御朱印集めを寺社訪問の目的のひとつにしている方も多いと思います。そもそも御朱印は寺院に納経(写経を納める)した際に、領収印としていただいたものだったそうです。御朱印帳ではなく納経帳と読んだりと、宗派によっても違いがあって、御朱印を授与しない宗派もあります。また同じ宗派でも、御朱印をいただく方法は寺院によって様々なルールがあります。
御朱印をいただくことに肯定的な意見としては、寺社にお参りして縁を結んだ記録になることです。いただいた御朱印を大切に扱っていると、心の拠り所になり得ると思います。御札と同様に御朱印を頼りにして、寺社との結びつきを再確認し、気持ちを強くしたり穏やかにしたりして、困難な世の中を生きていくことができると思います。
否定的な意見はわかりやすくて、スタンプラリーでしかないとか、寺社の小銭稼ぎだとか、内容に意義が無いという意見です。また、参拝客側のモラルやマナーが酷いとか、寺社側の対応が酷いとか、御朱印を巡るトラブルも多いようです。
収集癖というのは大なり小なり誰でも自分に心当たりがあるのでは? と思います。御朱印を集めることが第一の目的になり、効率を求めてしまうと、極端な話、本堂(拝殿)にも行かず、寺(社)務所に直行して御朱印をいただいたら「はい、次!」と、本当にスタンプラリーになってしまうこともありそうです。
それなのに、迎える寺社側では、先にお参りをするのはもちろんですが、納経しなければ御朱印を授与しないとか、宗派別に御朱印帳を別けていなければ授与しないなどルールが設けられています。そのルールは寺社によってそれぞれなので、御朱印をいただく前に、寺社に尋ねてから申し込むとトラブルも避けられると思います。
中には本当に酷い対応をする寺社もあると思います。私は葬儀業界で多くの僧侶と接してきたので、その辺の勘が働きます。寺社を訪問して眺めていると、「あ、このお寺は……」と閃きます。そしてスマホを開いて口コミを見てみると、案の定ということが結構あります。これは、御朱印をいただけるかどうかの権限が寺社にあり、その基準も寺社側が一方的に設けているからです。それ自体は問題ないのですが、このことで参拝者と寺社の間に圧倒的なパワーバランスの差が生まれてしまうのです。こういうのは態度や言葉に表れてしまいます。寺社が設けたルールを参拝客が知らなくても当然なのですが、そこに参拝者のマナーやモラルが欠けていると感じたら、寺社側は高圧的な態度をしたり、授与を拒否したりするのでしょう。「お前に食わせるタンメンはねえ」ってやつです。ただ、本当に消費者感覚でマナーの悪い参拝客も多いと思います。スタンプラリーのように御朱印集めをする人も多いでしょう。他のことはどうでもいいから早く御朱印をくれ、という態度では、寺社側を怒らせて当然です。
とある僧侶がそういう時は教化のチャンスだと思うようにしているとおっしゃってました。スタンプラリーじゃないんだと怒って追い払うのではなく、その人に親切心を持って本質を教える訳です。御朱印集めを素晴らしいものにするかどうかは、寺社と参拝者の心の持ち方次第だと思います。
( ※ 写真はイメージのためのフリー素材です)
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