
福正寺 目次
名称・寺格
金龍山 福正寺と称する、臨済宗建長寺派の寺院です。
創建
不詳。天台宗として開基し、文禄2年(1318年)に通翁鏡円禅師によって臨済宗として開山しました。
本尊
釈迦如来
みどころ
多くの堂宇や石仏があり、高低差のある境内を歩いて見て回ると、なかなかの見応えになります。
アクセス
東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷1129
探訪レポート

入口付近は、狭山丘陵を背にした山寺っぽい印象です。狭山観音霊場という巡礼コースがあり、福正寺は二十五番札所になっています。通りに面して庚申塔が安置されていました。見ざる言わざる聞かざるの三猿の台座の上に一面六臂の青面金剛という典型的な庚申塔です。

入口には天明10年(1791年)建立の総門があります。ちなみに晋山式というのは、寺院の代表者である住職の交代の儀式です。新住職のお披露目という意味合いがあって、檀家のみならず宗派・地域をあげて祝うおめでたい儀式です。(この写真は1年くらい前の写真です)

立派な三門(三解脱門)です。平成10年の建立とのことで、新しいものです。階段を上がって境内に向かうので、下から見上げる形になり、余計にそびえ立っているように見えます。

金の龍が象られた手水鉢がありました。金龍山という山号に因んでいるのでしょう。

三門をくぐるとすぐ横に鐘楼堂がありました。天井に天女が描かれています。明治時代の建立とのことです。シンプルで格好いいデザインです。

鐘楼堂の足元には、以前使用されていたであろう鐘楼が置かれていました。

大徹堂と書かれています。見た感じは倉庫兼多目的広間として使用されているような感じがしました。お葬式もできそうな構造です。

こちらが本堂にあたる法堂です。臨済宗らしい構造で、質素であることが重厚感を増しているように感じました。法堂前の空間もよく整備されていて美しいです。鎌倉時代後期の開山で、かつては塔頭寺院をいくつか抱える地域の中核寺院として存在していたようです。地元の豪族や開拓者の子孫の方々に守られて、威風堂々の姿を残しているのだと思います。

法堂のあるエリアからさらに階段を上がると、観音堂があります。この観音堂は瑞穂町の文化財に指定されています。410年前の建立とのことで、江戸時代前期ですね。現在の観音堂は天保12年(1841年)の再建だそうです。天井絵や彫刻も精緻で素晴らしいのですが、建物自体が珍しい形をしていて、遠目にも格好良いです。

観音堂があるエリアは奥に広がっていて、そのまま墓地へとつながっています。

水子地蔵です。水子地蔵和讃の石碑が建っていました。「命さずかり父母と 呼ぶことさえも出来なくて」「蓮の台の露と消え あわれ水子のおん霊」「永遠にしずめん地蔵尊 なむや水子の地蔵尊」という和讃です。

写真に撮るとわからないですが、この五重塔は国宝の奈良興福寺の五重塔を7分の1サイズで設計されたものですので、実際には結構小さいです。地元の工務店の社長が、棟梁としての技を残すために建立し、寄進されたのだそうです。素晴らしいアイデアと志と実行力です。塔内には大日如来が安置されています。

その奥に弁天堂がありました。弁財天和讃の石碑が建っていましたが、それによるとどこかにあった弁財天の小宮を、福正寺の金龍山の滝の上に遷して祀ったとのことです。

観音堂がある高台と境内との段差は崖になっていて、十六羅漢像が所どころに配されています。羅漢というのは阿羅漢とも言って、仏教における聖者です。十六羅漢という括りもあれば、五百羅漢もよく祀られています。
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