大谷祖廟で先祖供養をして、知恩院で念仏を唱え、ねねの道を歩き高台寺を過ぎると、一年坂(一念坂)、二年坂(二寧坂)、三年坂(産寧坂)へと向かいます。
こちらは産寧坂です。大混雑ですね。産寧坂に踏み入って感じたことは、浅草仲見世通りと同じだということです。何が同じかと言うと、外国人観光客が95%を超えている感覚です。日本人観光客は見当たりません。国内の最も日本らしい場所のひとつなのに、日本人は自分だけという所在無さを感じてしまいます。インバウンドなんて英語にすると曖昧になってしまうけど、要するに日本や日本人の経済力がガタ落ちしているということです。淋しい限りですが、生きるためにリッチな外国人に頼る時代を受け入れなくてはいけません。
北法相宗 清水寺
法相宗は南都六宗ですから奈良時代に隆盛した宗派です。奈良の薬師寺や興福寺が有名です。清水寺は1965年に法相宗から独立して北法相宗を興しています。法隆寺しかり、浅草寺しかり、単独で知名度も集客も申し分ない寺院は、独立する傾向にあります。
八坂神社はまだ抗っていましたが、清水寺は割り切っている感じがしました。オールOKで外国人観光客のしたいようにさせていました。日本人なら憚られることでも、その価値観を持たない外国人は躊躇なく行います。清水寺がどういう場所で、その中でもここがどういう場所で、日本人が大切にしてきた文化をわかってほしいなと思いながら歩いていました。富士山もそうですが、世界遺産になるということは、このような側面を受け入れていくことなんでしょうかね。
外国人の中でも、中国人は仏教や寺院に馴染みがあるのでわかりやすいです。中国の人は神仏に手を合わせると、腕を上下させて3回お辞儀してお参りします。そしてとにかく撮影好きです。撮影の際は自然体ではなく、大げさなほどポーズを取る国民性のようです。しかし、靖国神社に小便かけるのに、清水寺の仏像には礼拝するという……。
有名な音羽の滝です。雨の降る中、この後も長い行列ができていました。やはり海外の方は観光目的であって、信仰的な目的が皆無なので、私の目には神仏に対して不敬に映ります。ともあれ、活況を作り出してくれているのは彼らです。今度は清水寺を訪れた外国人観光客のお話(愚痴)も聞いてみたいです。
天台宗 三十三間堂
京都大廻りのコースから外れて、三十三間堂にやってきました。清水寺では雨が降っていたのに、一気に晴天になっております。京都の天気が激変し……というのは嘘で、もちろん別日です。三十三間堂にも観光バスでどしどし外国人観光客が訪れていました。寺院としての名称は蓮華王院です。長寛2年(1164年)に後白河法皇が自分の御所に創建しました。建物も納められている仏像も国宝だらけの三十三間堂です。玄関で靴を脱いでお堂に入ります。
三十三間堂の中は清水寺とはまるで違っていて、静寂な緊張感に包まれていました。人が多いだけに、静まると余計に空気が張り詰めます。1001体の千手観音像が並ぶ様子は、それほど異様な光景でした。二十八部衆と風神雷神について英語で解説している方がいらっしゃいました。一団の方々は熱心に聞いていましたが、何かを感じてもらえたでしょうかね。
日本庭園も見事です。これは池泉回遊式庭園というもので、池を中心に作り込んだ庭園を歩き巡りながら鑑賞する庭園です。こういうのを美しいと思うのは、万国共通でしょうね。
真言宗智山派 智積院
寄り道が続きますが、智積院にやってきました。関東では高尾山薬王院の他、高幡不動尊や川崎大師など、真言宗智山派の寺院に行くことが多く、その総本山である智積院には行ってみたいと思っていました。境内は整備されていて本当に綺麗で、歴史を感じるというよりも、清潔で手入れが行き届いている感じです。
正面の建物が智積院会館という宿坊です。実はこの宿坊に宿泊しようと狙っていたのですが、2~3週間先まで埋まっていて、秋の空は天気予報がコロコロ変わるので、雨が降らない日に予約することが至難の業でした。悩んだ挙句、宿坊より天気を選んだという訳です。こちらに宿泊すると、僧侶の皆さんと一緒に朝のお勤めと護摩行も参加させていただくことができます。その後は境内の庭園を僧侶の案内で観てまわるというおまけ付きです。もちろん精進料理もいただけます。今回は天気優先でしたが、次回は宿坊優先でぜひ宿泊したいと思います。
天気を優先したおかげで、素晴らしいお天気です。こちらは本堂にあたる金堂で、本尊は大日如来です。真言宗智山派はいわゆる新義真言宗と呼ばれる宗派の一派です。他には真言宗豊山派があります。これに対して古義真言宗は高野山真言宗や真言宗醍醐派などがあります。新義真言宗は高野山金剛峰寺の座主だった興教大師覚鑁が、真言宗の改革を進めてたら、反対勢力に高野山から追いやられ、和歌山根来山に拠点を移してそれが新義真言宗となりました。勢力が拡大すると、武将に狙われてしまいます。豊臣秀吉に攻められた根来寺新義真言宗の僧たちは、京都へ向かった一派が真言宗智山派、奈良へ向かった一派が真言宗豊山派として独立しました。しばらくは智山派と豊山派で交代で根来寺を復興し運営していましたが、現在はその根来寺も独立しています。真言宗も多くの分派があります。昭和になってから、ややこしいから一緒になれと政府が命令して「大真言宗」なる宗派が誕生しましたが、戦前の一時的なもので戦後はすぐに分派してしまいました。
