比叡山の千日回峰行で行われている「京都大廻り」のように、寺社を訪ねながら京都の街を歩いてみたい。そんな初期衝動がいつまでも消えず、ついに歩き始めました。
金戒光明寺を後にして、丸太町通から岡崎通に入っています。私の散歩は1日に7〜8時間歩くこともあって、そんなに歩いて何が楽しいのかと聞かれることがあります。そう言われても、景色を見ながら歩くだけで楽しく感じてしまうので、仕方ありません。
平安神宮
黒い雲が空を覆っていて、悪魔の棲む御殿のように見えなくもないですが、平安神宮です。金戒光明寺よりもメジャーな観光地なので、外国人観光客がたくさんいました。きっと日本人より多いです。
130年祭記念事業で改修工事中でした。平安神宮といえば京都を代表する神社に思えますが、創建は新しく明治28年(1895年)なのです。当時は開国をして国内産業が急激に発展しつつあり、近代化促進のために国内で多くの博覧会が開催されたのですが、京都で行われた国内博覧会の開催に合わせて、平安遷都1100年記念事業として平安京の大内裏を模した平安神宮が造営されました。お祀りされているのは平安遷都をした桓武天皇と、平安京最後の天皇である孝明天皇です。
鮮やかな朱塗りと緑の瓦屋根がいかにも平安神宮というイメージです。私は神戸生まれなので、小学校の遠足で平安神宮を訪れた記憶があります。神苑も見学して、池の上を渡る廊下で、同行していたカメラマンさんに友人たちと写真を撮ってもらった記憶があります。
平安神宮の参道ですが、岡崎公園という広い公園になっています。テントがたくさん出ていて、珍しい地域の特産品のようなもの等、色々なモノを売っていました。ここの雰囲気は上野公園の噴水近くの広場によく似ています。
岡崎公園を抜けると平安神宮の巨大な一之鳥居があります。昭和3年(1928年)に昭和天皇の即位を記念して建てられました。当時は日本一の高さだったそうですが、1年持たずに名古屋の豊国神社参道の大鳥居に抜かれてしまったそうです。中心部でもこんなに開けて空が広いのは京都という感じがします。
そのまま歩いて行くと、いかにも京都な通りが続きます。左前方に見えているのは新興宗教の阿含宗の関西総本部です。入口にテーブルを出してテラスのようにして、訪問する方にドリンクを振舞っていました。気の地の良い通りをサクサク歩きます。
天台宗 青蓮院
青蓮院門跡と書かれています。青蓮院は天台宗三門跡のひとつや、京都五ヶ室門跡と呼ばれる寺格の寺院です。門跡というのは皇族や公家が出家する寺院です。
平安神宮に続いて青蓮院も改修工事中でした。
青蓮院は境内の諸殿の中を歩いて、建物の内部や庭園を拝観して回ることができます。今回は京都大廻りの企画ですので、すべての寺院を長時間拝観することは致しませんが、せっかく来たのにと思うと後ろ髪引かれる思いです。
浄土宗 知恩院
千日回峰行の京都大廻りのコースに知恩院が含まれるのかは知りませんが、素通りするには勿体無さすぎます。しかし、平安神宮から青蓮院門跡、知恩院と一直線に歩いて来られるのだから京都は凄いです。説明不要かもしれませんが、知恩院は浄土宗の総本山で、国宝の三門は幅50mで日本一の大きさとされています。11月1日から三門の楼上が特別公開されます。楼上の仏堂の中心には宝冠釈迦如来像がご安置されています。
こちらも国宝の御影堂です。現在の御影堂は寛永16年(1639年)に徳川家光によって建てられました。浄土宗の宗祖である法然上人が祀られています。堂内から南無阿弥陀仏と念仏を唱える僧侶たちの声が聞こえてきます。堂内に自由に出入りすることができるので、滅多にない機会ですから、堂内で正座してしばらく合掌して心の中で一緒に念仏を唱えていました。堂内に入る外国人観光客も非常に多かったですが、さすがに座って念仏を聞くのはアジア人ばかりでした。堂内は結構暑くて快適ではありませんでしたが、恵心僧都から法然上人、親鸞聖人と千年を超えて受け継がれてきた浄土信仰の聖地のようなお堂で、私のような何者でもない凡人が座らせてもらっていることに、感動が沸き上がる思いでした。
御影堂の前に角塔婆が建立されていて、御影堂内からお手綱が結ばれています。この角塔婆に触れることで御影堂内の法然上人とより深くご縁を結ぶことができるという仕組みになっています。境内に観光客はたくさんいるのですが、ほぼ誰も触れなかったのが残念です。
NHKで放送された2023年~2024年の「ゆく年くる年」の除夜の鐘は知恩院が放送されていました。現在の鐘楼は延宝6年(1678年)に造営されたものです。僧侶数名で綱を引き、中央の大きな綱を持つ僧侶が鐘楼に背中を向けて、背中から倒れ込むように鐘を突くのが特徴で、ぜひ一度見てみたいと思っていました。
