寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 32」

先に進むことが難しくなり、三峰口駅のベンチで思案しておりましたが、とりあえず駅周辺の散策に出かけることにいたしました。

 

三峰口駅周辺

荒川 百所巡礼 第252番 白久神明社

三峰口駅から山の方へ少し歩くと、鉄製の鳥居の神社がありました。神明社と名のつく神社は、天照大御神を祀る神社です。

楽殿です。この神社で行われる神楽は「神明社神楽」と呼ばれていて、神明社神楽は秩父市無形文化財に指定されています。多摩川を巡った時も同じでしたが、神楽や獅子舞などの民俗芸能は川沿いの村々を伝授され、それぞれ保存されて来た歴史があります。この地域の神明社神楽は安政年間(1854-1859年)に上州新町(群馬県高崎市)の大工が白久の人々に伝え、白久から秩父市の村々へ伝わっていったそうです。前回訪問した弟冨士浅間神社には立派な神楽殿がありましたが、弟冨士浅間神社の神楽も、この白久神明社から伝わったのだそうです。

白久神明社は、建治元年(1275年)に熊倉山麓の伊勢山に創建され、明治40年(1907年)に地域の八社を合祀して現在地に移転してきました。夏の例大祭では、笠鉾に乗った神輿が街を練り歩き、神輿は荒川に入って浄められるのだそうです。人口の多くないエリアですけど、この神社が人々の拠り所となっている感じがしました。

 

荒川 百所巡礼 第253番 陽向寺

陽向寺という曹洞宗寺院にやってきました。神明社からすぐです。松風山陽向寺と称します。右側の建物が本堂です。左奥に見えているのか医王殿です。名前からおそらく薬師如来をご安置しているのかなと思います。更に右奥にもお堂があります。そちらは十王堂で、閻魔大王をご安置しているとのことです。常駐の住職がいらっしゃるとは思えませんが、兼業なのか兼務なのか、とにかく檀家さんにとっては寺院が維持されていることが大切です。

 

行ってみよう

秩父往還(140号線)は歩道が無くなると危険。対岸の細い道はダンプカーのコースになっていて超危険。ということで、考えていても時間が過ぎるだけなので、秩父往還を進むことにします。とは言え、物流トラックやバスの迷惑にならないようにしたいと思います。「動物注意」の看板がありますが、どう注意したものか? 歩道がほぼ植物に侵食されていますが、歩道があれば進めます。

集落が現れました。歩道は無くなりましたが、まだ進めそうです。これが、右が崖の壁で左が崖の谷になってきたら、もう車道を歩くしかなくなるので大変危険です。

郵便局のあるちょっとした集落に到着。右側は庚申塔、左は「甘酒祭り」が埼玉県の文化財に指定された記念碑です。集落の入口に庚申塔という、昔ながらの姿が残っています。そしてここには神社の入口もあります。

 

荒川 百所巡礼 第254番 猪鼻熊野神社

恐ろしく狭く急な階段が伸びています。ここが「甘酒祭り」が行われる猪鼻熊野神社です。足下に注意しながら上ると、境内は意外に広々していました

熊野神社ですから、熊野三山主祭神である熊野権現を勧請した神社だと思われます。熊野権現は十二社権現とも呼ばれていて、十二柱の神々から成る権現なので、全国の熊野神社も、様々な神の組み合わせで祀られています。こちらの熊野神社秩父らしく日本武尊によって創建されたという伝説があります。

日本武尊は東征の際、三峰山から下山している途中で大きな猪を仕留めました。すると実は猪ではなくて、この地を荒らしていた山賊だったとのこと。周辺住民は山賊が退治されて大喜びし、日本武尊に濁り酒を献上したのだそうです。日本武尊は神々のおかげだとこの地に熊野の神を祀り、矢を奉納しました。

「甘酒祭り」というのは、天平8年(736年)に疫病が流行った際に、濁り酒を甘酒に替えて祈願し、裸でかけあって疫病流しをしたのが起源とのことです。現在でも裸にふんどし姿の村の男たちが、甘酒や水をかけあうという不思議なお祭りとして継承されています。日本武尊に献上された濁り酒を甘酒に替えるのは理解できますが、裸でかけあうというのはなかなかの発想です。

 

断念

この先は長期間の工事が行われているようで、工事事務所的なプレハブが建っていました。どこまでいけるかわかりませんが、先へ進みます。

上下の車線が離れていました。工事をするために一時的に上下線を別にしているように思われます。本来なら歩道のない道のようですが、工事関係者が移動するために、仮設のガードレールが置かれていました。せっかくなのでこの仮設の歩道を通って先へ進みます。

ちょうど足元から荒川に流れ込む水路がありました。仮設のガードレールは蜘蛛の巣の品評会のようで、展示場のごとく蜘蛛の巣が並んでいました。

この先、歩道のない道路で、工事のための一車線規制が行われていました。一車線区間がどこまで続くのか、こちらからでは見えませんでした。私がこの歩道のない一車線区間を通過するためには、私が通過する間、上下線とも車を止めて待ってもらわなければなりません。さすがにそんなことはできないので、結局ここから三峰口駅まで引き返すことに致しました。私はのんびり屋なので何とも思っていませんが、企画として見ると無計画にも程がありますね。

 

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