荒川百所巡礼と称しているのに、荒川が登場しないレポートが続いていました。秩父鉄道「武州日野駅」を越えたあたりを進んでいます。荒川に沿って進む秩父鉄道も残すところ2駅区間となりました。
ついに荒川
日野鷺橋が見えました。この橋が架かる前は、毎年仮橋を渡していたとか。こういう橋はアーチ橋と呼ぶそうですが、アーチ橋を和訳すると「橋橋」ですね。さて、荒川に沿って歩く企画なのに、ずいぶん久々の荒川とご対面です。
支流でもなく、日野鷺橋から眺める正真正銘の荒川です。上流になると川は谷を流れるようになり、橋は高い場所に架けられます。それにしても素晴らしい景色です。
国道140号線から脇道への分岐点に石碑が建っています。風化してしまって、文字が確認できない状態でした。きっと数百の間、ここで何かを示し続けているのでしょう。
荒川橋を渡ります。見た目にも古そうですが、この橋はなかなか珍しい橋のようです。橋は老朽化したり生活用途に合わせて架け替えられますが、こちらから見て2代目の橋が右側で、1929年に造られました。1986年に造られた3代目の橋が左側です。2代目の橋はもうすぐ100年ですね。補強工事は行われていますが、まだまだ現役で支障なく利用できるそうです。ちなみに、荒川河口から134.1kmなのだそうです。フルマラソン3回分ですね。
川面から橋まで50m以上あるそうで、めちゃくちゃ怖いです。滝が見えていて絵になる風景が広がっていますが、あまり眺めていると高さで関節が固まりそうです。
小野原稲荷神社の大鳥居がありました。鳥居を見る限り、神社も見応えありそうで期待大です。
石柱の案内によりますと、神社まで510mとのことです。結構遠いですね。しかものぼり坂です。先ほどの期待が、大から中→小→無へと移ります。いえ、先に進まなければなりませんから、寄り道ばかりもしていられないのです。仕方ないです。
向沢院と阿弥陀寺
心の中て言い訳をつぶやきながら歩いていると、次なる目的地に到着です。このわかりにくい入口を右折します。
駐車場のような広場に、小野原学校跡の石碑が建っていました。明治8年に開校し、町村合併のために明治22年(1889年)に廃校になったそうです。
荒川 百所巡礼 第247番 向沢院
緑のモジャモジャの中に寺院が埋もれているように見えます。向沢院は曹洞宗の寺院とのことです。本堂があるだけの寺院で、常駐の住職さんもいないと思われます。
本堂まで上がってきました。墓地もあって、ここで法事をすることもできそうですが、10名程度の規模でないと、お堂の中に入れないと思います。
向沢院を後にして、歩いておりますと、崖の途中に石碑がありました。折れてしまったものをわざわざ繋いて建てていますので、余程ここに必要な石碑なのだと思われます。
民家も少なくなってきて、徒歩で移動する人を見かけなくなりました。車の交通量は結構多くて、信号のない道をかっ飛んで行きます。
空と山と草木が美しいです。このような田舎に暮らすことに憧れる人がいますが、結局は人間関係に行き詰ってしまうことが多いみたいですね。山口県の限界集落で放火殺人事件がありましたが、田舎は人の繋がりが大き過ぎるのか、都会とは真逆の危うさがあります。
荒川 百所巡礼 第248番 阿弥陀寺
阿弥陀寺の本尊は阿弥陀如来で、秩父十三仏霊場のひとつになっています。阿弥陀如来を本尊にしている曹洞宗寺院は珍しいですが、それは阿弥陀寺がそもそも天台宗の寺院だったからです。本堂には釈迦牟尼仏もご安置されています。
室町時代貞治2年(1363年)の建立で、天明年間(1480年代)に曹洞宗寺院になったそうです。
現在の本堂は昭和37年に再建されたもので、平成3年に庫裏を建て替えたと説明書きに書かれていました。こちらの寺院には常駐の住職さんがいらっしゃる雰囲気でした。
動かない村人
橋から見下ろすと谷が深くて、スマホを持つ手が震えます。落とすな、落とすな、絶対に落とすなと心に念じると、落としそうになるのは人(ダチョウ?)の常ですね。
荒川 百所巡礼 第249番 石塔郡
