成子天神社 目次
名称・旧社格
成子天神社と称します。かつては天満天神社、鳴子神社と称していました。旧社格は村社です。
創建
そもそも天照皇大神を祀る大神宮があった場所に、菅原道真逝去を受け、延喜3年(903年)東国にいた菅原道真の家臣が、太宰府(平安京とも?)から道真公の像を持ち帰り祀ったことが始まりとなっています。
御祭神
御神徳
学業成就、受験合格、事業隆昌など
みどころ
西新宿のコンクリートジャングルにある、非常にきれいな境内です。新宿区最大の富士塚は必見です。
アクセス
東京都新宿区西新宿8-14-10
都営大江戸線「都庁前」徒歩3分
探訪レポート
中野区から新宿区に入ったあたりにある成子天神社に行ってきました。天神社には菅原道真を祀る神社と、少彦名命を祀る神社がありますが、こちらは菅原道真を祀る神社です。境内は西新宿の高層ビル群の中にあり、新しくてよく整備されています。長い参道を通って境内へ向かいます。鮮やかな神門が見えています。
途中に恵比寿天像があります。境内に七福神が散りばめられているので、境内を巡りながら七福神巡りも一緒にできます。
鮮やかな鳥居です。神社は朱塗りの建物が多いですが、朱色にも色々あって、明るかったり暗かったり、オレンジに近いものや赤に近いもの、黒に近い濃い朱色もあります。成子天神社の朱色は、赤に近く鮮やかな明るい色です。
成子天神社は1100年の歴史を持つ古社ですが、現在の境内の建物は平成26年の再建で一新された様子で、歴史を感じる建築物はありません。江戸時代に一度焼失して、戦争の空襲で焼失して、平成には周囲の都市化に合わせるように境内地にマンションが建ちました。
こちらは以前使われていた扁額なのでしょう。まだ新しく見えますけどね。
立派な神門があり、細長い参道はここまでとなります。風神と雷神がご安置されていました。風神雷神は神様と書くのですが、日本では神道でも仏教でも扱われています。また、類似した神が中国やインドなどアジア諸国にも存在するようです。
こちらも新しくて非常にきれいな神楽殿です。分厚いガラスのサッシが現代的です。
こちらは神輿庫になっています。窓ガラスから中のお神輿が見えます。神輿庫というより展示室のような印象です。
神楽殿の隣に、境内社がまとめられた一画があります。大鳥神社(日本武尊)、大神宮(天照皇大神)、鳴子稲荷神社(宇迦御魂命)、水神宮(水波能女命)というメジャーなラインナップです。
本殿に向かう参道です。右の建物が社務所兼授与所兼参集殿になっています。参道は街道から一直線に伸びていて、本殿に突き当たるようになっています。
本殿の手前に撫牛が鎮座しています。まだまだ新しくて、撫でられまくった感はありません。素材が金属ではないので、撫でられすぎて変色することは無いのかもしれません。
本殿に上がり中を覗いてみると、本当に美しい板張りの内殿でした。お社の左右に随神が御安置されていました。祀られているのは菅原道真です。この地にはそもそもは天照皇大神を祀る大神宮があったそうです。
新しいものばかりで、歴史を感じるものがほぼ無い成子天神社ですが、本堂の脇に力石が埋められていました。力石はお祭りの際に力自慢大会が行われていたもので、各地の神社や寺院に残っています。成子天神社に残る力石には、重さと持ち上げた人の名前が刻まれていて、新宿区の文化財に指定されています。
社殿の裏側のエリアに、浅間神社があります。社の隣に立っているのは浅間神社の御祭神である木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。日本神話に登場する神々は絵に描かれることはあっても、像にして祀られることはあまりありません。しかし当ブログで訪問した中だけでも、木花咲耶姫命に関しては、八王子市の子安神社に次いで2例目です。三峯神社に日本武尊の像がありましたが、日本武尊は実在の人物とされています。
浅間神社の隣には立派な富士塚があります。そもそも境内には鳴子山という小山があり、大正9年(1920年)に富士山の溶岩を配して富士塚を築きました。高さは12mあるそうです。富士信仰というのは昔からあったと思いますが、江戸時代に講を作って富士塚を築くというのが流行ったそうです。実際の富士山に近づけて、富士山の溶岩を配したり、山頂に浅間神社を安置したり、山開きを行ったりしていたそうです。下から見上げて拝むだけの富士塚や、実際に登れる登山道が作られている富士塚もあります。特に関東には大小たくさんの富士塚があり、〇〇富士と命名されています。成子天神社の富士塚は大正になってからのもので、〇〇富士の名称はありませんが、近隣の講が奉仕していたそうで、新宿区の文化財になっています。少しの高さでも、下から想像できない景色を見ることができます。
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