八幡神は全国各地に祀られています。日本で一番多く祀られているのは稲荷神ですが、個人宅や会社の敷地に祀られているものを除けば、八幡神が最多になるそうです。
八幡神の由来
八幡神は日本神話に登場しない神様で、そもそもの由来ははっきりしていません。「八」というのは「八百万(やおよろず)」とも言うように「多数の」という意味があります。「幡」は神様の拠り代という意味があり、後の書によると、中国や韓国からやって来た神とされている説もあれば、そもそも日本に現れた神とされている説もあります。

(大田区 東八幡神社)
応神天皇
八幡神=応神天皇とされています。応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子で、記紀にも登場する古墳時代に生存した第15代天皇となっています。
そもそも八幡神と応神天皇は別々に存在していて、奈良時代から平安時代にかけて習合していったという説と、大神比義が応神天皇の神託(応神天皇=八幡神である)を受けて、宇佐八幡宮を建立して祀ったという説があります。
天皇が神として祀られている神社なので、伊勢神宮と同じく現在へと続く天皇家の系譜、いわゆる皇祖神として崇敬を集めています。

(武蔵野市 武蔵野八幡宮)
源氏と八幡信仰
八幡神と言えば源氏の氏神として有名ですが、源氏だけでなく平氏や他の武家にも信仰されており、武神として崇敬されたり、政争の手段として利用されたりしてきました。
貴族社会の時代から、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂が、大分の宇佐八幡宮を現在の岩手県に勧請し、武具を奉納しています。源義家は京都の石清水八幡宮で元服したことから、「八幡太郎義家」と名乗りました。義家の父の源頼義が石清水八幡宮から勧請したのが鎌倉の鶴岡八幡宮で、源氏によって八幡宮が全国に広がり、武神としての地位を築き、後の武家社会における八幡信仰の基となりました。

(渋谷区 金王八幡宮)
神仏習合
稲荷神は神仏習合して稲荷大明神として信仰されましたが、八幡神は「八幡大菩薩」です。これは奈良時代に、朝廷から贈られた称号です。八幡神が出家して八幡大菩薩となったという話で、神様が出家なんて思わず笑ってしまいますが、当時(奈良時代後期)は天災が相次いでいて、天災を誰かの祟りと考える習慣がありました。政争によって後継を絶たれた聖武天皇の祟りを恐れた朝廷によって、八幡神は出家させられ聖武天皇が信仰した仏教の守護神となったのです。

(港区 西久保八幡神社)
八幡神の神託
神託というのは、イタコのようなもので、神が人(シャーマン)や物を媒体にして、意を伝えることです。人々は八幡神に多くの神託を求め、八幡神は人々に多くの神託を与えました。現代ではあり得ないことですが、信託が社会を動かすようなことが珍しくない時代があったのです。
聖武天皇が奈良東大寺の大仏を建立する際に、宇佐八幡宮から八幡神が協力するという神託が伝えられました。八幡神が木材を運んだり壁を塗ったりすることはありませんが、八幡神の守護によって大仏は完成したと伝えられ、仏教によって国家を納めていた朝廷によって「仏教の守護神」としての地位を確立しました。
奈良時代の僧、道教は自分が皇位継承者になろうとして、宇佐八幡宮の神託を利用しました。八幡神より「道教を次の皇位につけると、天下泰平の世となる」という神託があったと企てましたが、朝廷が和気清麻呂を宇佐へ遣わして確認すると、宇佐八幡宮からは道教を無道の者として掃い除けよとの神託を得ました。清麻呂はこれを朝廷に伝えると、怒り狂った道教から左遷され、さらに穢麻呂(きたなまろ)に改名させられるという子どもの喧嘩並みの仕打ちを受けます。道教は皇位につくことなく失脚しましたが、八幡神の神託が世の中を動かす例として語られる事件となっています。
ちなみに当ブログでも特集しました「平将門」ですが、将門が新しい天皇(=新皇)を名乗って東国に独立国家を作ろうとした際も、八幡神の神託があったとしています。

