名称・寺格
上野山 福祥寺(じょうやさん ふくしょうじ)と称します。通称、須磨寺と呼ばれています。真言宗須磨寺派の大本山(総本山)です。
創建
仁和2年(886年)に、光孝天皇の勅命で聞鏡上人によって建立されました。
御本尊
聖観音菩薩
みどころ
宗派の本山であり、広い敷地に様々な堂宇が並んでいます。源平合戦一の谷の戦いの史跡でもあり、歴史好きな方にもオススメです。
アクセス
探訪レポート
神戸から姫路までを繋ぐ私鉄、山陽電鉄に乗って須磨寺駅で降りると、既に門前の雰囲気漂う商店街になっています。真言宗須磨寺派の大本山(総本山)の須磨寺は、昭和21年(1946年)に高野山真言宗から独立した、古義真言宗の一派です。
参道を歩いていると、「祈りの回廊・亜細亜万神殿」という施設がありました。もちろん須磨寺の一部なのですが、雰囲気はアジアです。この施設は阪神淡路大震災や東日本大震災の際に、ネパールで大規模な供養が行われていたということを知った須磨寺が、ネパールで起こった大震災の際に建立したものです。
このお堂はネパール風に建築され、中のストゥーパはカトマンズにあるネパールでは誰もが知るような寺院のストゥーパを模して造られたそうです。ストゥーパの中にはルンビニーの砂が納められていて、正面には須磨寺と縁の深いネパール人僧侶寄贈による釈迦誕生仏がご安置されています。ストゥーパの周りには摩尼車が巡らされ、誕生仏の正面に仏足石があります。
そもそもこの施設は、とある古美術商の方からアジア各国で収集された石像を、まとめて須磨寺に寄進されたことから建設されたのだそうです。建設中にネパールで大震災があり、連絡を取る中でネパールの国と仏教界が日本の震災時にしてくれたことの恩返しと、日本在住のネパール人の方々の拠り所とすべく、このような施設になったのだそうです。
本山級の寺院は周囲に塔頭寺院が多く並んでいるものですが、須磨寺にも塔頭寺院があります。参道を歩いていて最初に遭遇するのが正覚院という寺院です。昭和13年の再建だそうです。本尊は三目六臂の愛染明王と、いきなり真言宗らしく明王信仰です。法具や武器を手にしていて、憤怒の表情で衆生を救済してくれます。
龍華橋です。放生池に架かっている橋です。放生というのは仏教用語で、捕らえた魚を生かして放すという意味です。放生池のある寺院では、実際に池に魚を放つ儀式を行っているところもあります。仏の慈悲を表していると言われています。
須磨寺本坊や寺務所へ向かう道がありました。きれいに整備されています。こういう通路って、歩いて通るだけで心が鎮まると言いますか、不思議な力がありますよね。とはいえ、宗門関係者でも檀家でもないので、こちらへは向かわず、本堂に向かって進みましょう。
仁王門は源頼政が再建と伝えられていますので、平安末期以前ということになるのでしょうか。仁王門なので阿形と吽形の仁王像が安置されています。こちらは運慶と湛慶の作と伝えられています。よく阿吽の仁王像は口を開いているか閉じているかで見分けますが、須磨寺の仁王像は阿も吽も、思い切り阿であり、思い切り吽なのです。機会があれば一度観てみてください。
仁王門の内側にも整備された堀があって、その中に千手観音がご安置されています。
千手観音の近くに五鈷水なるものがありました。弘法岩と名付けられた大きな岩の真ん中に五鈷杵が置かれています。鈷杵には独鈷、三鈷、五鈷とありますが、密教で使用するの法具です。真言宗のお葬式で、僧侶が数珠に擦り合わせてシャラランと音を鳴らしたり、棺の上にドンッと置いたりするのを見たことがりませんか。密教の中心的な法具で、五鈷杵を持った弘法大師像もよくあります。台座に柄杓があるので、ここで身を浄めましょう。
五鈷水の正面にあるのが塔頭寺院の桜寿院です。扁額にご安置されている仏様が書かれていますが、本尊に阿弥陀如来、右脇が大日如来と浪切不動明王、左脇に弘法大師と秘鍵大師がお祀りされています。
桜寿院の前、五鈷水の隣に十三仏がご安置されています。割と新しいもののように見えます。日本の仏教では亡くなられた方に対する追善供養を行いますが、13回の追善供養のそれぞれの回忌を担当する本尊が決められていて、総称して十三仏と呼ばれています。
