寺社探訪

寺社探訪とコラム

東寺真言宗 東寺 2

南大門から時計回りに境内を半周しました。こちらは重要文化財に指定されている北大門です。鎌倉時代後期の建造だそうです。境内から北大門を出て、さらに北に進む道は櫛笥小路(くしげこうじ)と呼ばれる参道になります。左手に洛南高校があります。洛南高校は進学でもスポーツでも全国的に有名な学校で、多くの有名人を輩出していますが、東寺の境内にありますので真言宗仏教系の高校です。

門を出てすぐ右手に善女大龍王という石碑が建っています。竹で仕切られていて中へは入れないのかなと思いつつ、先へ進みます。堀があって、橋が架かっています。

橋を渡って堀沿いを右に曲がると、お堂に突き当たります。こちらは太元堂と称します。石碑には「開運大元帥明王」と記されています。大元帥明王は国家の鎮護を司る明王です。大元帥という名が示すように、不動明王と並ぶ明王の最高尊として位置づけられています。そもそもは人を食らう悪鬼神でしたが、釈迦の説法によって仏教に帰依し善神になっています。国家を鎮護する強大な力を持つので、国家の大事に調伏などが行われてきました。

太元堂を右に曲がって橋を渡ります。奥に見えている橋を左から右に渡り右に曲がって、さらに右に曲がってこの橋を右から左に渡っています。コの字に歩いている感じです。

するとまた一つお堂があります。こちらは弁財天女堂です。

弁財天の隣に善女龍王が祀られていました。先ほど通過した竹で仕切られていた参道が通れればここに至ります。きっと遠回りして太元堂と弁天堂にお参りしてから来いということなのでしょう。善女大龍王の石碑の前に鳥居と拝所が設けられています。当ブログでレポートした神泉苑でも中心に善女龍王が祀られており、天皇の命を受けた空海神泉苑で善女龍王に雨乞いの祈祷をして雨を降らせたという有名な出来事もあります。

善女大龍王の石碑の隣にお社があります。どなたお祀りしているかは、見ただけではわかりませんでした。善女大龍王の社殿にも見えますが、わかりません。

さて、櫛笥小路に戻って、北に進みますと塔頭寺院で別格本山の観智院があります。興味深い内容だったので説明板の通りに書きますと、延慶元年(1308年)に後宇多法皇が東寺の西院に3年間参籠し、21の寺院を建立したうちのひとつなのだそうです。代々学僧が居住し、多くの経文書籍を所蔵し、勧学院として後学の用に供するように家康が命じたと言われています。観智院は東寺塔頭の中で最も格式が高く、観智院の住職(寺院の長)が東寺の別当職(管長:長者)を兼ねていました。現在の建物は慶長10年(1603)年に完成した客殿(国宝)をはじめ、いずれも江戸時代の建築です。客殿の床の間に宮本武蔵が描いた「鷺の図」、襖には「竹林の図」があります。本堂には山科安祥寺の恵運が唐から請来した五大虚空蔵菩薩重要文化財)をご安置しています。空海後宇多法皇徳川家康宮本武蔵と、時代を越えて歴史上の人物が観智院に関わっているのが面白いです。

更に櫛笥小路を進むと宝菩提院という、観智院と同じく別格本山になっている塔頭寺院があります。さて東寺の境内に戻り、北大門から入りますと、大きな手水舎があります。

手水舎の裏側に食堂があります。食堂は僧侶が生活の中に修行を見出す場所です。現在の食堂は昭和5年(1930年)に火災で焼失し、昭和8年(1933年)に再建されたものです。旧本尊として高さ6mの平安時代の千手観音像(重要文化財)と四天王像がありましたが、この時の火災で焼損し、現在は修理されて宝物館に所蔵されています。現在の本尊は十一面観音像となっていますが、四天王像は焼失したものを修理して、食堂にご安置されています。実際に食堂内に入ると、より衆生に向けた場所のようで、授与品や展示物がたくさんありました。納経所が次期堂内にあり、食堂の一角に机が並んでいて写経できるようになっています。この日も数名の方が写経していました。私ももう少し上手になったら、東寺の食堂で写経してみたいです。

この建物は宝蔵(重要文化財)で、寺院で火災が起きても守られるように周囲を堀に囲まれています。有名な奈良の正倉院のような造りです。歴史の授業で習った校倉造(あぜくらづくり)というものですね。東寺に現存する最古の建造物で、ほぼ創建時のものが残っているそうです。

ここからは有料拝観ゾーンです。急に風光明媚になりましたが、池泉回遊式庭園の入口に大きな枝垂桜があります。こちらは不二桜と呼ばれる八重紅枝垂桜です。平成18年(2006年)に弘法大師帰朝1200年を記念して、檀家総代の方が寄進したものだそうです。花が咲いている写真を見たことがありますが、それはそれは見事です。

食堂の真南にあるのが講堂(重要文化財)で、現在の行動は延徳3年(1491年)に再建されたものです。講堂は空海が伝えようとした密教の真髄が表現されていて、東寺の境内の中心に建てられています。空海密教で宇宙の中心とされる大日如来を講堂の中央に安置し、大日如来を中心に五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天帝釈天の21躰の仏像を安置し、立体曼荼羅を創造しています。ちなみにこの21躰のうち16躰が国宝で、残る5躰は重要文化財です。堂内はキリっとした空気が漂っていて、外国人観光客の皆さんも神妙な雰囲気で仏像を眺めていました。中央の大日如来の前で五体投地している日本人の方もいました。

講堂の真南に本堂にあたる金堂(国宝)があります。境内をぐるっと一周してきたことになります。現在の金堂は豊臣秀頼が再興させたもので、慶長8年(1603年)に竣工しました。本尊は薬師如来です。脇侍に日光菩薩月光菩薩を配し、いわゆる薬師三尊の形をとっています。台座の周囲に十二神将を配しています。金堂と講堂と食堂は寺院の中央を一直線に並んでいて、金堂が「仏」、講堂が「法」、食堂が「僧」、いわゆる「仏教の三宝である仏法僧」を意味しています。

東寺のシンボル的建造物である五重塔(国宝)です。現在の塔は五代目で、正保元年(1644年)に徳川三代家光の寄進によって建立されました。高さは55mで、木造塔としては日本一の高さだそうです。五重塔仏舎利塔として建造されたものが多く、東寺の五重塔にも、空海が唐より持ち帰ったとされる仏舎利が収蔵されています。

当ブログでレポートしましたが、真言宗の立教開宗1200年記念事業として、東寺勧進写経が行われました。郵送でも参加できたので、私も写経を送りました。全国より寄せられた写経は、1200年記念の慶讃大法会の中で「勧進写経五重塔塔内奉納法要」という法要を営み、五重塔の内部に納められたそうです。その中に私の拙い写経も含まれていると思うと感慨深いものがあります。

東寺を拝観していると、弘法大師空海がいかに超人的な僧侶で、国政を担う天皇上皇からいかに頼りにされていたのかが伝わってきます。平安京には東寺と対を成す形で西寺があり、守敏(しゅびん)という僧に託されていました。東寺の空海VS西寺の守敏という構図で法力対決などもあり、伝記を見ると映画「アマデウス」のモーツァルトサリエリのように感じました。西寺は現存しませんが、現代に残る東寺には、25件81点の国宝と、52件23.603点の重要文化財保有されています。京都には観光寺院がたくさんありますが、弘法大師空海という稀代の僧と、京が都であった頃の信仰を最も感じられる寺院だと思います。

 

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