判別できないものが多いですが。左のものは「二十二夜塔」です。中央の大きなものが「大乗妙典六十六部廻國供養塔」です。かつて、法華経を写経して日本全国六十六か国を巡り、寺社に納経するという修行があったのだそうです。14世紀から江戸時代にも行われていた修行だそうです。これは信仰を深めたり仏道を求めるというよりは、犯した罪を贖罪するための修行だったそうです。そんな修行をする聖(ひじり)のための供養塔です。
なんだここは? 人形が家の前に立っています。ここは贄川宿という、かつての宿場町だったところです。甲州と秩父を結ぶ秩父往還で、上州方面にも分岐でき、また三峯神社参拝にも利用できる立地の良さから、毎月市が立つほどに賑わっていたそうです。
荒川 百所巡礼 第250番 御堂鐘地蔵尊
江戸中期には秩父三十四ヶ所巡礼や三峯神社参拝など、一般の旅人たちで賑わった贄川宿ですが、旅の安全を祈願して、宿場町の中央に庚申塔とお地蔵様が建立されたのだそうです。今のように綺麗に整備された道路ではなかったでしょうから、ここで安全を祈願したのですね。
荒川 百所巡礼 第251番 柊木神社
この神社は個人宅の敷地内にあったものと思われます。入口を別にしていて、お参りできるようになっています。
お社の前にお犬様(ニホンオオカミ)がいらっしゃって、祠の中にお狐様がいらっしゃいますね。お社の中に祠が二つ祀られているので、その一つは稲荷神なのかもしれません。柊といえば、節分に柊鰯を魔除けに家の門に挿すという習慣があります。柊の葉はトゲトゲなので、招かれざる神(悪霊・鬼)を退けるために使用します。
ここは宿場の中心部になります。説明板によりますと、贄川宿は秩父往還沿いに短冊状に36軒が連なっていたそうです。旅籠屋、酒屋、質屋、紺屋(染物屋)、豆腐屋などがあり、医者、髪結い、荷継ぎ場などもあったとのことです。今は通りを歩く人すらおらず、動かぬ人形ばかりがありにけり。
親子でしょうか・・・。率直に申し上げると、面白いですが、怖かったです。通りを歩きながら、この人形たちが一斉に動き出す姿を想像してしまいました。B級ホラー映画ですが、そこから動き出した人形たちと共に村おこしを計るとなると、ファンタジー映画になります。
またも出口から入って入口に向かっていたようで、宿場の入口らしき雰囲気の場所に着きました。人形は「かかしの里」と書かれた板を首から下げていました。住民が全くいない訳ではないようですが、今回は誰にも会わずに通り過ぎました。振り返ると通りに動かない人形が点々と立っています。なんだか後ろめたい気分で、先へ進みます。
ゴール(秩父鉄道 三峰口駅)に到着?
白川橋を渡ります。見えているのは秩父ジオグラビティパークです。白川橋でもじゅうぶんスリルを感じていますので、それ以上は狂気の沙汰です。説明書きによると、この白川橋から上流と下流で荒川の流れる地層が違うのだそうです。下流側は柔らかい地層で、上流側は硬い地層なのだそうです。
この先の秩父往還は歩道が無くなり、しかも交通量がそれなりに多く、徒歩での移動が大変危険になります。私自身も危険ですし、車やバスやトラックの運転手さんも、歩道のない道に歩行者がいるとかなり迷惑です。そこで、白川橋を渡って、対岸の細い道を進もうと計画していました。しかし、実際にその細い道に行ってみると、道路の入口に警備員さんがいて、ダンプカーが列を成していました。まるでラリーカーのように、警備員さんの合図でダンプが一台ずつ細い道に轟音を立てて侵入していきます。きっとこの先の秩父湖あたりで大量のダンプを必要とする開発を行っているのでしょう。ダンプが一般道(秩父往還)を占拠しないように配慮して、狭い道を通っているのだと思われます。となると、この道を私が歩くのは自殺行為だし、たぶん警備員さんに止められるでしょう。
先の進路が無くなり、とりあえず秩父鉄道の終点の三峰口駅に行き着きました。この先も秩父の観光地はありますが、鉄道で来られるのはここまでで、この先はバス移動になります。朝や夕方ですと乗り換えの観光客が多いでしょうが、お昼過ぎだったので閑散としていました。食事制限で米を食べなくなった私は、コンビニのサラダチキンバーを齧りながらベンチに座って思案します。荒川右岸も左岸も徒歩では厳しいようです。さて、どうしたものか? ここがゴールでも良いかな。
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