「お布施はお気持ちで⋯」と言っても、本当にお気持ちに従っては不都合がありますので、一応の相場を守るのが通説です。そんな中、私の知る中でお気持ちに応えたお坊さんが1人だけいらっしゃいました。毎回お葬式の度に、遺族に「いくらお布施しました?」と聞いている訳では無いので、私の知らないところで様々なお布施を巡るドラマがあるのだとは思いますが、26年間の葬儀業界生活の中で一度だけ、お気持ち価格で読経をしてくれた住職にお会いしました。

かつて「マンション坊主は悪か」というコラムを書きましたが、遺族が支払ったお布施が、手数料を引かれながら下請け→孫請け→ひ孫請けと流れていくのは珍しくない話です。最終的には1日1万5000円でも引き受けるという僧侶に会ったことがあります。
さて、この度お気持ちで葬儀を引き受けた僧侶は、マンション坊主ではなく、代々僧侶の家系に生まれ育ったサラブレッドで、地域でも檀家数の多い大きな寺院の住職でした。もちろん、葬儀社からの依頼を受ける手配僧侶の仕事などしません。檀家さんからのお布施のみで寺院が運営できる規模の寺院です。

そんな住職がなぜお気持ちでお葬式をするに至ったかと言うと、葬儀社の社員がゴリ押ししたからです。寺院の子として生まれ育った住職は、自身も地元民なので、地元の小学校に通っていた訳です。戦後間もない時代、地域の子どもたちが寺院の境内を遊び場にしていて、その中に住職もいましたが、他にワガモノ顔で子どもたちを仕切るガキ大将がいたのです。ガキ大将は少年の心のまま大人になって、葬儀社の社員として住職の前に現れました。
そして、ガキ大将はお布施を払えないという遺族に出会い、この住職に話を繋いだのでした。子どもの頃から面倒を見てくれたガキ大将に「頼むよ~」と言われては、住職も知らず知らずのうちに首を縦に振っていたというのが真相です。

私もこの住職とは仕事を通じて長いお付き合いをしてきたのですが、そんな熱い志を見せる人柄ではありません。どちらかというと、他人を見下すのが大好きで、キツイことを平気で言うような人です。司会を務める私が打ち合わせに行くと、苦笑しながら、「今回は、打ち合わせと言っても⋯ねぇ⋯」と、やる気無しモードです。「早めにお焼香始めて、終わったら合図ください」と、簡単に打ち合わせは終了しました。

読経時間15分というお通夜でしたが、お気持ちで戒名もつけて通夜・告別式の読経をしてくださったので、遺族は大いに感謝していました。かつて千葉県の寺院の住職が「お布施はお気持ちで⋯と言ってみたいものです」と寺院運営の苦しさを訴えていました。今回の住職がお気持ちでお葬式を務めたのも、揺るぎない運営基盤と、更に余裕があるからです。兎にも角にもたくさんの檀家に支えられているからこそ、「お気持ちで……」と言えるのです。
裏を返せば、檀家にとっては腹立たしいお話なのです。寺院は檀家のお布施で成り立っていますから、檀家は家と寺院と地域の繋がりの濃淡によって決められたお布施を寺院に納めます。それなのに、檀家でもない人に特別奉仕していては、住職は檀家に顔向けできません。それでもやってくれたんですよと、遺族に伝えたい気持ちでした。
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