今戸神社 目次
名称・旧社格
今戸神社と称します。今戸八幡神社とも呼ばれています。旧社格は村社です。
創建
康平6年(1063年)に、源頼義・義家が奥州征伐の際に、京都の石清水八幡宮から勧請したのが始まりとされています。
ご祭神
福禄寿
みどころ
建物が少なく、お参りポイントも多くありませんが、ベンチに座ってゆっくり時間を過ごすことのできる神社です。縁結びのご神徳を求めてか、若い女性の方々に人気の神社です。
アクセス
東京都台東区今戸1-5-22
探訪レポート
この辺りは奥浅草と言うそうです。外国人観光客で賑わう浅草界隈とは違って、落ち着いた住宅街の雰囲気です。さて、寺社には各々ウリ文句のようなものがあって、その寺社の一番の特徴的なことを前面に押し出した異名があります。今戸神社の場合は入口の鳥居の足元にドンと示されていました。「招き猫発祥の地」「沖田総司終焉の地」と書かれていますが、寺社的にはこういうのは「言った者勝ち」的なところがあります。正式な文献が無くても、社伝・寺伝に伝えられていれば、それはその寺社の歴史なのです。今戸神社が本当に招き猫発祥の地であるか、沖田総司終焉の地であるかを検証したところで、社伝による主張は変わらないのです。
大きな銀杏の御神木がありました。周囲に絵馬が掛かっています。今戸神社は、他にも数多くの絵馬が掛かっていて、社務所には若者たちの人だかりがありました。絵馬の奉納が有名なのですね。
境内には社殿と社務所の他には建物が少なくて、社殿でお参りを済ませたら、特に見て回るところはありません。社殿の左に、「今戸焼発祥の地」「沖田総司終焉の地」の石碑が建っています。今戸焼は当地の地場産業であった焼き物のことです。沖田総司の終焉の地は諸説ありますが、最も有力な説によると、今戸神社を仮住まいにしてきた幕府の医師松本良順によって、沖田総司は新宿内藤町の植木屋の納屋に匿われていて、そこで亡くなったとのことらしいです。
手水舎の周りにも絵馬がたくさんぶら下がっています掛かっています。手水舎の裏側にベンチがたくさん輪になって置かれています。そこに参拝の方々が大勢座っていました。若い女性がほとんどで、カップルで過ごしている方もいました。
社殿の中には巨大な招き猫が安置されていました。そもそも八幡神社なので、応神天皇を祀る八幡信仰なのですが、イザナギ・イザナミの夫婦神を祀っていることで、縁結びの聖地的パワースポットになっています。
招き猫の石像が建っています。招き猫発祥の地は、当ブログでも訪れた世田谷区の豪徳寺が有名ですが、都内に限らず各地に発祥の地伝承がありそうです。特に今戸神社の招き猫伝説は、貧困する老婆の夢に飼っていた猫が現れ、夢のお告げの通りに今戸焼の招き猫を浅草神社で売ったら大儲けした。という伝説に基づいているので、浅草神社の伝承に乗っかっているだけで、今戸神社はそもそも関係がないそうです。このあたりが、言った者勝ちなのです。
社殿は淡い極彩色の彫刻が施されています。参拝の若者たちは隣の社務所に向かい、絵馬や授与品や御朱印などをいただいて、ベンチに座って談笑するという感じです。若い頃は具体的な望みが多いですから、絵馬にも細かく記載する必要があるようで、社務所の周りは人だかりになっていました。境内は広いので、お洒落なオープンカフェでも作ったら、それこそ縁結びの場になるかもしれませんね。
ーーーーーーーーーーーーーーー