
弁財天は弁才天とも書き、主として祀られている寺社もあれば、境内社やお堂を建てて祀られている場合もあります。かなり神仏習合していますので、神社にも寺院にもよく見られる尊天です。
女神サラスヴァティ
弁財天は仏教か神道か? というのは答えのない質問で、「両方です」というのが良い答えのように思います。そもそも仏教が開かれる以前のインドで信仰されていたヒンドゥ教の神「サラスヴァティ」として信仰されていました。新しい信仰が地域に根付くためには、元々そこにあった信仰を全て消滅させるか、習合していくかの二択となります。仏教がインドに広まる過程で、元々の信仰だったヒンドゥ教の神々の多くは、仏教に取り込まれて習合していくこととなります。それらの神々は、如来でもなく、菩薩でもなく、仏教の天部に住まう尊天として扱われます。
仏教だけでなく、もっと古くからのインド哲学の目的に「輪廻転生からの解脱」というものがあるのですが、仏教でも六道と言って「天道・人間道・修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄道」と、6つの転生先があるとされています。その最上位とされる天部にサラスヴァティを始め、仏教以前の神々がカテゴライズされているのです。こうして仏教と共にサラスヴァティは弁才天として日本に伝わりました。

愛宕神社 (港区)
弁才天 ⇒ 弁財天
サラスヴァティが女神なので、弁財天も女神として存在しています。そもそもは弁才天で、日本で「才」と「財」の読みが同じなので、性質まで混同してしまいました。そんないい加減でいいのか? と思うかも知れませんが、「大国主命=大黒天」のような、読みが同じだからと存在自体も混同するのは、日本では珍しくありません。日本で弁天様のご利益としてよく知られているのは、音楽などの芸術関係と財宝面ですので、結局は「才と財」の意味に起因しているのかなと思います。弁天様が祀られている場所に池や湖があるのは、そもそもサラスヴァティとはインドの川の名前で、川にいる神様として信仰されていたからです。

弁財天の様相
弁才天と聞くと、どのような様相を思い浮かべますか? 弁天像は多く造られていて、特徴的でわかりやすいですが、いくつかのパターンがあります。最も象徴的なのは琵琶を奏でる姿ですね。他には八臂(8本の手)のそれぞれに武器を持つ像もあります。

また、宇賀神と習合して、頭の上に宇賀神を乗せた像が見られます。宇賀神は蛇の体でとぐろを巻いていて、頭部が老翁の様相をしています。宇賀神はインドや中国にはいないので、日本独自の信仰で、日本神話の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ=稲荷神)に由来する神とされています。弁才天と習合して、なぜか頭の上に乗るという不思議な形になっています。

弁財天と蛇
サラスヴァティは川の神様ですので、川の形状に似た蛇と関連付けられます。弁才天=サラスヴァティ=川=蛇、つまり弁才天=蛇という図式によって、蛇は弁才天の使者や化身とも言われて、日本の神社では一緒に祀られていることがよくあります。

蛇窪神社 白蛇弁財天社
これは日本だけの信仰で、水場に蛇という組み合わせが日本では浸透していたのだと推測されます。そこで水の神である弁財天とも組み合わされるようになったのでしょう。
神道の弁財天と七福神
サラスヴァティは仏教発祥の地、インドの神様でした。仏教と習合して中国 → 日本と伝わり、日本で独自の信仰を発展させました。神仏習合の時代は神社でも寺院でも弁天様が信仰されましたが、明治維新の神仏分離令によって、弁財天を祀ることが難しくなった神社では、本地垂迹説によって、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)として祀られています。市杵島姫命は宗像三女神のひと柱で、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)によって生まれた神です。

吉原神社 吉原弁財天本宮 (台東区)
弁才天は七福神のひと柱としても有名です。七福神はインドのヒンドゥ教や仏教や中国の道教や日本の神道など、それぞれ違う背景を持つ神々を7柱ひと括りにした日本独自のものです。縁起の良いものとされていて、七福神を巡拝する「七福神めぐり」が各地で親しまれています。
弁才天を祀る東京の寺社

上野公園の中にありますので、寛永寺を建立した天海によって建てられました。寛永寺は東叡山という山号からもわかるように、東の比叡山という位置づけです。天海は不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島と同じように島を築いて弁天堂を建てました。現在の弁天堂は先の大戦の空襲で焼失した後、昭和33年に復興したものです。八臂の弁才天像は秘仏とされていて、年に一度9月に御開帳されます。

小さな神社ですが、パワースポットとして大人気の神社になっています。平日でもお参りの行列が絶えず、ご祈祷の申し込みは数か月待ちという盛況ぶりです。そもそもは天台宗の恵心僧都源信が建てた庵で、観音像と弁才天がお祀りされていたそうです。江戸時代、疫病が流行った年に稲穂を持った老人が現れたのですが、庵主の夢枕に恵心僧都が現れて「その老人を稲荷神として祀れ」と告げます。夢のお告げに従って稲荷神を祀ると、疫病が鎮まりました。ということで、弁才天(市杵島姫神)と稲荷神(倉稲魂神)を主祭神としてお祀りしています。
天台宗 大盛寺 井の頭弁財天

井の頭公園の中にある弁天堂です。近くにある天台宗大盛寺の境外堂宇となっていますが、歴史は大盛寺よりも古く、多くの参拝者や観光客で賑わっています。大きな池のある所に弁天信仰が生まれるのは必然だったようです。琵琶湖や不忍池と同様、井の頭池にも弁天堂が建立されました。これが天慶年間(938-947年)のことですから凄い歴史です。源経基によって建立され、鎌倉時代には源頼朝が再建し、江戸時代には徳川家光も再建しています。井の頭弁天堂の弁才天像は八臂の座像で、秘仏となっています。巳年のみ数日公開されているそうです。
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