(渋谷区 代々木八幡宮)
八幡三神
八幡神を祀る神社には、主祭神を応神天皇、神功皇后、比売神の三神としていることが多く見受けられます。神功皇后は応神天皇の母ですが、夫である仲哀天皇以上に有名というか、大事を成した皇后です。仲哀天皇の九州熊襲征伐に同伴し、仲哀天皇が崩御するとその後を継いで、熊襲征伐を完遂させます。この時神功皇后はお腹に応神天皇を宿していた訳で、神功皇后はその身重の身体で夫が数年がかりでできなかったことを、ほんの数カ月で成し遂げてしまいます。更に朝鮮半島の新羅へ攻め込み、百済、高句麗までも征してしまいます。そして秀吉も真っ青の三韓征伐を成し遂げた後、帰国して応神天皇を出産するという猛烈な存在でした。
比売神には諸説あって、誰のことだかはっきりしません。応神天皇の妃のことだとか、神功皇后の三韓征伐に功のあった宗像氏の氏神である宗像三女神のことだとか、他にも様々な説があります。
八幡三神を主祭神とする神社の中でも、上記の三神ではなくて、応神天皇の父である仲哀天皇や、彼らに仕えた忠臣である武内宿禰や、玉依姫命を組み合わせた三神とする神社もあります。

(青梅市 八幡宮)
八幡神を祀る東京の神社
穴八幡宮(新宿区)

穴八幡の主祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三神です。康平5年(1062年)に八幡太郎こと源義家が奥州の乱平定の帰路に武具を納めて社を築き、八幡神を勧請しました。それが穴八幡の始まりとされています。江戸城の北方鎮護の役目を担った江戸時代には、幕府の庇護を受けて全盛期とも呼べる繁栄を見ました。

今でも小高い山のようになっていますが、当時から八幡山と呼ばれていたそうです。ちなみに穴八幡の「穴」とは、その山裾を切り開いた際に現れた穴から、金色の御神像が見つかったことに由来しています。穴八幡と言えば冬至から節分までの間に頒布される一陽来復御守が有名です。場所や方角、日付や時間など、お祀りするルールが細かく決められている珍しい御守で、多くの信仰を集める人気の御守です。
富岡八幡宮(江東区)

富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に永代島と呼ばれた砂州を埋め立てて創建されました。徳川家の庇護を受けて発展し、別当寺の永代寺と共に多くの人々の崇敬を集め、江戸時代を通じて賑わう門前町を抱える観光地としても栄えていました。
御祭神は応神天皇を主祭神として、相殿神として神功皇后、仁徳天皇(応神天皇の子)、武内宿禰を含む8柱の神々を祀っていますが、なぜか仲哀天皇は含まれていません。

勧進相撲発祥の地なので、角界からの様々な石碑が奉納されています。富岡八幡宮の例大祭は深川八幡祭として、巨大な神輿を担ぐのが有名です。一ノ宮はあまりに大きく作り過ぎて、担いで氏子町を巡ることができないという猛烈な神輿です。という訳で深川八幡祭で渡御する神輿は二ノ宮なのですが、二ノ宮も日本最大級の大きさです。神田祭、山王祭と共に江戸三大祭のひとつとされています。
大宮八幡宮(杉並区)

お祀りされているのは応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の親子です。前九年の役(永承5年・1050年)を鎮圧した源頼義によって、石清水八幡宮から分霊を勧請し建立されました。穴八幡とほぼ同じですね。大宮八幡宮の鎮守の森は都の天然記念物に指定されており、森の匂いや湿度を感じることができます。

大宮と言うとさいたま市の大宮が思い当たります。武蔵国三大宮という括りがあって、さいたま市大宮の大宮氷川神社と秩父神社と杉並区の大宮八幡宮の三社なのだそうです。大宮というのは文字通り大きな神社のことで、大宮八幡宮は江戸時代には60000坪(東京ドーム約4.25個分)の敷地を有していました。現在も14000坪の神域を保ち、明治神宮、靖国神社に次いで東京都内3番目の広い神社となっています。
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