寺社探訪

寺社探訪とコラム

山+仏「陣馬山〜高尾山縦走+薬王院」②

昨年5月、退院後の初登山として標高229mの金尾山に挑み、途中で気絶しそうになり断念しました。11ヶ月ぶりのリベンジ登山に選んだのは、人気の陣馬山〜高尾山縦走です。後編は景信山からのスタートです。

景信山~小仏峠

景信山で昼食を済ませ、小仏峠方面に向けて出発です。20年前に登山用に買ったレインウエアをずっとリュックに背負ってきて、この日ここで初めて着ることになりました。配達の仕事ではどんなに土砂降りでも傘をさすことは無く、カッパを着て働くのですが、登山用品のカッパは全然違うのですね。何より軽くて動きやすいです。そして暖かい。20年目にして初めて使うカッパに感動しましたが、20年分進化しているはずの現代のカッパにも興味が湧きます。

よーく見ていただくと、私を颯爽と追い抜いていったトレイルランナーが小さく粒のように見えます。どんな心肺してるんでしょうか。やはりトレイルランをしている方は、ふくらはぎの筋肉が凄い発達していますね。私はトレッキングポールを使って膝が持ちこたえますようにと祈りながら歩いていて、同じ人間なのに大きな差があります。

景信山の賑わいは跡形もなく、ひとり黙々と歩きます。高尾山は世界一登山者の多い山ですが、高尾山と繋がっている景信山や陣馬山も、国内トップクラスの登山者数を誇る山です。高尾山の1号路のように、絶えず人が周囲にいるような山歩きを想像していましたが、土日祝でもない限りはひとりの空間を味わえるのかなと思います。

小仏峠

少し広くなっている場所に着きました。ここが標高548mの小仏峠です。中央自動車道小仏トンネルで名が知られています。江戸五街道のひとつ甲州街道は、江戸日本橋から新宿、八王子、甲斐国を経て、信濃国下諏訪宿中山道と合流していました。

当ブログの「江戸六地蔵+街道」という企画でレポートしました。レポートでは新宿から日野宿までご紹介しましたが、日野宿の次の宿場町が八王子宿です。八王子の次が駒木野宿で、ここまでが現在の八王子市です。その次は相模原市の小原宿になります。この駒木野宿と小原宿の間に、便宜上宿場町のように扱われた間の宿(あいのしゅく)として、小仏宿があったのです。小仏宿には本陣や脇本陣のような施設は無く、関所がありました。

小仏の名の由来かどうかは不明ですが、お地蔵様がいらっしゃいます。甲州街道国道20号)は、明治時代の中頃に小仏峠経由から大垂水峠経由に変更されています。小仏峠経由では自動車が通行できる道路を造ることが難しかったからなのですが、そこで迂回したくない中央自動車道JR中央本線小仏トンネルを通るようになったのです。

お茶屋さんの廃墟があると聞いていましたが、こちらのことでしょうか? もう朽ち果てて行くだけの運命ですね。右の石碑は三条実美の歌碑だそうです。「来てみれば こかひはた織いとまなし 甲斐のたび路の野のべやまのべ」という歌です。当時奥多摩エリアで養蚕・製糸・織物業が盛んだったことを物語っています。言われてみれば、多摩エリアでは養蚕業の守護のために、金刀比羅宮や稲荷社を勧請したのを見かけることがあります。

ここには「明治天皇小仏峠御小休止跡及野立跡」という石碑が建っています。

陣馬山から縦走していると、標高的には下って小仏峠に辿り着く感じですが、甲州街道を歩いてくると、登って辿り着いた頂上という感覚です。

甲州道中歴史案内図がありました。江戸時代の街道は参勤交代などに活用されていましたが、甲州街道は距離的には江戸に向かう近道になりましたが、中山道を利用する方が圧倒的に多かったそうです。

神様っぽい、よくわからない祠がありました。

小仏峠~小仏城山

階段を登る道は息が切れるので苦手です。今回は膝が痛いので、捻ったり滑ったりしないように注意しながら歩きます。階段を登り切ってひと息つくと、また階段というのを繰り返します。

するとまた目の前に階段が……。

結構な登りでしたが、登り返しがあるということは頂上が近いということでしょう。

小仏城山

小仏城山、標高670.3mに到着しました。ここも山頂は広く、茶店を中心に賑わっていました。実は小仏城山は登山者数日本3位という人気の山なのです。

雨が降って寒かったので、なめこ汁やおでんやカップ麺が売れていました。昼ごはんがサンドイッチだけだったので、私も何かいただこうと城山茶屋さんでウインドウショッピングを楽しみ、結局パンを2個買いました。500円也。

