将門の魔方陣巡礼 6
水稲荷神社
所在地:東京都新宿区西早稲田3-5-43
創建:天慶4年(941年)
御祭神:宇迦魂大神(うかのみたまのおおかみ) 佐田彦大神(さだひこのおおかみ) 大宮姫大神(おおみやひめのおおかみ)
将門との関連:平将門を討った藤原秀郷が、将門を討った翌年に建立した神社。
将門の魔方陣巡礼も6つ目の神社になりました。6つ目は早稲田の水稲荷神社です。将門と水稲荷神社に何の関係があるのか? 外から見ただけでは全くわかりません。甘泉園公園の一部というか隣にあり、鬱蒼とした緑の中に鎮座しています。そもそも藤原秀郷が富塚という前方後円墳の上に稲荷社を建立したのですが、それから早稲田大学の敷地の拡大に伴って、古墳が富士塚になったり、境内が移転したりして、現在の状態になっています。こちらの富士塚は、入山日が決められていて、いつでも開放されている訳ではないようです。
将門の魔方陣巡礼で伺いましたが、境内社がたくさんある割に、将門的なところは何もなく、見つけたのが「撫で狐」なるこちらの像です。稲荷社なので眷属は狐ですが、少々変わったポーズです。体の悪いところを撫でると良くなるという「撫で〇〇」では御馴染みの伝承があり、顔の表情が無くなるほどツルツルに撫でられていました。
御霊信仰
非業の死を遂げた者が、世を恨んで怨霊となり災いをもたらす。という話に恐怖するあまり、怨霊を御霊として神様に祀り上げて、恨みを鎮めていただこうとしたのが御霊信仰です。この信仰は平安時代にはっきりと現れますが、それ以前にも政治的な争いというのは多々あって、争いに敗れて排除された者が怨霊化するという考えは平安時代より古くから存在したようです。平安時代になって、平安京の大内裏のすぐ外側に神泉苑という天皇専用の庭があり、そこでは国家的な様々な宗教儀礼を行うようになり、最初の御霊会(ごりょうえ)がこの神泉苑で営まれたそうです。この時は政争や戦乱に敗れて非業の死を遂げた6柱の御陵が祀られたのですが、その6柱がそのまま京都の御霊神社の御祭神となっています。ちなみに神泉苑は現在も存在していて、東寺真言宗の寺院となっています。
神になった将門
御霊信仰が広まった平安時代初期、後に日本三大怨霊と呼ばれる御霊が現れます。菅原道真、平将門、崇徳天皇で、この三柱は御霊信仰によって神として祀られています。平将門の場合は、西国(京)では逆賊扱いですが、東国(関東)では朝廷の厳しい搾取から民衆を解放しようとしたとして英雄視もされています。そのためか将門を祀る神社は関東に多く、この度訪れた神田明神や築土神社の他、千葉・茨木・福島にかけて多く分布しています。記録として残る獄門(首をはね衆目に晒す刑)の最初の人物とされているからか、将門を祀る神社には、首を祀るというところが多いように感じます。京都神田明神、将門塚(東京:首塚)、築土神社(東京:首桶)、御首神社(岐阜)、将門神社(千葉:首洗い井戸)などです。また、茨城県の神田山延命院には胴塚があったり、兜神社(東京)、鎧神社(東京)と、首以外の部分を祀る神社もあります。将門が獄門という刑に処されたということが、人々にとって大きな衝撃だったのだなという印象を受けました。
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