寺社探訪

寺社探訪とコラム

「墓参りに行く」

千の風になって」の歌詞によるとお墓に亡き人はいないので、お墓参りをしても留守宅のチャイムを押すようなものなのかもしれません。霊魂のようなものが存在するとしても、それがずっとお墓の中にいると思う人は少なくて、多くは天国や極楽浄土という別世界に存在していると思っているのではないでしょうか。

10月の下旬に10年ぶりに帰郷したので、雨の降る中を10年ぶりに父の墓参りに行きました。父の命日は11月で、今年は23回忌になります。23回忌の法要は母と姉家族と妹家族で行ったとのことでした。我が家系の墓事情は複雑で、この父が建てた墓には父と祖父が入っていて、祖父が建てた墓には祖母と曾祖母と大叔母が入っています。父が墓を建立した市営墓地はめちゃくちゃ広くて、写真に写っているのは先の方まで含めても全体の1/5程度です。

母と妹家族がマメに墓参りをしてくれていて、周囲の墓と比べても父の墓だけ雑草ひとつ無く、供花も萎れておらず目立って綺麗でした。甘いものが好きだっただので、カフェオレとチョコレートをお供えして、10年ぶりの墓参りをしました。亡き人を忍ぶ場所に、魂が虫や動物に宿って現れるという言い伝えがあります。このカタツムリは父なのか、祖父なのか……。

10月の帰郷期間中に、何日か京都へ行きました。その際訪れたのが東本願寺の大谷祖廟です。私の家系は一族間でお墓をめぐる揉め事があり、それ以来大谷祖廟に納骨するのが伝統となっています。揉め事があった頃の私はまだ未成年で、誰と誰が大谷祖廟に納骨されているのかよくわかりません。父は新興宗教の信者でしたが、他の親族は真宗大谷派門徒ですから、父の信仰に否定的でした。それでも祖父の葬儀は長男で同居もしていた父が仕切り、祖父の遺骨は父の墓に納骨されました。

しかし実は祖父の遺骨は分骨されていて、父が行う法事とは別に、父の家族以外の親族が真宗大谷派の宗旨で法要をしてきたそうです。ということは、一族の伝統に従うと、祖父のお骨も大谷祖廟に納骨されていると考えるのが妥当です。今となっては祖父の兄弟も父の兄弟も亡くなってしまっていて、親族同士もかなり疎遠になってしまいました。父の長男なので私にはそのあたりの情報は入りませんが、叔父や大叔父や大叔母には、かわいがってもらった記憶があります。誰の命日でもない突然の訪問でしたが、面倒見ていただいた親族のお墓参りができました。

お墓参りはいつ行うべきでしょうか? 命日、年末年始、春秋お彼岸、お盆などでしょうか。私は未婚なので、私の家族というと2020年に亡くなった猫だけです。愛猫が癌に罹る前は、新たに保護猫を引き取って多頭飼育も思い描いていましたが、凄まじい闘病と見送ることの悲しさを経験したら、もう飼えなくなってしまいました。さて、私は年末年始と命日の年3回、愛猫の墓参りをしています。お彼岸とお盆は深大寺動物霊園では大きな法要を行っていて、深大寺の僧侶が読経をして多くの方が供養に訪れます。できれば賑やかな時ではなく、寂しいなと思うような時に訪れるのが良いかと思っていますが、愛猫的にはどうなんでしょう? 賑やかな参観日に親が来ない寂しさを感じていたりして。

訪問したのは12月30日。深大寺動物霊園の万霊塔は早くもお正月仕様で、鏡餅がお供えされていました。いつもはお線香ですが、この日はお焼香が用意されていました。観音菩薩がご安置されていますので、観音様にまた来年もうちの猫をよろしくお願いしますと伝えました。

深大寺動物霊園は境内の高台にあります。隣にある開山堂からは、元三大師堂と本堂を見渡せます。本堂には五色旗が張られて、押し迫ってきた感があります。

こうして今年は先祖と愛猫のお墓参りをすることができました。そこに亡き方はいなくても、お骨は納められています。物質的には本人そのものの遺物ですから、大切なものとして丁重に供養します。そうすることで自分の気持ちが豊かになるから、お墓は生きている人の拠り所として必要なんだろうと思います。であるなら、私のお墓って必要なのか? という疑問が……。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・仏閣ランキング