名称・寺格
音羽山清水寺と称します。寺格は北法相宗の大本山(総本山)です。
創建
宝亀9年(778年)延鎮が音羽山に千手観音像を祀り、創建しました。
本尊
十一面千手観音菩薩
みどころ
賑やかな参道を抜け、清水の舞台から眺める京都の景色は、究極の非日常を味わうことができます。奈良時代から続く信仰に触れながら、世界遺産の寺院を巡りましょう。
アクセス
探訪レポート
京都には観光客が多く集まる寺院がありますが、中でも清水寺は群を抜いているのではないでしょうか。こちら( ↑ )は清水寺の参道である産寧坂です。日本の古都を歩いているのに、日本人を探す方が難しいというほど外国人観光客で溢れています。参道のお店の方々も、英語に中国語にハングルと、様々な言語のボードを店頭に置いていました。
産寧坂を上り切ると、重要文化財の馬駐があります。今の世の中では馬や牛に乗って来る方はいませんが、昔は貴族や武士が清水寺をお参りする際にここに馬や牛を繋いでお参りしたそうです。
山門(仁王門)の手前にお堂がありました。地蔵院善光寺堂と称します。古くは地蔵菩薩を祀る地蔵院として信仰を集めていましたが、長野善光寺から勧請した善光寺如来堂というお堂を明治中期頃に合併して、如意輪観音も合わせてご安置し、善光寺堂となっています。右側手前の小さなお堂には首振り地蔵がご安置されていて、参拝者が願い事のある方角に首を回して祈願すれば、願いが叶うそうです。想う人の住む方角に首を向けたり、志望校のある方角に首を向けたりして願うなんて中高生に流行りそうですが、こちらはそれほど人気がありませんでした。
仁王門をくぐって、一段上がると、鐘楼堂がありました。仁王門は応仁の乱で焼失し、1500年前後に再建されたもので、重要文化財に指定されています。仁王門の斜め後ろに西門という別の門がありますが、現在の西門は1633年再建のもので、極楽浄土への入口なのだそうです。こちらも重要文化財に指定されています。
二つの門と鐘楼堂を過ぎると、三重塔があります。かなり大きな三重塔で、国内最大級とのことで重要文化財に指定されています。こうしてみると、境内の堂宇は朱塗りに統一されているようで、朱の濃度や明るさが微妙に違います。847年から清水寺に建立されており、現在のものは江戸時代1632年に再建されたものです。堂内には大日如来像がご安置されていて、壁には真言八祖像、天井や柱に飛天や龍、密教画が極彩色で描かれているそうです。清水寺は法相宗の寺院として存在していましたが。平安中期以降は真言宗も兼ねていたそうです。
1753年建立の随求堂です。大随求菩薩をお祀りしています。大随求菩薩は衆生の求めに随って叶えてくださる菩薩様です。ここでは胎内巡りができるそうです。胎内巡りはお堂の中に造られたものや、自然の洞窟を活かしたものなどがありますが、コンセプトとしては生まれ変わりの体験をするものです。清水寺随求堂では目が慣れることのない暗闇を手摺り代わりの大きな数珠を頼りに進むものだそうです。暗闇で何を思い、出てきた時に自分自身がどう変わっているか。体験談を読むと、想像以上に大切な経験として捉えている方が多いようです。
経堂です。寛永10年(1633年)建立で、平成12年(2000年)に改修されました。火災を期に経蔵の役割から、学問僧が集まる教学の場として活用しているそうです。
「重文 田村堂」と表札があります。こちらはいわゆる開山堂です。田村というのは、日本史で習う征夷大将軍の坂上田村麻呂とことです。開山堂がなぜ田村堂なのかと言いますと、妻の病気に効くいう鹿の血を求めて音羽山に入った坂上田村麻呂に、延鎮が殺生の戒めと、観音菩薩に帰依することを説きます。坂上田村麻呂は延鎮の言葉に改心し、この地に寺院を建立しました。これが清水寺の創建のお話ですので、開山堂に坂上田村麻呂と延鎮が祀られているという訳です。
表札には「重文 朝倉堂」とあります。応仁の乱で焼失した清水寺の再興の際に、多額の寄進をした戦国大名の朝倉貞影が法華三昧堂として寄進したので、朝倉堂となっています。堂内には十一面千手観音像がご安置されています。しかし、密教があったり法華経があったりと、清水寺の宗派的な特色が今ひとつ掴めません。
国宝の本堂に到着しました。凄い人、しかもほぼ外国人です。私自身は仏教や清水寺について情報を知らなくても、外国人の方に日本文化の美しさや尊さは伝わると思っています。それでも、知ることで深まるので、仏教や清水寺のことを知ってほしいと思います。本堂には自由に上がることができるのですが、なぜか僧侶が読経に使う鏧子(けいす:大きなリン)に大行列ができていました。鳴らせるものは鳴らしたいんでしょうが、鳴らしただけでご利益があるのでしょうか。それならば首振り地蔵の方が良さげです。法相宗は奈良時代に日本に広まった南都六宗のひとつで、現存する日本最古の宗派です。教義の内容的には平安以降の仏教に比べて、より原始仏教的なものだという印象です。昭和40年(1965年)に北法相宗として独立しています。現在の本堂は徳川三代将軍家光の寄進によって、寛永10年(1633年)に再建されたものです。
