上御霊神社 目次
名称・旧社格
正式名は御霊神社と称します。下御霊神社と対を成す神社だったので、上御霊神社と呼ばれています。旧社格は府社です。
創建
貞観5年(863年)に平安京の神泉苑で御霊会が開催されたことが、御霊神社の創建とされています。
御祭神
火雷神(上記6柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備
みどころ
静かな境内です。荒ぶる人の情念を鎮めてきた神社ですので、心を鎮める御神徳が有名です。「こころしづめ」の授与品もありますので、日常の社会生活で辛いとき、手に持っていると少し楽に生きられると思います。
アクセス
探訪レポート
御霊信仰というのは、現代の日本人の遺伝子にも刻まれているように思います。祟りのような直接的なものでなくても、誰かに嫌なことをしてしまった後に、自分の身の回りに何か悪いことが起こると、私が嫌なことしたから悪いことが起きたと感じることはありませんか? これをその誰かの怨念のためだと結びつけたのが御霊信仰です。
平安遷都以前から、このあたりには出雲氏の氏寺である上出雲寺があり、上出雲寺の鎮守社が、上御霊神社の前身とされています。上出雲寺があれば下出雲寺もある訳で、下出雲寺の鎮守社が下御霊神社の前身となっています。
社殿の正面に神楽殿があります。神様に捧げる舞という意味がダイレクトに伝わりますし、360度から観覧できて良いですね。
神楽殿には生け花が飾られていました。京都にはたくさんの観光地がありますが、京都市には京都ならではの景観を守るために、景観重要建造物という制度があります。その第一号に指定されたのが上御霊神社です。
こちらが御本殿です。神泉苑で御霊会が開かれて以来、上出雲寺御霊殿という名称で、朝廷や民衆の崇敬を集めてきました。祀られているのは政変などで非業の死を遂げた方々です。菅原道真がすぐに思い浮かびますが、道真の時代よりもう少し昔のことなので、道真は御霊神社の御祭神には含まれていないという解釈です。
こちらは境内社の八幡宮です。花御所八幡宮と称し、足利義満の花の御所の鎮守社だったそうです。花の御所というのは足利将軍家の邸宅の通称です。花の御所は京都御所の北西に位置するので、上御霊神社のすぐ近くにありました。
大舞神社、天満宮社、多度神社、貴船神社、粟島神社など、格子塀の向こうにたくさんの境内社が並んでいて、塀のこちら側から拝するシステムだと思われます。この境内社は神社にしては珍しく瓦屋根になっています。
その他、よくあるパターンの長屋スタイルの境内社もあります。30社の神社が並んでいます。
こちらは社殿の裏側あたり。神明神社です。天照大御神をお祀りしています。
福寿稲荷神社です。朱色の鳥居が並んでいます。
境内社があるエリアにも小さな手水舎がありました。
御車舎です。400年の歴史のある御所車が収蔵されています。御所車というのは牛車のことです。平安時代や室町時代、いわゆる貴族の時代では貴人の移動は牛車で行われていたんですね。
牛が御所車を引く写真が貼ってありました。
御霊神社は応仁の乱の発端の地とされています。応仁の乱は応仁元年(1667年)に起こった、室町時代から戦国時代へ移行する発端となった出来事です。守護大名家の家督争いと将軍家の後継者争いが絡んで、11年も続く大きな戦乱になりました。
額堂もありました。現代でも建物が改築されて新しくなると、そこに何があったのか、どんな景色だったのか、思い出せなくなることがあります。額堂は100年前も、200年前も確かに人々の信仰が存在したことを知らせてくれます。
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