小仏城山は山城だったからそのような名称になっています。左が小仏茶屋で、右が小仏城山青天狗です。青天狗の場所には、以前は春美茶屋があったそうですが、景信山で営業をしていた景信茶屋青木さんが小仏城山に移ってきて営業を引き継いだのだそうです。

小仏城山から東京都心方面の眺望です。

小仏城山~高尾山

小仏城山から高尾山まではおよそ1時間の行程です。雨も本格的に降ることは無く、ポツポツ程度で止みそうです。そもそも一日晴天の予報ですから、心配はいらないと思います。心配なのは膝だけで、ここから一気に下って登るらしいので要注意です。

しかし、高尾山に行くといつも思うのですが、これほどまでに整備された道を歩いて、果たして登山と呼べるのでしょうか。事故がないように、安全に楽しめるようにしてくださっているのですが、至れり尽くせり過ぎて疑問を感じることがあります。

ロードローラーで整地したかのような山道ですが、この整備が無いとここまで登れない方もいらっしゃると思うと、必要な整備なのかとも思います。ロープウェイやケーブルカーと同じことなのかなと考えながら、トレッキングポールを使って歩いている自分を顧みない私は……。

さて、ここは一丁平の見晴台です。春は桜、秋は紅葉が見事に色付くことで有名な場所です。富士山も見えるそうですが、雲が低く垂れ込めていて、この日の遠くの眺望は今ひとつでした。

途中で桜がちらほら咲いているのが見え、道具を広げて花見をしている人もいらっしゃいました。都市の公園などで観る桜も素晴らしいですが、山中の雰囲気で味わう花見も贅沢ですね。

結構な下りで、膝を庇いながら進みます。庇うようになると、既に歩くバランスが崩れているということですから、どこかしらが痛くなってきます。それでもこのルートは80代の方でも楽しんでいる方がいらっしゃるので、弱音を吐くのは恥ずかしい限りです。この日も多くのお年寄りの方々とすれ違いました。

下り切ったのか登りが始まりました。もみじ台へ向かいます。下から見ていると、さっそく弱音を吐いてしまいそうな階段です。先ほどと同様に、終わったと思うとまた次の階段が現れるパターンで、これがデフォだと思えば、そこまでショックを受けません。もう高尾山は近いです。名残惜しみながら歩きましょう。

登り切ったら、また現れる階段。この階段を登り切った先には、さぞかし素晴らしいものが待ち受けていると想像し、前へ進みます。それが遥かな眺望なのか、満開の美しい花々なのか、絶品のだんごなのか、来るべき素晴らしいものを想像しながら、ハァハァ言いながら階段を登ります。

登り切ったところにあったものは、「紅葉台便所」でした。確かに、眺望や花やだんごが無くても生きていけますが、便所無しに生きることは難しい。それほど大切なものです。と言いますか、途中から何となく勘づいていました。写真には写りませんが、トイレが近くなってくると臭いでわかります。このもみじ台に限らず、トイレの臭いって結構離れたところからするので、山の中の清々しい気分が、トイレの臭いにかき消されることがあります。それでも必要なのがトイレですから構わないのですが、誰かの何らかの技術革新で解決されると良いなと、他力本願なことを考えてしまいます。

またロードローラーで整地したような道を歩きます。今度は道の両端にガードレールが付いています。ミシュラン三つ星の至れり尽くせりの高尾山が近づいてきた証拠ですね。

紅葉台に到着です。お茶屋さんが閉店準備をしていました。Yamapによると私のペースは平均の130%程度で、かなり遅いです。そんなゆっくりのんびりでも楽しんで歩けるのですから、陣馬山~高尾山縦走コースはおすすめのハイキングコースです。

こちらは紅葉台からの眺望です。頑張って登ってきたのですが、雲が垂れてきていますね。雨が降っているところもありそうです。

登ったら下ります。数日前に両膝を怪我した時は、左膝の方を激しく打って、大きく腫れたのですが、山の中を歩いていて痛いのは右膝です。左を庇うから右に負担がかかる、ということなのでしょうか。それでも特に足を引きずることなく歩けています。まぁ、陣馬山から堂所山を登り、下っている途中まで怪我したことすら忘れていたのですから、この程度です。