清水の舞台は、崖にせり出すように作られています。高さは13mで、ビルの4階相当なのだそうです。釘を一本も使わないで建立されているのは有名なお話。舞台上は観光客が多すぎて写真を撮れませんでした。たぶん人しか映っていない写真になります。舞台の上から眺める景色は素晴らしく、生憎の雨ですが多くの方が記念写真を撮っていました。見えている( ↑ )のは、音羽の滝とお食事処の滝の家です。
工事中で閉鎖されていましたが、本堂を抜けた先に、地主神社があります。そもそもは清水寺の鎮守社でしたが、明治維新の神仏分離令で独立しています。縁結びの神として知られています。独立したとは言っても、清水寺と共にある感じです。
西向き地蔵堂です。アジア系の女性が地蔵堂の中を興味津々で覗き込んでいました。
西向き地蔵堂の隣には重要文化財の釈迦堂がありました。扉が上下でセパレートになっていて、上部を開け閉めする構造は半蔀(はじとみ)と呼ばれるものです。堂内には釈迦三尊像がご安置されています。
大正10年(1921年)に建立された百体地蔵堂です。毎年8月には地蔵盆で賑わいます。子供を亡くした親が、自分の子に似た地蔵を探して、信仰を篤くしたと伝えられています。
重要文化財の阿弥陀堂です。左の方に「浄土宗立宗八百五十年慶讃 法然上人尊像」と書かれています。ここは法然上人が唱導した常行念仏が最初に行われた場所なのだそうです。密教に法華経に念仏というのは、まさに天台宗的です。鎌倉仏教は法華経や念仏や禅などに特化していく流れですが、平安仏教である天台宗よりも更に古い奈良仏教の法相宗は、天台宗よりもさらに総合仏教的要素が強いのかなという印象を受けました。
阿弥陀堂の隣には奥の院があります。この奥の院も舞台造りになっていて、こちらから本堂の写真を撮る方がたくさんいました。撫で観音ならぬ「ふれ愛観音」がいらっしゃいました。世界中の方々と触れ合ってつるつるになっています。奥の院には秘仏で観ることはできませんが、三面観世音菩薩坐像なのだそうです。千手観音の座像って希少だからなのか、凄い迫力を感じます。
奥の院の右側に「守夜叉神」というお堂がありました。夜叉神は縁切りというイメージがありますが、転じて悪縁を断ち、良縁を結ぶと言われています。清水寺の東から清水寺と京都の町に向かい、悪縁を断ち良縁を結ばせるべく守っているから「守夜叉神」と称するとのこと。
このあたりから奥の院の舞台と本堂の舞台が良いアングルで観ることができました。それにしても凄い人ですね。この日はまだ紅葉も始まっていない平日ですよ。釘ひとつ使っていない舞台にこれだけの人が密集しているなんて、不思議というか、その技術に感心しますよね。
少し坂を上って高いところに到着しました。もう一つの三重塔、子安塔があります。平成の大改修があったのでまだすごく綺麗です。現在の塔は寛永年間(1630年頃)の再建だと思われていましたが、平成の大改修で1500年頃に再建されたことが判明したそうです。130年も一気に古くなってしまいました。そもそもは聖武天皇と光明皇后の祈願所と伝えられているそうです。となると、清水寺本体よりも古いということになりますね。
子安塔からは本堂と清水の舞台を正面から見ることができます。
稲荷社がありました。音羽稲荷大明神と称するようです。左側の祠の石仏は左手に羂索を持っているので、不動明王だと思われます。剣が無かったので、取れてしまったのかもしれませんが、炎を纏っているようにも見えました。
高照弁財天です。神仏習合のお社が集められています。
異様ですがこれは何でしょうか。石仏が見えますし、供養塔のような形をした石塔も見えます。三猿もいるような、そして擬宝珠(ぎぼし)もあるような。
先ほど清水の舞台から見下ろした、音羽の滝と人の行列がありました。上部の朱塗りのお堂は不動明王をお祀りしています。滝の背中側にもお不動様がお祀りされています。雨天ということもあり、並んでいる方はすべて外国人だったので、誰も不動明王を拝むこともなく滝の水を飲むことに専念していますが、せっかく遠くから日本文化に触れるために清水寺に来てくれているのですから、こういうところを何とかしたいといつも思います。すべてのものに神仏が宿り、尊ぶ気持ちを持つ日本人の文化を伝えたい。滝の水はお不動様の霊力が宿っているから、ご利益をいただけるのです。あと、私はこの柄杓を使いまわすのを何か違う形にできないかと常々考えていました。浅草寺や清水寺のような観光寺院ですと観光客が多すぎるので、他人が口を付けた柄杓が次から次へ手渡しされていきます。これって、ちょっと日本人の民族性と合わない気がするんですよね。と思っていたら、実に日本人らしい対応が。「紫外線滅菌装置」なるものが設置されていました。どれほど効果があるかは知りませんが、ひとつの答えですね。
雨の中の拝観でしたが、とにかく外国人が多くて驚きました。日本の伝統的な建築物の前でポーズとって写真撮って満足するだけでなく、千年の祈りが積み重った特別な場所に宿る、見えざる力のようなものを感じてほしいと思います。
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