知恩院も前回訪れた金戒光明寺と同じく、徳川家康が有事の際の砦として造営しようとした寺院で、山城のようになっています。この無駄に広い参道が、知恩院の歴史的価値を物語っていますね。左に見えているのは和順会館という知恩院の宿坊です。私は宿坊に泊ったことが無いので、一度は泊まりたいと思っているのですが、人気が高いのでなかなか……。さて、境内を歩き回り満足したところで京都大廻りに戻ります。
行者橋
京都大廻りの映像で必ず出てくるのが、この行者橋です。外国人観光客にも人気です。ただ、本物の京都大廻りは1日で84kmを歩くので、何の感慨もなくスタスタと渡って歩き去ってしまいます。
私は本物の京都大廻りではなく、「俺なりの京都大廻り」をしているので、恐る恐る近づいてみました。足腰弱ってくると、こういうのが怖いんですよ。
京都の中でも祇園と呼ばれる最も京都らしいエリアにやってきました。こちらはよしもと祇園花月です。実は新卒の就職活動で、吉本興業を訪問したことがあります。当時はバブルが弾ける寸前で、吉本興業は多角経営に本格的に乗り出すための企画部門に特化した社員を募集していました。一次面接を通過したら、次は吉本興業で手掛けたい事業をプレゼンするという試験でした。2次試験を受ける前に他社に内定が決まったので、そこで就職活動は終わったのですが、もしも吉本興業に入社していたらと、今でも思うことがあります。
八坂神社
京都と言えば祇園、祇園と言えば八坂神社です。八坂神社はそもそも祇園神社と呼ばれていました。いわゆる祇園信仰の総本社という位置づけです。祇園精舎はインドに実在した、釈迦が弟子たちに説法するための寺院のような場所です。祇園精舎の守護神とされたのが牛頭天王で、疫病から護る神として信仰を集めました。疫病退散のために花笠や山鉾を曳いて市中を練り歩いたのが、祇園祭の始まりです。
八坂神社では本殿や拝殿だけでなく、全ての社殿や境内のあちこちに撮影禁止と書かれていました。それでも外国人観光客はお構い無しで撮影に興じていました。この辺はなかなか難しいですね。数多くの国から日本を選び京都を選んで、少なくない費用をはたいて来てくれた人たちに、楽しんでもらいたいと思いますが、日本の文化を無視してやりたい様に振る舞う姿は間違えているとも思います。
真宗大谷派 大谷祖廟
京都大廻りとは関係ないのですが、次に訪れたのは大谷祖廟です。ここを訪れるのは初めてですが、ここは真宗大谷派の本山である東本願寺の直轄の墓地です。親鸞聖人と真宗門徒が眠る墓地となっています。
こちらが大谷祖廟の本堂です。私は新興宗教の子どもとして生まれましたが、私の一族は元々は真宗大谷派の寺院の門徒でした。ところが御手次寺(菩提寺)に跡継ぎがいなくて廃寺になってしまったことと、私の親族内で墓地を巡る揉め事があったために、それ以降の私の一族で不幸があると、京都の大谷祖廟に連絡して地域の大谷派の寺院を紹介していただいて葬儀や法事を行い、納骨は大谷祖廟で行ってきました。
ここが親鸞聖人と門徒の方々が眠る墓地です。たくさんのお花が供えられていて、線香やろうそく、焼香もできるようになっていました。ここに子供の頃からお世話になった大叔父や大叔母、叔父たちが眠っています。受付で法名や俗名を書いていただいて、墓前に法名紙を奉納してから焼香することもできるようでしたが、一族の誰と誰が全部で何人ここに眠っているか知らないので、誰かを抜かしてしまうと失礼ですからお焼香だけさせていただきました。
ねねの道
このあたりは置屋とお茶屋が並ぶ祇園の「花見小路」とはまた違った雰囲気で、「ねねの道」と呼ばれています。このあたりから外国人観光客の割合が尋常では無くなってきます。この( ↑ )道の奥でダラリの帯をした舞妓さんの写真を撮りまくっている外国人観光客がいますが、近づくとその舞妓さんも外国人でした。いわゆる変身舞妓さんですね。
人力車も走っていましたが、この道は自分で歩くのも気持ち良いので、あまり繁盛しないかなと思います。日本人の皆様にもオススメなので、ぜひ訪れてください。
臨済宗建仁寺派 高台寺
「ねねの道」の「ねね」は、もちろん豊臣秀吉の北政所の「ねね」です。高台寺は秀吉の没後、菩提を弔うためにねねが開創した寺院です。秋からは特別拝観が行われていて、夜間にライトアップされた庭園の紅葉や見事な竹林を観ることができます。
臨済宗建仁寺派の寺院です。今回は訪問しませんでしたが、実は建仁寺もこの近くのエリアにあります。禅宗ということで、高台寺では坐禅やお茶の体験ができるのだそうです。これは外国人観光客にウケるでしょうね。青連院と同様に高台寺も建物の中の設えや、特に庭園を観る寺院なので、入口だけではなんとも味気ないのですが、京都大廻りを目指して先へ進むことにいたします。
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