寺社探訪

寺社探訪とコラム

「京都大廻り:完結編」

赤山禅寺から始まりました「俺なりの京都大廻り」企画ですが、今回が最終回、完結編となります。賑わう北野天満宮を出て、東に向かいます。

 

上七軒

北野天満宮の門前は、花街になっています。北野天満宮を再建した際に、残った木材で七件の茶屋を建てたことが名前の由来です。京都の五花街の中で、ポツンと離れた場所にあります。歩いていると上七軒の歌舞練場に差し掛かりました。こういう場所は禁足地と申しますか、一般人が踏み入れてはいけない気がします。花街ですから、華やかなところだけを目に写して、裏側は覗かないのが礼儀どす。

葬儀業界もコロナ禍で大打撃を受けましたが、花街も凄まじい打撃でしょうね。そもそも舞妓さんでいられる期間は短いですから、辞めていく人も多かったのではないでしょうか。舞妓さんだけでなく、着付けをする男衆さんや稽古を付ける師匠さん方も厳しいでしょうし、舞妓さんが住む置屋の運営も相当な打撃を食らったと思います。今はオーバーツーリズムが問題になるほど外国人観光客が殺到していますが、舞妓さんが活躍する世界は観光とはまた別の世界ですし、何か新しい結びつきを築いて産業として盛り上がると良いですね。

 

真言宗智山派 千本釈迦堂大報恩寺

承久3年(1221年)創建の寺院で、当時は倶舎宗天台宗真言宗を兼ねていたそうです。倶舎宗というのは奈良時代に日本に伝え広められた南都六宗のひとつです。現在は真言宗智山派に属しています。

本堂は創建以来のものが現存していて、洛中最古の建築物として国宝に指定されています。扉が上下に分かれて開く構造を半蔀(はじとみ)と呼びます。その時代の建築様式としてポピュラーだったのでしょうが、横に開いて中が伺えるほうが良いですね。歴史の授業で習うような人物が、実際に生きて暮らしていた時代からここにあるというのは、なかなかの歴史ロマンです。本尊は釈迦如来坐像で重要文化財です。他に大報恩寺には六観音像と地蔵菩薩立像が今年国宝に指定されました。大報恩時の境内に稲荷社があったのですが、そこには百度石ならぬ千度石が置かれていました。

東に向かって進みます。こちらは五辻通と称します。左は木音さんというゲストハウスですが、二階のすだれが京都らしさを象徴していますね。

五辻通りと平行に少し北側を通っている寺之内通に移動して、どんどん東に進みます。こちらは本門法華宗大本山(総本山)の妙蓮寺です。日蓮宗系は分派が激しく、本門法華宗という宗派を初めて知りました。境内には入らずに通過します。

寺之内通というだけあって、周囲は寺院だらけです。こちらは宝鏡寺門跡という臨済宗系の単立寺院です。ここも門の前を通過します。単立寺院というのは、宗派(包括宗教法人)に属しないで単独で運営されている寺院のことです。門跡というのは天皇や皇族が出家する寺院のことです。現代の天皇が出家することはないと思いますが、中世や近世ではあるあることでした。私の拙い頭脳ですと、源氏物語に出てくる貴族が出家しまくっている印象があります。私の源氏物語のソースは大和和紀さんの「あさきゆめみし」ですが……。

こちらは日蓮宗大本山妙顕寺です。日が傾いてきたので素通りして先を急ぎますが、日蓮宗大本山と言えば、昨年「御会式」をレポートした東京大田区池上本門寺があります。同様の寺格の寺院なのでじっくり訪問したら、何かしらの発見があると思います。

烏丸通に抜けました。この通りをひたすら南に行くと、前回の「京都大廻り:4」で訪問した因幡薬師があります。だいぶ影も長く伸びて、何とかゴールまでたどり着きたい気持ちで、スタスタと速足になります。本物の京都大廻りだと、阿闍梨はずっと速足ですよね。

 

御霊神社

御霊神社に到着しました。鳥居に菊の御紋がまぶしいです。前回の「京都大廻り:4」で訪問した八坂神社又旅社で、貞観11年(869年)に八坂神社(祇園社)の神輿を神泉苑に迎えて祇園御霊会を行い、それが祇園祭になったとレポートしました。実はその6年前の貞観5年(863年)に、疫病を鎮めるために同じく神泉苑で御霊会が行われています。これが御霊神社の創祀なのだそうです。神社そのものは平安遷都以前から出雲氏の氏寺の鎮守社として存在しており、そこに延暦13年(794年)に桓武天皇が相良親王の御霊を祀ったのが御霊神社としての始まりとも伝えられています。

御霊神社では政争に巻き込まれて憤死した人を祀っていますが、真っ先に思いつく人が菅原道真ですよね。実は御霊神社の創建は菅原道真の左遷よりも早いので、道真は御霊神社に祀られていません。しかし、後に火雷神を祀っているので、それが道真のことだとする説もあります。もう一人、怨霊で有名な平将門はというと、彼は自ら新しい国を作って天皇となろうとした人なので、朝廷が将門を祀る訳ありません。

境内は木々に覆われていて鬱蒼としていますが、境内社もたくさんありました。全ての社に名前が書いてあって、どんな神社かわかるようになっているのが親切でした。応仁の乱の発端という記念碑もあり、みどころの多い神社です。