臨済宗建仁寺派 六堂珍皇寺
さて、寄り道を終えて、京都大廻りのコースへ戻ります。途中で三十三間堂の隣の京都国立博物館の横を通りましたが、今年上野で観た「法然と極楽浄土」が開催されていました。さてさて、清水寺の坂を下ったあたり、松原通まで戻ってきました。松原通を西へ進みますと、六道珍皇寺があります。
六道とは「六道輪廻」の六道のことで、人が亡くなると行くとされている冥界にある6つの分かれ道とその先にある世界です。天界、人間界、地獄、餓鬼、修羅、畜生の6つで、閻魔大王の裁きを受けて行先が決まります。創建時には真言宗で、現在は臨済宗建仁寺派の寺院です。おそらく京都の方々には、宗派に関係なく六道参りの信仰として知られているのだと思います。
閻魔大王と小野篁がご安置されています。小野篁は昼間は朝廷に勤め、夜は冥界で閻魔大王の補佐をしていたという伝説のある人です。六道輪廻の信仰なので、六道珍皇寺が賑わうのはお盆の季節です。お盆には先祖をお迎えしますが、六道珍皇寺にお迎えに行くと言うのがこのエリアのお盆の定番とのことです。
お岩大明神と書かれていましたが、お岩ってあの「うらめしや」のお岩さんですかね。あれは関東のお話だった気がします。ところで、どうしてここが六道参りの拠点なのかと言いますと、かつて平安京の東の墓地である鳥辺野へ向かう道だったからです。そのために「六道の辻」と呼ばれ、冥界の入口とされてきたのです。六道珍皇寺には小野篁が冥界へ赴く際に使っていたとされる冥界の入口(井戸)があります。
浄土宗 末廣不動尊(西福寺)
松原通を京都中心部に向かって歩いていると、末廣不動尊があります。こちらは西福寺という小さな寺院ですが、人々が多く訪れている様子が伺えます。正面が不動尊で、右側が本堂です。本堂は庫裏のような住宅のような造りで、縁側から拝観する感じです。昔の農家の自宅葬のような雰囲気です。
そして左側に子育地蔵尊です。そもそもこの地蔵尊が西福寺の始まりで、弘法大師の作とされる地蔵尊がお祀りされていたそうです。そこへ檀林皇后が子の病気平癒を祈願したことで、子育地蔵と呼ばれるようになったのだそうです。その後、後白河法皇が熊野の不動堂で千日修行を満行した際に、熊野の不動明王を勧請したのが末廣不動尊です。本堂の本尊は阿弥陀如来です。本当にこじんまりしたお寺なのですが、千年を超える歴史が重ねられているのですね。
真言宗智山派 六波羅蜜寺
すぐ近くというか、西福寺の隣に六波羅蜜寺があります。2022年に東京国立博物館で「空也上人と六波羅蜜寺」か開かれていて、大きな寺院だと想像していたので、少し驚きました。物理的な大きさと寺院としての存在の大きさは違うと思いますが、これまで訪れた知恩院や智積院のような寺院を想像していたのでびっくりしました。ともあれ、あの超有名な空也上人像がある寺院です。やや上を向いて口から阿弥陀佛が唱えられている様子を表した空也上人像は、全国にファンがたくさんいますね。
空也は魅力あふれる僧で、特に特定の宗派に所属しない存在でありながら、貴賎問わず多くの人々に慕われ、超宗派的に仏教界と繋がっていたと言います。ちなみにこの六波羅蜜寺は空也が拠点とした寺院ですが、空也の存命中は西光寺と呼ばれる寺院でした。平安中期の空也の死後に天台僧中信が中興して、天台宗に属する六波羅蜜寺と名付けました。その後、文禄年間(1593年 - 1596年)に真言宗智山派に属しています。
六道珍皇寺にもありましたが、六波羅蜜寺にも迎鐘があります。六道の辻としての信仰がここにも見られますね。私も皆様と同様に空也が好きです。特に宗派に属せず仏道を歩んだところが良いです。特に、他を攻撃したり排したりするのではなく、超宗派的に仏教界と繋がっていたところが良い。新興宗教二世だった私が、物心つく前から脳に刷り込まれていた信仰を捨てた後、どう生きていくか? 指針を示してくれた人のひとりが空也でした。
松原通を鴨川に向かって歩いていますと、花街ならではの雰囲気ある通りと交差します。京都には5つの代表的な花街があって、その中のひとつ宮川町です。舞妓さんになるまでのドキュメンタリーは数多く制作されていますが、BBCが制作した宮川町の舞妓さんの作品が好きです。古い作品ですが、調べてみるとYoutubeに上がっていました。
東山区に別れを告げて、松原橋を渡り鴨川を横切ります。橋を渡ったところにある楼閣風の建物は、明治3年創業の鮒鶴さんです。現在はフレンチレストランとして和洋と新旧の絶妙な接点を表現する施設になっています。100年以上維持管理してきたのも凄いですが、色というか雰囲気を失っていないのが素晴らしいですね。国の文化財に指定されています。東山区だけで寺社探訪のレポートが1年分は書けそうなほど、古刹名刹のが数珠つなぎ状態でした。東福寺や泉涌寺や豊国神社など、訪れずに通過してしてしまった寺社にも、いつか訪問したいと思います。
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