ここで分岐があります。高尾山まで0.2km! マッハ末續なら20秒ですね。

最後なのかどうか、石畳の階段が現れました。もう登山ではないですね。ここは高尾山の5号路との交差点です。5号路は山頂の下を一周するコースです。

スミレの花が咲いていました。4号路に多く自生していて、春頃に花が咲くのを見られます。ちなみに宝塚歌劇団が歌う有名な「すみれの花咲く頃」という曲がありますが、あの曲は宝塚歌劇団の団歌という訳ではなく、むしろ日本の曲でもなくドイツの曲で、原曲ではすみれではなくライラックです。

上り階段も終わりが見えてきました。しかし、登りきったら、また階段が現れる、というのを繰り返したので、騙されたくない私は続きがあると思って進みます。

高尾山

すると、呆気なく高尾山の頂上に到着しました。想像の1/10程度しか人がいなかったです。これは平日なのと、桜の満開の時期が済んでいることと、もう夕方になっているからですね。茶店も閉店していて、外国人観光客が残念そうにしていました。

高尾山の展望台からの眺望です、遠くの方は雲が垂れさがって天気が悪そうです。山頂の広場の端に座って、トレッキングポールを折りたたんで、レインウエアもリュックに片づけました。他にも使わなかった装備としては、熊鈴とクマ避けスプレー、小型の懐中電灯が入っていました。靴とズボンの裾に着いた泥を落として、下山に備えます。

薬王院

奥の院から境内に入るという、いつもと逆のパターンです。時間が遅いので参拝の方々も少なめです。極彩色の御本社には飯縄権現がお祀りされています。

大本堂からは読経が聞こえてきたので、御護摩の祈祷をしていたと思われます。3月に行われている火渡り修行の時に交通安全の御守りを更新しているのですが、今年も仕事の都合で行けませんでした。そこで今年はこの陣馬山~高尾山縦走の日に交通安全の御守りを求めました。車を運転する仕事なので、交通安全は最低限であり最重要な目標です。大本堂前エリアの授与所は本日閉店状態でしたが、その下のエリアの授与所が開いていました。また1年大きな事故無く過ごせますように祈願して、車の中に御守りをぶら下げておきます。

山門を通って薬王院を後にします。まだこの時間からでも参拝に訪れる観光客が山門を通って境内に入っていきます。日本遺産というのはピンポイントで「この施設」と選定されるものではなくて、歴史の中のストーリーが丸ごと日本遺産として選定されます。高尾山薬王院が選ばれているのは「霊気満山 高尾山 人々の祈りが紡ぐ桑都物語」というストーリーです。


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薬王院京王線高尾山口

やはり下から登って来ないで薬王院を後にするのは、気持ちが悪いというかしっくり来ません。この先には浄心門という薬王院の入口となる門があるのですが、浄心門の横に健脚祈願で有名な役小角がお祀りされている神変堂があります。両膝の怪我を忘れていて、騙しながら歩いてきたのですが、無理が祟って明日から困らないように祈願しておきました。

ここはケーブルカーの高尾山駅付近の見晴台です。この付近のお茶屋さんも、空いているところもありましたが、だいたいが閉店していました。時刻的には16時頃だったので、結構シビアに閉店するんだなという印象を受けました。

リフトも16時まで(12月~4月)なのでケーブルカーで降りることにしました。右に見えているのは高尾山ビアマウントです。約20年前に陣馬山~高尾山縦走に行ったと書きましたが、その時に縦走後にみんなで訪れました。1965年に開業とのことなので60周年という歴史あるビアガーデンです。

ケーブルの高尾山駅から京王線高尾山口までの間が、ここ数年でお洒落になってきましたね、山岳救助サービスを展開しているココヘリのポップアップスペースやら、サロモンのコンセプトショップ、ドーナツ屋さんやセレクトショップ+カフェなどなど、お洒落なお店が増えました。

京王線高尾山口駅前にはタワシとバケツが置いてあって、登山靴を洗えるようになっています。ここでゴシゴシ洗うことができたので、靴がきれいになりました。タオルハンカチを1枚犠牲にして、ズボンの裾の泥もきれいに拭きとることができました。
昨年5月に術後初の登山に失敗し、それ以来多摩丘陵をハイキングしたり、書写山にロープウェイで登ったりと誤魔化してきましたが、ついに一応山と名の付くところへ自分の足で登ることができました。時間はかかりましたが、陣馬山から高尾山まで本当に気持ちの良い、楽しい縦走路でした。

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