鴨川(賀茂川)が現れました。こちらは出雲路橋です。川沿いを歩く者としては、心惹かれる河川敷ですね。散歩やジョギングの方も多かったですが。通学や通勤に歩いている人もいらっしゃいました。御霊神社のある上京区から一瞬だけ北区になって、橋を渡れば左京区です。

 

下鴨神社

正面からではありませんが、何とか明るいうちに下賀茂神社に辿り着きました。当ブログではいつも神社をレポートする際に、明治時代に制定された旧社格を記載しています。「神社の格付」というコラムでも、神社の社格を表す様々な指標をまとめてみました。伊勢神宮は別格なのですが、様々な指標を見てみると、下賀茂神社は相当格の高い神社というのがわかります。「式内社」「官幣大社」「明神大社」「山城国一之宮」「正一位」「二十二社」「上七社」「別表神社」と、最上位の社格が示されています。おまけに本殿は「国宝」で神社は「世界遺産」でもあります。また、伊勢神宮では神に仕える皇女が「斎宮」として選ばれていましたが、下賀茂神社でも「加茂の斎院」が皇女から選ばれて仕えていました。

拝殿の前に干支詣という生まれ年別にお参りできる社がありました。十二支なので12社かと思えば、子年午年以外はふたつで1社となっていて、全部で7社ありました。これ、皆さん自分の生まれ年にお参りしますから、不特定多数の方に年齢がバレますね。下賀茂神社式年遷宮が行われている神社で、21年に1度社殿が造り替えらえます。式年遷宮の時だけ昇殿参拝ができますので、機会があれば行ってみたいものです。ちなみに次回の式年遷宮は令和18年(2036年)の予定で、既に看板が立てられていました。

糺の森(ただすのもり)という、明治神宮並みに長い参道があります。東京ドーム3個分の森だそうです。流石に下賀茂神社はみどころがありすぎて、ゆっくり見学していたらいつの間にか時間が経ってしまいました。また行者のような速足でザックザックと進みます。

 

河合神社

河合神社は下賀茂神社境内社ですが、河合神社単体でも延喜式内社であり明神大社となっています。ここは鴨長明のゆかりの神社だそうで、「女性守護 日本第一美麗神」と書かれていました。なんだかオッサンが入るのは気後れいたしますが、境内を見学してまいります。

あまりにも美しさを押し出し過ぎていて、女性の方もなかなか手が出しにくいという印象です。誰しも美しくなりたいとは思いますが、美しくなりたいと祈っている姿を衆目に晒したくはないと思います。ぐるっと一周見学をして、心の中で「リンダリンダ」を呟きながら、河合神社を後にします。

こちらは高野川に架かる御蔭橋です。私の「俺なりの京都大廻り」の最初に、比叡山を見ながら渡った川が高野川でした。御蔭山という山があって、そこに玉依姫命が降臨したというのが下賀茂神社の歴史の始まりと伝えられています。神武天皇の御代なので、紀元前600年あたりのお話です。文献も何もない伝説ですが、そんな話が受け継がれていることが歴史ロマンです。

こちらは鴨川(賀茂川)と葵橋です。下賀茂神社の入口で鴨川(賀茂川)と高野川が合流します。我慢できずに河川敷を歩いてしまっています。病気ですかね。きれいな夕焼けの中、ここから葵橋を渡って上京区に戻ります。

このあたりの商店街は地域の人々が日常の買物をするお店と、観光客向けのお土産屋さんが混ざっていて不思議な感じです。日常と非日常が混在しています。だんだん暗くなってきましたね。ゴールはもうすぐですよ。

どっちの方角にどれだけ行けばどこに着くか、街が碁盤の目になっている京都なら、これで大丈夫ですよね。私は宅配ドライバーの仕事もしておりますが、基本的に碁盤の目になっている場所は宅配はやりやすいんです。あみだくじのように上から下に降りてくれば良いので。ただ京都は狭い道が多いし、路上に人が多すぎて難しいでしょうね。京都の街を歩いている間、宅配業者を見かけては心の中でエールを送っていました。観光客が波のように押し寄せる中、清水寺産寧坂を台車で配達している人もいました。

今出川通から寺町通に入り、南に向かって歩きます。その名の通りお寺がたくさんある通りです。朝から歩いていましたがそれほど疲れはなく、この辺りでは走り出すくらいの速さで歩いていたんじゃないかと思います。

 

浄土宗 清浄華院

ついにゴールに到着です。こちらは浄土宗の大本山清浄華院です。初めの頃に訪れた金戒光明寺と同様、浄土宗の京都四ヶ本山のひとつです。本物の京都大廻りでは、阿闍梨の世話をしながら共に歩いてきた息障講の皆さんは、この清浄華院阿闍梨と別れて見送るそうです。阿闍梨はここを宿坊として、翌日は反対廻りで比叡山に戻ります。結構な時間になってしまったので、清浄華院の中には入れませんでしたが、京都大廻りでも中に入るのは阿闍梨だけらしいので、私も門の前までで満足です。

本物の京都大廻りは早朝未明より比叡山の山中を巡り、そして更に京都の街を巡るということを100日間行うそうです。私の「俺なりの京都大廻り」はコースもデタラメでまさに我流です。自己満足でしかありませんが、全国大会で優勝しても満足しない人もいるので、自己満足できることは素晴らしいことです。延べ二日間(二日連続ではありません)かけて廻りましたが楽しい経験でした。スマホの万歩計を見ますと、二日間の合計歩数は9万1923歩でした。最後まで読んでいただいた奇特な方に心からの感謝を。ありがとうございました。

 

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