寺社探訪

寺社探訪とコラム

「葬儀業界を去る人たち」

家族葬の流行とコロナ禍によって、2020年あたりから葬儀業界を離れていく人たちが増えました。あの人も、この人も、望まない現実を受け入れて、葬儀業界を去っていきました。

就職は人の尊厳に関わるので、センシティブで個人的なものです。特にネガティブなことであれば、他人が触れるのも憚られます。そのため、改まったイベントも無く、水に浮かぶ泡のようにパッといなくなってしまいます。淋しい話ですが、しばらく経ってから「あの人、辞めたらしいよ」と人づてに知ることとなるのです。葬儀は専門知識とスキルを持った人たちが集まって作り上げるもので、ひとつのお葬式には様々な会社の社員やフリーランスが関わっています。ただ同じ会社の従業員ではないので、何年も一緒に働いた仲間でもお別れの挨拶すらなく、二度と会うことのない関係になってしまいます。どこかで新しい仕事を得て、元気に過ごしていることを願いつつ、ふとした瞬間に、あの人どうしているかな? なんて残った皆で話しながら……。

私がしていた葬祭スタッフ業という仕事も、コロナ禍による家族葬やワンデー葬儀の流行で、需要が激減してしまいました。急に仕事が少なくなり、生活のために副業をする人も増えました。取引関係の皆さんも長年の付き合いを大切にしてくれて、私が仕事を続けられるように苦心してくださっていました。いつか沈む船に乗っている自覚を誤魔化しながら、1日ずつ生き延びてきた感覚です。

2024年の春に手術のため仕事を1ヶ月半休み、夏にコロナに罹ってまた1ヶ月ほど仕事を休んでいました。フリーランスでこんなに休んでも許容してくれる環境に感謝しなければいけません。しかしその頃の私は同時多発的に病気になっていて5つの病院に通い、予約が取れないほど混んでいる病院や、電車で1時間かけて通う病院もあり、毎週の病院通いにほとほと疲れてしまっていました。疲れて休みたい心身と、働いて恩返ししなくてはいけない状況が噛み合わず、その時「いつかは……」と思っていた時を、今にしようかなと思いました。

契約しているスタッフ派遣会社に、数ヶ月間静養することと、葬儀業界を去ることを告げました。会社員でもない個人事業主の私の意思は、誰かが阻止すること無く通ります。私の26年間のお葬式の仕事は、メール1通で終わりました。アルバイトから始めて取締役になり、最後はフリーランスになって、私の人生で最も深く関わった会社でしたが、あまりに呆気ない終わり方です。同じフリーランス仲間に対しても、お世話になった葬儀社や関連会社の皆さんに対しても、コロナ感染による休業期間中の廃業なので、誰かに何かを伝えることもなく、私自身も泡のように消えて行くことになりました。

 

病院通いに専念する期間を経て、10年ぶりに実家に帰って静養期間を過ごしました。26年間働いてきたのでゆっくり休みたかったです。食事制限や投薬では血液検査の数値が改善しなくて体調は悪いままでしたが、気持ちが解放されてよく眠れました。コロナに罹ったのが8月半ば過ぎ、葬儀の仕事を廃業したのが9月半ばで、そこから静養期間に入り、ズルズルと年を越してしまいました。葬儀業界の仲間たちはというと、連絡があった方にはこれまでの御礼を伝えましたが、ほとんどの方は音沙汰無しです。多くの方にお世話になったのに、誰にも何の挨拶もせずに廃業したことは無礼千万だし、皆で乗り越えようとしている中から離脱して、かなり非難されていると思います。

私が去った後の葬儀業界は、私がいてもいなくても変わらぬ状況で推移しているはずです。私がしていた仕事も、誰かが受け継いでくれているでしょう。相変わらず規模縮小に歯止めが効かず、厳しい環境だとは思います。私と共に働いてくれた皆さんは、変わらぬ毎日を送っているだろうか。いつかは沈む泥舟を、丈夫な船に改修できているでしょうか。葬祭業はサービス業のひとつですが、携わる我々の人間性を提供する仕事だとも思います。プライスレスな部分が多くて、しかもそこが重要なのです。やってもやらなくても分からない部分を、ちゃんやるのだという気持ちを皆が持って働いていました。肉体的にキツい場面も多く、暑い寒いに耐えることは日常茶飯事です。

先日、寺院式場の前を通ると、お世話になった葬儀社のハイエースが停まっていて、葬儀社さんや花屋さん他、スタッフの皆さんが設営作業をしていました。懐かしさの手前で、申し訳無さが込み上げます。長く感じた信号待ちの間、じっと様子を伺っていると、ただ黙々と道具を運ぶ皆の姿に感動してしまいました。私もあの中にいたんだなと、誇らしいような淋しいような気持ちになりました。

(※ 写真はイメージのためのフリー素材です)

 

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