとまた湧水が流れる場所がありました。武甲山からの湧き水だそうです。山があって森があって水が流れるというのは、理屈では理解できますが、考えてみると良くできていますよね。
この道は人も車もあまり通らないので、枯れ葉や苔が繁殖しています。
橋の上から川の流れを撮りましたが、何だかよくわからない写真になってしまいました。この川は荒川ではなく、荒川支流の浦山川の、更に支流の橋立川です。浦山川は浦山ダムから荒川までの短い区間を流れる川です。
ダムの壁が見えてきました。こう見るとダム直下に集落があって怖いですね。この浦山ダムは156mの高さで、関東地方で2番目の高さ。重力式コンクリートダムとしては全国で2番目の高さになります。
こちらは芭蕉句碑です。芭蕉の旅したコースはよく知りませんが、秩父地方から長野方面に多く句碑が分布しています。こちらの句碑は秩父市指定史跡として保護されています。
浦山ダムから流れる浦山川を渡る諸上橋です。今超大型巨人が現れて156mの壁が崩壊したら、水の力で橋ごと数kmは吹っ飛ぶだろうな、などと下らないことを想像しながら通過しました。
橋の上から見た浦山川です。濁っているというか、青白く目に映ります。若い頃は高い所も余裕だったのですが、歳を取るとマンションの高層階でも足がすくんで怖くなります。この橋から見た川の撮影も、山深くなるに連れだんだん緊張感が増してきました。
荒川 百所巡礼 第239番 長泉院
諸上橋を渡って程なく、長泉院という曹洞宗寺院がありました。入口に「石札道場」という石碑がありますが、これは秩父札所を開創した性空上人が長泉院に石札を納めたことによるそうです。そもそもは無住の観音堂だったそうで、秩父三十四観音の札所にもなっています。
創建は正暦元年(990年)とのこと。元亀2年(1571年)に僧侶を招いて曹洞宗寺院となったそうです。
立派な本堂です。本尊は聖観音菩薩です。天蓋が煌びやかで、外は質素、中はゴージャスな雰囲気でした。
本堂正面の外壁に掛けられているこの絵は、長泉院の創建にまつわるお話を絵にしたものです。山麓に龍女が現れて龍燈を捧げており、それを村人は恐れおののいていました。巡礼をする十余人の僧侶が現れ、村人がその場所へ案内すると、岩屋の中から聖観世音菩薩像が出てきました。そこでお堂を建てて安置したとのことが描かれています。
こちらは奪衣婆です。本堂の前の小さなお堂にいらっしゃいました。
前回の記事で、次回は荒川の渓谷美が見えますなんて知った被って書きましたが、また荒川に遭遇できません。次はたぶん……。
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