名称・寺格
龍華山 清浄光院 真福寺と称する、真言宗豊山派の寺院です。寺格は特にありません。
創建
不詳ですが、和銅3年(710年)に行基が創建したと伝えられています。
本尊
みどころ
大きな山門と本堂が、歴史を感じさせます。
アクセス
東京都武蔵村山市中藤1-37-1
多摩都市モノレール「上北台」よりバス10分+徒歩8分
探訪レポート
バス通りに真福寺の参道を示す大きな石碑が建っています。そこから緩やかな坂道を上がっていきます。途中にも馬頭観音の石碑や庚申塔の石仏が見られます。
参道をまっすぐ登ると、武蔵村山第3小学校に突き当ります。そこを右に進みますと、真福寺の入口です。参道は高い木に囲まれていて、俗世と神仏の領域を隔てています。
参道を進むと大きな山門が建っています。こちらは江戸時代の建立で、寛永15年(1638年)に檀家の協力によって鋳造された鐘楼が楼上に納められているそうです。鐘楼門ではないのに、なぜ楼上に納めてあるかというと、宝暦年間(1751-63年)に起こった火災のために亀裂が入り、鐘楼として使えなくなったからです。それでも戦時供出を免れているのですから、貴重な歴史遺産ということです。
手水舎は新しいです。
境内は木々に囲まれていて、石碑などもたくさんあります。実はすっ飛ばしてしまいましたが、もう一つお堂があります。観音堂なのですか、通称中藤百観音と呼ばれています。狭山三十三観音の20番札所に指定されています。お堂の中には奉納された百観音がご安置されているそうです。
このような石塔はだいたい十三重の塔になっていることが多いです。13というとキリスト教の不吉な数字で有名ですが、仏教でも13は意味のある数字です。初七日から三十三回忌まで十三回の法要を行いそれぞれを司る仏様を十三仏として信仰の対象にしています。
こちらにちゃんと鐘楼堂があります。しかもかなり立派です。
真福寺はそもそも真言宗醍醐派に属していたそうで、いつからか豊山派になったとのこと。行基による創建はさておき、正応3年(1290年)に中興した記録がありますので、この時代には存在していたということですから、やはり古刹ですね。本堂の格天井に描かれている花鳥図が、市の文化財に指定されています。
真福寺は特に寺格はないですが、当ブログで紹介した東大和市の慶性院の他、複数の末寺を持つこのエリアの真言宗の基幹的な寺院だったようです。寺に歴史ありですね。
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