十三仏が並んでいる正面に貞照寺があります。貞照寺は須磨寺の塔頭寺院や末寺ではなく、真言宗須磨寺派の寺院でもありません。貞照寺はそもそも須磨一ノ谷にあって、四国の徳島県にある鯖大師本坊から本尊を勧請した寺院でした。宗派は真言宗大覚寺派ですが、須磨寺の塔頭寺院である蓮生院の住職が貞照寺の住職を兼務していた関係で、阪神淡路大震災で貞照寺が全壊した際にこの須磨寺境内に移ったということです。このあたりは宗派的にどうなっているのかわかりませんが、真言宗内で稀に宗派を超えて兼務しているのを見かけることがあります。
鯖大師の伝説の絵が飾られていました。弘法大師には数えきれないほどの伝説がありますが、鯖大師のお話もかなりぶっ飛んでいて面白いです。
こちらは貞照寺が一ノ谷にあった頃に寄進された十六羅漢像です。
塔頭寺院の連生院です。源平合戦一の谷の戦いでの熊谷直実と平敦盛とのエピソードは平家物語の有名なシーンですが、直実は我が子と同じ年の少年敦盛を討ち、その後高野山で敦盛を供養し、仏門に入って法然に仕えます。連生というのは、実美が「連生坊」と名乗っていたことに由来します。大正5年に焼失し、昭和9年に再建されています。不動明王を本尊としていますが、成田山の不動明王も勧請しているとのこと。成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山ですが、宗派を超えて不動明王信仰の中心地となっています。
本堂の横に厄除大師堂があります。こちらには秘鍵(ひけん)大師が祀られています。鯖大師やら何やらいろいろありますが、秘鍵大師は右手に剣を持った弘法大師像です。これは弘法大師が文殊菩薩の利剣を持って、嵯峨天皇に般若心経の功徳について説いた姿なのだそうです。
蓮生院の正面に源平の庭というエリアがあります。この構図ですと、右が熊谷実美で左が平敦盛ですね。法然のもとで仏道修行した熊谷実美は、諸国行脚する中で須磨寺を訪れたと言われています。「敦盛」は能や幸若舞、文楽や歌舞伎などの作品として受け継がれています。
塔頭寺院エリアを過ぎて、須磨寺の納経所や宝物殿のある施設の方へ向かいます。このカエルは「ぶじかえる」というもので、稀に神社や寺院でカエルの置物を見かけることがあります。須磨寺のカエルはもうひとつ凝っていて、目と首が回るのだそうです。びっくりしたければ目を回し、借金に困っていたら首を回すと良いそうです。
休憩所と宝物館と石人形舎がありました。モニターでお坊さんが須磨寺について語っている映像が流れていました。須磨寺は寺務長の小池さんという僧侶のYoutubeが人気ですね。法話がメインのチャンネルで、仏教や真言宗の教えをわかりやすく知ることができます。生きている人は誰でも苦しみと共に毎日を過ごしていると思いますが、そういう人に向けたお話が多くて、苦しみの中を生きていく方法が語られています。
なぜか傍らに伏牛が。なにか意味があるのでしょうか。
さて、いよいよ階段を上がって本堂のあるエリアに向かいます。階段の上に唐門が設けられています。
唐門を抜けるとすぐに手水舎がありました。巨石を置くのが須磨寺スタイルですね。
線香やろうそくを奉納することができます。
境内はよく整備されていて、新しいものが多そうに見えますが、本堂は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼の命で片桐且元を建築奉行として再建したものです。本堂内の内陣にある宮殿と仏壇は更に歴史を遡り、応安元年(1368年)に造られたもので、国の重要文化財に指定されています。本尊は聖観音菩薩です。和田岬で漁師が観音像を引き上げるという、東京の浅草寺と全く同じ縁起があります。脇には毘沙門天と不動明王が祀られています。海から引き揚げられた観音像を安置するために淳和天皇の勅命を下し、兵庫区会下山に恵偈山北峰寺が建立されました。仁和2年(886年)に、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺より聖観世音菩薩像を遷し、本尊としてお祀りしたのが須磨寺の開基です。実は正式には福祥寺という名称なのですが、通称の須磨寺で認知されていて、地名も駅名も須磨寺になっています。
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