寺社探訪

寺社探訪とコラム

下鴨神社 1

下鴨神社 目次

名称・旧社格

加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と称します。通称下鴨神社(下賀茂神社)と呼ばれています。旧社格官幣大社です。

創建

不詳ですが、崇神天皇7年(紀元前90年)に瑞垣が改修された記録があるので、それ以前の創建とされています。

御祭神

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

みどころ

2000年を超える歴史を紡ぐ、京都を代表する神社です。森があり水があり境内社があり、伝統を正しく受け継ぐ神社の姿を見ることができます。

アクセス

京都市左京区下鴨泉川町59

京阪本線出町柳」徒歩12分

 

探訪レポート

賀茂川と高野川の合流点に下鴨神社があります。当ブログのコラムで「神社の格式」を解説しましたが、下鴨神社延喜式内社(名神大社)であり、二十二社(上七社)であり、山城国一之宮であり、官幣大社であり、勅祭社であり、別表神社であり、ご祭神の神階は正一位という格式高い神社です。更に付け加えるとユネスコ世界遺産でもあります。冒頭の写真は一之鳥居と石標です。参道に入るとすぐに重要文化財に指定されている旧三井家下鴨別邸があります。

下鴨神社賀茂御祖神社というのが正式な名称で、賀茂氏氏神を祀る神社です。上賀茂神社主祭神である賀茂別雷大神の父母である賀茂建角身命玉依姫命を祀っています。奈良時代以前から朝廷からの崇敬を受けていましたが、平安遷都では都の守り神として厚い信仰を受けることになります。木々が豊かですが、ここから参道は糺(ただすす)の森と呼ばれるエリアに入ります。ここは縄文時代の原生林の頃から現代まで受け継がれている森なのだそうです。

式年遷宮」の立札が掲げられています。式年遷宮とは一定の周期で神殿を造営し、ご神体を遷すことで、20年に1度の伊勢神宮式年遷宮が有名です。下鴨神社にも式年遷宮が設定されていて、21年に1度式年遷宮が行われます。次回は令和18年だそうです。下鴨神社の本殿は国宝に指定されているので、実際には建て替えるのではなく改修を行い、境内各所の整備を行う事業となっているそうです。糺の森に囲まれた石畳の参道を進みます。

境内社というには立派過ぎる河合神社に到着です。「女性守護 日本第一美麗神」と書かれています。御祭神は玉依姫命です。手鏡型の絵馬に描かれた顔に自分が普段使用しているお化粧を施し、奉納するのだそうです。ちなみに河合神社は下鴨神社境内社でありながら、延喜式内社で名神大社となっています。

こちらは河合神社の社殿です。境内にはやはり女性の方が多く、皆さん楽しそうに拝観していました。美醜はアイデンティティの根幹にも関わるものなので、深刻な感じなのかとも思いましたが、明るい表情の方が多くて、これが世に言うパワースポットなのだなぁと感じました。

河合神社の門の前に三井社があります。説明書きによりますと、下鴨神社は古代山城国愛宕、葛野郷を所有しており、その里には下鴨神社の分霊社が祀られていました。三井社は鴨社蓼倉郷の総社として祀られていた神社なのだそうです。

中央の参道に戻り先へ進みます。こちらは二十二所社という鴨川神社の摂社です。お祀りされているのは鴨氏の始祖神です。元々は旧鴨社神宮寺場内に祀られていましたが、正徳元年(1711年)に第23回式年遷宮の際に下鴨神社境内に造営されました。一時期は比叡山日吉大社の遥拝所だった時代もあるそうです。21年に1度の式年遷宮の際に御開帳されるそうです。

二十二所社に相殿として一緒にお祀りされたのが雑太(さわた)社です。お祀りされているのは神魂命(かんたまのみこと)、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)です。社殿の前にあるのはラグビーボールを象っています。御祭神の神魂命の「魂」が「球」に通ずるということで、明治43年に社前の馬場で第三高等学校VS慶應義塾大学ラグビーが行われたのだそうです。これが日本ラグビー最初の地として今日の発展に繋がっているとのことで、お祀りされているのだそうです。

こちらは手水舎のようですが、垂水「たるみ」と称しています。鴨川流域に暮らす人々にとって、源流は糺の森と見られていました。神々の鎮まる聖域から広大な神の森を伝ってもたらされる清水を心身に注いで、ご神威をお受けくださいとのことです。

賀茂斎院御歴代斎王神霊社と称します。斎院というのは、下鴨神社上賀茂神社に仕える皇女のことです。伊勢神宮に仕える皇女は斎宮と呼びます。賀茂祭(現代の葵祭)を主宰しする賀茂斎院は、今では一般の未婚女性の中から選ばれています。天皇の御子として生まれて、伊勢斎宮や賀茂斎院になるというのは、名誉なこと+天皇の御子が家を出るという寂しさがありますね。現代でも降嫁された黒田清子さんが伊勢神宮の行事を主宰するのをニュースで見かけます。

糺の森はまだまだ続きます。明治神宮の参道にも似ていますが、あそこまで深い森ではありませんし、参道の幅も明治神宮よりも狭いです。

こちらは手水舎です。御手洗(みたらし)・直澄(ただす)と称します。石の船の形をしています。注いでいるのは下鴨神社の主と呼ばれた樹齢600年のケヤキです。覆屋(おおいや)は崇神天皇7年に神天皇7年(BC90年)に造り替えをしたという記録を元に再現されています。

二之鳥居です。ここにも「令和18年4月 第35回式年遷宮」と書かれています。まだまだ先の話ですが、境内のどこをどのように改修して、必要な費用は幾らで、どのように費用を調達するかというのは、既に始まっています。下鴨神社では式年遷宮の費用捻出のために境内を割いて分譲マンションを建築してニュースになりました。

長い参道も先の方に門が見えてきました。

さざれ石です。神社や寺院によくご安置されています。国家「君が代」の歌詞に登場するので、皆さんご存知ですね。磐座(いわくら)に対する信仰に見られるように、古来より石には霊力があるとされています。さざれ石は火山の噴火によって石灰岩が分離集積して固まったもので、見た目にも珍しく、中には不思議な様相のものもあります。そこに見えざる力を感じ、神の宿るものと考えたのでしょう。

境内社の相生社です。お祀りされているのは造化の三神のひと柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)です。御神徳は縁結びです。社殿の左には御神木がありますが、「連理の賢木」と称し、2本の木が神皇産霊神の御神徳で1本に結ばれたものと言い伝えられています。

米俵が積まれていますが、「日供御料初穂献備」と称します。毎年の収穫期に最初の収穫を神に捧げていた習慣が受け継がれているものです。農家だけではなく個人や企業や団体が納めているようです。

楼門までやってきました。長かったですね。式年遷宮をする神社は一定期間ごとに建て替えますが、下鴨神社の楼門は寛永5年(1628年)の式年遷宮以降は建て替えずに改修しています。ここを通過すると、いよいよ神域の中心部になります。長くなってしまったので、前後半に分けてレポートいたします。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・仏閣ランキング