寺社探訪

寺社探訪とコラム

鷲神社

鷲神社 目次

名称・旧社格

鷲(おおとり)神社と称します。通称、「おとりさま」として知られています。旧社格は村社です。

創建

不詳。社殿によると、古くから天日鷲命が祀られており、日本武尊が東征の際に祈願したとのことですが、実際には近隣の長国寺(1630年~)に祀られていた鷲宮が起源で、明治維新により独立して鷲神社となりました。

御祭神

天日鷲命(あめのひわしのみこと)

日本武尊(やまとたけるのみこと)

みどころ

江戸時代から続く酉の市が有名な神社です。

アクセス

東京都台東区千束3-18-7

東京メトロ日比谷線「入谷」徒歩10分

つくばエキスプレス「浅草」徒歩10分

探訪レポート

大通りに面してド派手な大熊手が掲げてあるので、非常にわかりやすいです。こちらの門は叉木と呼ぶそうです。「浅草酉乃市御本社 開運 鷲神社」と書かれています。酉の市の熊手と言えば商売繁盛を連想します。縁起が良いイメージって、こんな風にド派手ですよね。「○○発祥の地」というのは複数あるのが世の常です。足立区の大鷲神社が「江戸酉の市発祥の地」、鷲神社の隣の長国寺が「浅草酉の市発祥の寺」というキャッチフレーズを謳っています。

すぐに朱塗りの大鳥居があります。参道の足元に置かれた柵が鮮やかで、特別な道という感覚を与えます。扁額には「鷲宮」とあります。そもそも鷲神社はお隣の長国寺の境内社鷲宮」だったそうです。その意味で長国寺が「発祥の寺」と謳っているのです。江戸時代は神仏習合ですから、鷲大明神社と称していたそうです。明治維新神仏分離令によって鷲神社として分離独立しました。奥にもうひとつ小さめの鳥居が見えますが、こちらは天保10年(1839年)建立の鳥居だそうです。

境内に入ると、また叉木がありまして、「開運鷲大明神 江戸名社 鷲神社」と書かれています。どうして「鷲」なのかと言いますと、社伝によると日本神話の「天の岩戸伝説」に起源があるそうです。太陽神である天照大御神が天の岩戸に隠れたことで、この世は暗闇になってしまいました。そこで八百万の神々が集まり、八意思兼神が知恵を絞って、天照大御神に岩戸から出てもらうために、様々なことを行ったのです。最終的には天宇受売命が岩戸の前で神がかりして胸や陰部をさらけ出して踊ったら、八百万の神々が大爆笑して、その笑い声が気になって天照大御神が岩戸から顔を覗かせた際に、天手力男命が岩戸を開けてこの世は太陽を取り戻しました。というのが、天の岩戸のお話です。

こちらが平成11年再建の手水舎です。基本的にどの建物も新しく見えます。近年に大規模に改修工事をしたのだと思われます。さて、話を戻しますと、日本神話の「天の岩戸伝説」で天宇受売命が踊った際に、弦という楽器を奏でていた神様がいて、天手力男命が岩戸を開けた際に、弦の先に鷲がとまったのだそうです。神様たちは喜んで、楽器を奏でていた神様は「鷲大明神」「天日鷲命」と称されるようになったのだそうです。そして、開運、殖産、商売繁盛の神様として、この地に祀られたそうです。

左側が神楽殿です。右側の一段高い方は渡殿だそうです。どういう理由かはわかりませんが、渡殿は裏側も扉が解放されていて、裏から見ると太鼓などの楽器が見えました。裏も正面のような構造です。さて、鷲神社特有の「鷲舞ひ」という神楽舞があります。近所に様々な神社で神楽舞をしている男性がいらっしゃって、この一段高い神楽殿を見上げながら、いつかここで神楽舞を舞いたいと夢見ていたそうです。そして、鷲の面を作って宮司さんに交渉し、鷲神社オリジナルの「鷲舞ひ」を作ったのだそうです。伝統舞踊である江戸里神楽を、鷲神社の神々に合わせて0から作り上げたそうです。伝統を引き継いだり、復活させたりということはよく聞きますが、これから伝統になるものを0から作り上げるというのはなかなかない話ですね。

拝殿にお参りすると、中央に大きな「おかめ」のお面が置かれています。これは江戸時代から「撫でおかめ」として人々が信仰してきたものだそうです。撫でる部分によってご神徳が違います。おでこは賢くなる、目は先見の明が効く、鼻は金運、左頬は健康、右頬は恋愛などなど。さて、酉の市はそもそも何かと言いますと、日本武尊が東征の際にこの社に戦勝祈願したという社伝があります。東征を成し遂げた帰路、社の前の松に武具の熊手をかけて戦勝祝いとお礼参りをしたそうです。その日が11月の酉の日だったので、例祭を行う日としたのが起源だそうです。

こちらは叶鷲(かないどり)というもので願い事を書いた紙を鷲のお腹に納めて奉納するそうです。絵馬のような感じですね。関東三大酉の市などもあるそうで、酉の市は全国的に行われていると思いきや、熊手の市が開かれるのは関東地方が主なようです。鷲神社の酉の市は吉原遊郭に近いことから、江戸随一の酉の市として、現代でも最大規模を誇っています。

こちらは樋口一葉玉梓乃碑です。玉梓というのは手紙とか書簡のことです。樋口一葉はこの地域に住んでいたこともあり、代表作の「たけくらべ」はまさに吉原・浅草界隈のお話で、鷲神社の酉の市も作品中に登場します。そのようなことも踏まえて、樋口一葉が師半井桃水に充てた未発表の書簡を記念した碑が建てられています。

新しくきれいに整備された境内なのですが、それでも江戸を感じる風情がありました。酉の市は1年に2度か3度、それも11月のみの開催です。熊手のお店の主人が気風良く値引きしてくれたら、その値引きしてくれた分をご祝儀としてお店に置いてくるのが粋な買い方なのだそうです。できるかなぁ……。

 

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